
役職定年校長の第二の教員人生
2024年3月31日をもって私は校長としての使命を終える。
いわゆる役職定年である。
4月1日からは一般教員として学校現場で働くことになる。
おそらく今の勤務校で働くことはなく、異動となるだろう。
元校長の私が一般教員として校内にいたのでは新校長もやりづらいだろうし、職員だってやりづらい。
何より私がやりづらい。
だから異動で間違いないと思う。
4月からの仕事についての希望調査が年末にきた。
一般教員として勤務するか、初任者指導教員として勤務するかである。
私は一般教員を希望した。
私の知る限りで恐縮だが、校長だろうが教頭だろうが一般教員だろうが、定年退職者のほとんどは、ここで初任者指導教員を希望する。
理由はシンプル。
「楽だから」
初任者指導教員というのは、その名のとおり、初任者を指導する教員だ。
4月から教員になった初任者の先生の教室に朝から帰りまでいて、放課後ああだこうだと指導する仕事――それが初任者指導教員だ。
定年退職したベテランの教員にいろいろ言われて、初任者が反論できるはずもない。
初任者指導教員は何十年という自分の教員人生をバックボーンにいろいろと初任者に語る。
言いたい放題だ。
初任者は黙って聞く。
そして定時になったら初任者指導教員はサヨナラ。
初任者指導教員が定時になって帰ってくれた後の勤務時間外になって、やっと初任者は自分の仕事に取りかかれるのだ。
私は一般教員時代も、教頭時代も、校長になってからも、いろんな初任者指導教員を見てきた。
もちろん中には立派な初任者指導教員もいた。
だが、残念ながら、「これはひどいな」という人もいっぱい見てきた。
管理職になってからは、初任者指導教員が帰った後、私が初任者をフォローしなければならないときもあった。
教室の子どもたちが初任者指導教員をいやがり、保護者から苦情が入ってきたこともあった。
そんなときは、その初任者指導教員に職員室にいてもらい、放課後に初任者に話をしてもらうようにした。
教室で初任者の様子を見ていないので指導のしようもないのだが、そうせざるをえない。
初任者が授業をしている教室で、座って居眠りをしている初任者指導教員もいた。
勤務中の居眠りなど言語道断!
初任者にも子どもたちにも、示しがつかないではないか。
放課後呼んで、その初任者指導教員を管理職の自分が指導したこともあった。
いったい、何のための、誰のための、初任者指導教員だ。
初任者指導教員には、初任者指導の校務分掌しか割り当てられないルールになっている。
学校にはいろいろな仕事があるというのにだ。
ありがちだが、どこからどこまでが自分の仕事で、どこからどこまでが他人の仕事かはっきりしないのが日本の組織だ。
だから、困っている人がいれば、自分の校務分掌でなくても手伝うし、それで定時を過ぎるなんてのはザラだ。
学校現場がブラックと言われて久しいが、仕事ができない人がいるとみんなでカバーすることも少なくないから、どうしてもそうなってしまう。
そうしなければ、そのしわよせは子どもたちにいくからだ。
日本の教員の多くは、子どもたちのためならばと、自分を犠牲にすることを厭わないところがある。
そんな中、初任者指導教員は定時になると帰ってしまう。
「初任者指導教員には、初任者指導以外の校務分掌は無い」ということが、わざわざほかの職員に周知徹底されている。
私は一般教員時代、この初任者指導教員という役割を知り、「ああ、これは定年退職者たちの受け皿のために新しく作り出された楽な仕事なんだな」と感じたものだった。
私が教員になった昭和のころは、初任者指導教員なんて仕事は世の中になかった。
教員の再任用制度というのもなかった。
だが、世の中に高齢者が増え続け、20世紀最後の年の2000年に年金支給開始年齢が60歳から65歳に引き上げられた。
そうなると、60歳で定年した教員は、65歳になるまでの間の収入が途絶えてしまう。
その救済措置として、子どもと感覚もずれ、体力も衰えてきた退職教員達のための受け皿の仕事として創設されたのが、初任者指導教員という楽な仕事なのだ。
初任者指導教員はもともと学校に存在していなかった仕事だし、別に初任者の若い教員の側にしてみればニーズも無かったと思う。
だが、定年退職教員たちに何か仕事をさせなければならない。
なので、長年の教員経験を生かせる仕事ということで、この初任者指導教員という仕事が発明されたのである。
この初任者指導教員だが……、もし私が初任者だったら、朝から帰りまで自分の一挙手一投足を注視する存在が教室にいるなんて絶対いやである。
自分だったらいやだと思う存在に、自分がなるなどということは考えられない。
だから私は、定年退職者に人気の初任者指導教員は希望せず、一般教員を希望した。
60歳過ぎの多くの教員は、子どもたちとの感覚のずれや体力の衰えを心配して、この初任者指導教員を希望する。
一般教員として学級担任になれば、何十人という子どもたち相手に話をしたり、走り回ったりしたりすることになる。
多くの定年退職教員は、もうその自信が無くなってきている。
なので、もしできるならば、初任者指導教員というちょっと楽な仕事に就いて、年金受給開始できる65歳までお茶を濁して過ごしたい――そんなふうに考える人が少なくないのも、無理からぬことだろう。
その証拠にというか、管理職になると、校内の定年退職者の退職後の進路希望を知ることになるが、私の知る限り、ほとんどの定年退職者が初任者指導教員を希望していたのだ。
「初任者の指導どころか、あなた自身のほうが教員としての適性に問題があるよ」というような人も、定年退職時に初任者指導教員を希望した。
初任者指導教員は人気の仕事だから、希望しても全員がなれるわけではない。
なれなかった人は一般教員として再任用勤務するようにとの辞令が届く。
そうなると、一般教員の仕事は60過ぎにはキツいので、フルタイムの再任用はやめて、非常勤講師の仕事を選ぶ人も出る。
給料は下がるが、拘束時間は短くなるし、担任をもつこともない。
担任をもたなければ、児童生徒指導案件が生じても子どもや保護者に対峙することなく、拘束時間を終えれば帰ることができる。
初任者指導教員になれないなら、非常勤講師でいいやと考える人も少なくないのである。
学校現場で何がたいへんかというと、児童生徒指導案件への対処、保護者への対処だ。
それで心を病んでしまう教員は大勢いる。
文部科学省の調査によれば、精神疾患で2022年度に休職した全国の公立学校教員が6539人(前年度比642人増)に上り、2年連続で過去最多を更新したとの報道が先日あった。
精神疾患で病気休暇(1カ月以上)を取った教員との合計も過去最多の1万2192人に上った。
私の勤務校でも、周りの学校を見ても、それは実感できる数字である。
子どもや親との問題に関わることは精神をすり減らす。
だから、60歳を過ぎた教員たちは、子どもや親との問題に関わることのまずない、初任者指導教員や非常勤講師を選びたがるのである。
私は管理職になってからも、休職した先生の代わりに担任を兼務して授業を行ったことがある。
校長最後の1年の今年度も、校庭で子どもたちと休み時間に走り回ったりしている。
もちろん若い人には及ばないだろうが、子どもたちとの感覚のずれや体力の衰えは、まだ大丈夫なのではないかと思っている。
私の先輩の先生方には一般教員として定年まで勤め、その後も再任用として担任をしている方がいる。
先日、ある学校で久しぶりにお会いしたが、「再任用で担任をしている」と楽しそうに話してくれた。
私が目指す姿だと感じた。
2024年の4月から、私がどこの学校で何の仕事をするのかは、なってみないと分からない。
担任を希望しているが、担任ではない級外の仕事になるかもしれない。
どのような仕事であったとしても、私は与えられた仕事を全力で務めようと思っている。