遊ぶように働くための評価制度
ーーー 評価ってなんだっけ?
いろいろ小難しい要素もあるけれど、なんだかんだ人は誰かに認められていたい。だから誰かを低く評価しなければならない制度があるのだとしたら、そんなもの本当はないほうがよいのかもしれない。
みんなの顔が見えて仕事っぷりが共有できれば評価制度なんてなくてへーきだよ、なんて職場も中にはあるかもしれませんが、多くの会社ではその組織の複雑さがあるレベルを越えてくると、どうしても統制をとるためだといって評価制度に頼ってしまうものです。
その評価、たぶん公平じゃない
でも考えて見てください。
不確定要素の多い市場で、1年前に立てた計画が予定通りに進むことは稀です。「あー、1年前はこの事業がもっと伸びると試算してたんだけどね。」「予定してたイベントが予期せず中止になったものね。」どれだけ素晴らしい評価制度を作ったとしてもこの予測と実績の齟齬はどうにも埋まりません。
それどころか、長期的な貢献度を図ろうとしても、給与のサイクルにあわせて評価は数ヶ月から1年単位の短いスパンでおこなわれます。日々のルーティンを長い間安定して地道にこなす部門であったり、長期的なスパンで実績を積み上げていくような業務は、短いサイクルのなかで評価すると薄まってしまいます。
更に、従業員の「がんばり」を評価することも難しい。「がんばり」とはそれぞれの主観だからです。数値化しようとするとどうしても「業績」で評価してしまいがちです。もちろん「がんばり=業績」とは限りませんよね?めっちゃがんばったのに運悪く失注してしまったとか、たまたま業績が反映されやすい部署に配属されたとか、あるじゃないですか。
モチベーションに貢献しない制度
そもそも、みんながんばってません?「わたしがんばってません。」なんて言う人あんまり見たことありません。まぁ、たまーにいますけどねw
だから、大抵の場合、こんなにがんばった「のに」。。。こんなに一生懸命耐えた「のに」。。。って、みんな思うんです。報酬の査定に結びついている以上、全員を高評価することなんてできません。だから、半分は「よくできました」、もう半分は「もっとがんばりましょう」という評価になってしまいます。
大雑把ですけども、自動的に半数のモチベーションを下げるしくみになってないだろうか。どうしてこんな "誰得" な制度を導入したがるんでしょう。
評価しない組織
目標設定は数値化できる明確なゴールがある場合はとても有効です。なので、プロジェクト管理や、タスク管理にはとても強力なツールになりえます。ところが、人間の頑張りを評価するだとか、短期的に数値化しにくいものを評価しようとしたとき、目標管理はあまりうまく機能しません。それどころか、モチベーションに良い影響を与えません。
前回の話にも関係しますが、そもそも報酬が活動の主目的でなくなれば、この問題は簡単に解消するかもしれません。
「がんばった人には報酬を」ではなく「みんながんばってくれてありがとう!」と言えたらめちゃ気持ちが軽くなるものです。認められれば仕事も楽しくなります。現実にはそこまで簡単な話ではないかもしれませんが、遊ぶように働く組織は増えています。ーー 今日もまた模索は続きます。
りなる
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