校長室にあるものは。歴史の生き証人・ 尼崎の開明尋常小學校
兵庫県尼崎市・旧 開明尋常小學校。
1937年(昭和11)~2005年(平成17)廃校。
いまは尼崎市役所・開明庁舎です。
戦前の建物の中には…
モダンな開明小学校
明治時代~戦前にできた建物。
近代建築というそうです。
屋根がペッタンコ。モダン。オシャレ。スッキリ。シンプルで美しい。
建物が装飾を断捨離したみたい。
校庭の広さもあり、外国の学舎のようです。
丸い窓。中に入ってみます。
面格子。細かい鉄のラインがステキです。ここの扉は閉まっていて、右手に回ります。
実は室戸台風の災害復興事業
■ 旧 尼崎市立 開明尋常小学校 ■
戦前の校長室
ひんやりと近寄りがたい雰囲気。
石で囲まれた、これは。
|奉安庫《ほうあんこ》。
戦前の小学校に設置されていた、奉安庫や奉安殿。
今まで知りませんでした。歴史の生き証人が校長室に。
ちょうどこの開明尋常小学校が建ったころから各地の小学校に設置された施設。
天皇・皇后両陛下の御写真を設置。
当時は神聖な場所。おいそれと前を通れなかったようです。
戦後、教育も変わり壊されました。何ヵ所か残っているそう。貴重です。
58歳のわたしが、見たこともなかったのですから…
登録有形文化財
奉安庫や建物はとても貴重です。
登録有形文化財のプレート発見しました。
なないろカフェ
教室から喫茶室へ。
尼崎が外国のよう。広くて緑の校庭を見ながらランチやティータイムを。
■なないろカフェ■
くわしくは記事をごらんください。
戦争の弾痕あと
1945年(昭和20) 6月1日
大阪大空襲で、尼崎市も多大な被害を受けました。
尼崎市は鉄工の街。大阪の湾岸地区と共に工業地帯であり、戦時中は軍需工場に。
それで空襲の標的になったのです。
8月15日の終戦。ほんの少し前のこと。
悲しい歴史は、校庭の南の外塀に残ります。
■ 機銃掃射による弾痕が残る塀 ■
戦争は永久に起こしてはいけません。平和でありますように。
まとめ
阪神電車・尼崎駅徒歩5分の「たてもの」旧 開明小学校。
(JR尼崎駅と間違えないでくださいね)
このエリアは通称・「ハンシン アマ」
半日~1日あれば、いろんな建物めぐりができるのですよ。
他の「たてもの」も、またご案内いたします。
下の画像は飴屋さんです。お楽しみに。
お出かけの時はマスク着用・感染対策にご協力ください。
いつも こころに うるおいを。
水分補給も わすれずに。
最後までお読みくださり、
ありがとうございます。