
校長室にあるものは。歴史の生き証人・ 尼崎の開明尋常小學校
兵庫県尼崎市・旧 開明尋常小學校。
1937年(昭和11)~2005年(平成17)廃校。
いまは尼崎市役所・開明庁舎です。
戦前の建物の中には…
モダンな開明小学校

兵庫県尼崎市開明町
2-1-1
明治時代~戦前にできた建物。
近代建築というそうです。
屋根がペッタンコ。モダン。オシャレ。スッキリ。シンプルで美しい。
建物が装飾を断捨離したみたい。
校庭の広さもあり、外国の学舎のようです。

丸い窓。中に入ってみます。
面格子。細かい鉄のラインがステキです。ここの扉は閉まっていて、右手に回ります。


実は室戸台風の災害復興事業
■ 旧 尼崎市立 開明尋常小学校 ■
この建物は室戸台風復興事業として1937(昭和12)年2月に開明尋常小学校校舎として竣工しました。
校庭を囲むようにしてL字型に建つ建物は、整然と並ぶ窓の上部に校舎の端から端につながる庇が取り付けられ、水平性が強調された端正な趣を示しています。
建物の南端と西端には意匠が異なる玄関が設けられていますが、特に南玄関から上階に上がる階段室は外部に半円形に張り出し、煙突のように天に付き出した柱とも相まって、まるで艦船の艦橋のようなダイナミックなイメージを受け、外観上の最大の特徴になっています。
また1Fの旧校長室には戦前の奉安庫が現存しています。


美しいフォルム

右手側は市役所
戦前の校長室

ひんやりと近寄りがたい雰囲気。
石で囲まれた、これは。
|奉安庫《ほうあんこ》。
戦前の小学校に設置されていた、奉安庫や奉安殿。
今まで知りませんでした。歴史の生き証人が校長室に。
ちょうどこの開明尋常小学校が建ったころから各地の小学校に設置された施設。
天皇・皇后両陛下の御写真を設置。
当時は神聖な場所。おいそれと前を通れなかったようです。
戦後、教育も変わり壊されました。何ヵ所か残っているそう。貴重です。
58歳のわたしが、見たこともなかったのですから…



登録有形文化財
奉安庫や建物はとても貴重です。
登録有形文化財のプレート発見しました。

なないろカフェ
教室から喫茶室へ。
尼崎が外国のよう。広くて緑の校庭を見ながらランチやティータイムを。
■なないろカフェ■

なんと寺町エリアです

くわしくは記事をごらんください。
戦争の弾痕あと
1945年(昭和20) 6月1日
大阪大空襲で、尼崎市も多大な被害を受けました。
尼崎市は鉄工の街。大阪の湾岸地区と共に工業地帯であり、戦時中は軍需工場に。
それで空襲の標的になったのです。
8月15日の終戦。ほんの少し前のこと。
悲しい歴史は、校庭の南の外塀に残ります。
■ 機銃掃射による弾痕が残る塀 ■



通りすぎてしまいます
戦争は永久に起こしてはいけません。平和でありますように。
まとめ
●旧開明小学校は、1937年(昭和7)竣工。
●校長室に戦前の貴重な奉安庫がある。
●モダンで艦船の船橋のような半円形の部分がある。
●1Fは「なないろカフェ」
●空襲の弾痕が残る塀がある。
阪神電車・尼崎駅徒歩5分の「たてもの」旧 開明小学校。
(JR尼崎駅と間違えないでくださいね)
このエリアは通称・「ハンシン アマ」
半日~1日あれば、いろんな建物めぐりができるのですよ。
他の「たてもの」も、またご案内いたします。
下の画像は飴屋さんです。お楽しみに。
お出かけの時はマスク着用・感染対策にご協力ください。

「たてもの」エッセイ
いつも こころに うるおいを。
水分補給も わすれずに。
最後までお読みくださり、
ありがとうございます。