
#7 アイドルとは一緒になれない
2019年5月。
私のアイドルが突然、結婚発表をした。いや、正確に言うと既に結婚していた、という事実だ。
いや、わかってはいたんだよ。彼だって人間だもの。恋愛はしますよ。だけどやっぱりしばらく受け入れられない。だって憧れだったんだもん。
「私のアイドル」とは、例の、バンコクと東京を間違えた営業担当のことだ。いつの間にかアイドルになっていたのは後で説明する。
彼が3月に再訪してくれた際はよもやま話で盛り上がり、今度は一緒にランチに行こうという話になった。すごく盛り上がったのに、最後の最後で、彼の奥さんの話がでてきたときに、私の中でほんの一瞬だけ何かが動いたんだ。
あー、なんか悔しい、って。
彼は指輪をしていなかった。だから私は彼が独身だと勝手に思い込んでいた。うん、そうだ、彼も悪いし、私も悪い。いや、どちらも悪くないのか。
しかし、それにしてもなぜだ。なぜなのだろう。
海外からの営業担当たちはみんなイケメンなのだ。
そして何より、彼らはみないい匂いがする。
私には推しメンがたくさんいるのだ。
いい匂いだなんてというと、ちょっと変態感が出てしまうが、私は男性のデオドラントの香りにめっぽう弱い。それから、アフターシェイブ(髭剃り後の匂い)も好きだ。匂いフェチなのだろうか・・・。
それはさておき、そんな「アイドル」の一人であった彼が、実は既婚者と知って軽くショックを受けたのもつかの間、彼がリアルな人間として私の元に戻ってきた出来事があった。そのきっかけは3月の再会から約1か月後、4月の後半に起こった。
彼の務める会社は、日本ではほとんど知名度がない。ゆえにお客さんから問い合わせが入ることもまずない。しかし、何度もオフィスに来てくれている彼だったので、いい加減そろそろ送客をしなければと、私もかなり焦っていた。
彼の会社についての問い合わせが入ったのはそんな矢先、私が勤め始めて5年目、2回目のことだった。
彼に喜びの声を届けたところ、彼からの返信は驚き以外のなにものでもなかった。
「実は今日が最後の勤務日なんです。」
これまで来日のたびに私を訪問してくれた彼に、恩返しがやっとできると思っていたのに、急に崖から突き落とされたようなショックだ。だって、つい先月会ったばっかりじゃん、と。
しかしそれは、彼が辞めることへのショックではなかった。彼に何もしてあげられなかったことへのショックだ。もう少し頑張っていれば、彼の助けになったかもしれないと、ふがいない自分を責めに責めた。
普段、「勤務最後です」なんてというメールはしょっちゅうもらうし、そんなメールに過敏反応することのない私だったが、今回ばかりはなぜか違った。
明らかに私、動揺している。それも激しく。
なんというか、心の中に大きな塊(かたまり)が存在していて、自分でもそれを認識しているのに、それをどうやって外に出していいのかわからず、ただただ身もだえているという感じ。内側から飛び出そうとしているそれは完全に行き場を失って、しかしそのエネルギーは熱くむなしく増していく。
メールの最後には、彼のLINEのIDが書かれていた。
「よかったら、連絡して。」
と軽いタッチで書かれていた。これまたすこぶる切ない。
あーーーー!!
後悔先に立たずとはこのことか。何もできなかったというより、大した努力もしてこなかった自分に腹が立つ。せめて、そのことだけは伝えねばと、昼休みに早速LINEを入れてみた。
私を突き動かしたのは、彼に一度も送客できなかった悔しさだけだ。時差なんぞ考えている余裕はない。その時は、彼が私のアイドルの一人だったことも忘れて、ただ悔しさを伝えたかっただけ。ごめんねを伝えたかっただけ。
アイドルと一緒になりたいなんて、その時はこれっぽちも思ってなかった。だって、私にも家族がある。だからこそ、彼は「アイドル」のポジションだったのだ。
かくして、私と彼のプライベートのやり取りは始まった。
つづく・・・
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