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【書評】『社会』を扱う新たなモード 『障害の社会モデル』の使い方
前回の記事では、何年後かの大学院進学を見据えた読書の仕方を調べました。また、どんな分野の本を読むべきか、ざっくりとした全体感を考えました。今回の記事では、院試に向けた実際の読書に着手します。
記念すべき第一冊目は「『社会』を扱う新たなモード 『障害の社会モデル』の使い方」です。私がやりたい研究は、「障害の社会モデル」を発達障害に適用して、それをナショナリズムや近代社会の姿と結びつけて論じることです。私の研究は、障害の社会モデルをきちんと理解することから始まるので、この本を一冊目に選びました。大学の授業で読んだことはあるのですが、今回改めて読んでみました。
書誌情報
・書名:「社会」を扱う新たなモード 「障害の社会モデル」の使い方
・著者:飯野由里子、星加良司、西倉実李
・出版社:生活書院
・発行年月日:2022年6月25日 初版第一刷、2022年9月10日 初版第二刷
要約
※だ・である文体にしてあります。
本書によればこの社会はマジョリティ有利に作られ、「何が『個人的/社会的』なのかを定義する権力はマジョリティの側に付与されて」いる(p3)。そして、障害者の生きづらさは個人的な心身機能の問題に矮小化されてきた(p4)。近年、その偏りに対抗するために、障害者の直面する問題に「社会的」に取り組む機運が出てきているが、それを直ちに「障害の社会モデル」とみなすことはできず(p5)、「社会」の範囲を決める権力関係の偏りを見ていく必要がある(p5)。
本書はその道具立てとして、「障害の社会モデル」の「社会」を
①発生メカニズムの社会性
②解消手段の社会性
③解消責任の社会帰属
という三つの要素に分け(p17)、①を最も重視する立場を明確にする。そして、この立場から、「障害の社会モデル」をめぐる様々な言説を批判的に検討している。
例えば第一章では、綾屋紗月と熊谷晋一郎という二人の論者による当事者研究を取り上げ、彼らの「個人の身体と社会を素朴に二分」(p42)する「社会モデル」理解を批判している。「個人と社会との循環的関係」(p47)を見落としているためである。また、綾屋が主張する個人と社会の「歩み寄り」(p40)については、「現に存在している社会構造の不均衡や、マジョリティである非障害者とマイノリティである障害者との間の権力の非対称性」(pp48-49)を見落としているため、マジョリティにとって有利な社会構造が維持されることを容認してしまう危険があると指摘する(p49)。
第二章では、2021年の東京オリンピックに向けて推し進められた「心のバリアフリー」について、障害の社会モデルが取り込まれたことを評価しつつ(p83)、「共生社会」の理想像を描く「すべての人が」「誰もが」(pp83-84)というレトリックについて批判している。マイノリティの利害を無視することで成り立っている現状の社会の偏りを見えづらくしているからである。また、「活力ある社会」の実現のために「多様な個人の能力が発揮」(pp86-87)が位置付けられれば、それは「社会的有用性」(p87)に基づく排除を「助長し正当化する危険性」(p89)があるという。
長くなりそうなので第三章~第六章はごく簡単にまとめ、引用ページ数も省略する。
第三章では、障害者の性の権利について、性的自由だけでなく、その前提となる性的安全(性暴力を受けないなど)についても、障害の社会モデルで扱わなくてはいけないと主張している。物理的な障壁だけでなく、社会に広く存在する様々な差別構造の重なりを扱うことで、より幅広い困難経験を分析できるのである。
第四章では、合理的配慮の法制化が進む中で、障害の発生原因を社会的なものとみなす視点が足りないために、障害の個人モデルへの注目が逆説的に高まっている現状を分析している。
第五章では、合理的配慮の出発点であるニーズの開示をめぐる社会的障壁を分析している。当事者が障害を開示できないのは個人の問題ではなく、社会に存在するスティグマや様々な誤解、偏った規範などの問題であることを指摘しているのだ。
第六章では、合理的配慮の内容について、物理的環境や意思疎通に関するものは受け入れられやすいが、多数派のニーズに合わせて作られ一見自明に見えるけれど偏ったルールや慣行の変更は受け入れられにくいという問題を扱う。そして、背景にある不均衡な社会構造を是正するためにはマジョリティをどう説得するかを模索している。
まとめの章では、障害の発生メカニズムの社会性を重視する立場を再度明確にしたうえで(p237)、この「社会」という言葉を狭くとらえたり、マジョリティ優位の社会構造の偏りを見落としたりすることの問題点を指摘する(pp241-244)。解決しやすい課題への注力は、社会の偏りを根本的に是正することにはつながらないのである(pp244-245)。また、不均衡は障害者の内部にも存在していることにも注意する必要があるという(p246)。そして、障害者に限らず様々なマイノリティが直面する「マジョリティ性の壁」が社会規範と結びついていることや、その壁はマジョリティからは見えにくいことを指摘している(pp249-250)。
批評
※敬語に戻ります。
まずは、この本で議論されていることの新規性というか、興味深いことを挙げてみます。私は大学の授業などで少し障害学をかじったことがあるので、障害の「個人モデル」と「社会モデル」という二つの言葉は、聞いたことがありました。
ですが、この「社会モデル」という言葉の「社会」という部分を
①発生メカニズムの社会性
②解消手段の社会性
③解消責任の社会帰属
このように3つに分割していることがとても興味深く感じられました。このように分解することで、「障害の社会モデル」に関連する何らかの主張の中で、どこまでが社会的なものとして扱われどこからが個人的なものとして扱われているのかを明確にすることができるので、よりクリアな議論が可能になります。
また、本書の核心にあるのは、マジョリティは「社会/個人」の区分を恣意的に決める権力を持っており(p23)、障害者の生きづらさはこうした権力の偏りから生まれるという主張です。私はこの主張が、単に公的リソースの配分だけでなくその前提となる公私の区分を問い直すものであることに興味をひかれました。本書の第一章にも少し記述がありますが、発達障害はいまだに個人の問題として扱われることが多く(pp44-45)、社会の問題として扱う見方は主流派にはなっていないという認識があるからです。
「発達障害『グレーゾーン』」という本の中に、こんな記述があります。
K君は、とても消極的で、非言語コミュニケーションも乏しいといった課題があった。
ここでは、ASDのグレーゾーンとされる「K君」という小学生の事例が取り上げられています。彼は言語理解が高いが、非言語コミュニケーションが得意でないとされています。しかし私は、これが「K君」のみの課題として扱われていることに違和感があるのです。
もしも「K君」が、言語情報が非言語情報よりもはるかに重視される社会に生まれていたら、非言語コミュニケーションが得意でないことはそれほど大きな障害にならなかった可能性もあると思うからです。支援の方向性として、「K君」の「遅れていた発達を取り戻す」(p24)という本人に働きかけるアプローチだけでなく、周囲に働きかけて、言語情報に重きを置くコミュニケーションをとるよう促すアプローチもあるはずです。
ちなみにこの「発達障害グレーゾーン」という本には、
障害というレベルには該当しなかったのだから喜ぶべきはずだが
と書かれていて、いわゆる「発達障害」がネガティブなものであるという前提に立ってしまっています。2022年に発行され、10万部も売れた本にこんなことが書かれているなんて、私は受け入れられません。
だからこそ、「『社会』を扱う新たなモード」の中の、「個人」と「社会」の区分を問い直す視点に私は救われました。
この本の55ページに、聴覚障害を持つ子供の例が出てきます。人工内耳を入れるより手話を身に着ける方が本人にとってのリスクは小さいのですが、情報保障環境が不十分だという理由で周囲が人工内耳をつけさせてしまいます。これに関して著者は、
個人に負荷をかける反面、マジョリティ側のコミュニケーション様式 ―聞こえることを自明視したコミュニケーションのあり方― は何ら変更を迫られない。
と、手厳しく批判します。
ろう者と、ASD傾向を持つ人が置かれている状況にはもちろん多くの違いがあります。それでも私はこれを見て、ASDに関しても、当事者の側に負担をかけることでマジョリティが自明視し続けられるコミュニケーションの様式が何かあるのかもしれないと思ったんです。
だからこそ、ASD者の困難を、本人が個人として取り戻すべき「発達の遅れ」の問題だということにして、マジョリティ側の責任を何も問わずにいるのではないでしょうか。実際には、コミュニケーションをめぐる社会規範が何らかの偏りを含んでいるのは間違いありませんし、それがASD傾向を持つとされる人に不利益に働いている可能性も高いと思います。そして、社会規範の偏りが何も疑問視されないまま、「発達の遅れ」などという望んでもいないスティグマを押し付けられるのは正直なところ、差別としか思えません。
このように、いろんなマイノリティ性に関して、どのような社会構造の偏りがあるかについて想像力を広げさせてくれるこの「『社会』を扱う新たなモード」という1冊ですが、一つだけ批判というか、今後の研究への提案があります。
マジョリティの側は、自分たちにとっての問題の解決を「社会」に期待することができるという意味で特権的な立場にあるが、実はその特権は、何が「社会」によって対処されるべき問題かを定義する権力をマジョリティの側が握っていることによって支えられている。
この認識はこの本の中核をなす重要な主張ですが、具体性や実証性を欠いているように思います。「健常者が特権的な立場にあることは不可視化され」(p221)とありますが、これを何とか実証研究の場に引きずり出して操作化しなければ、マジョリティ側に自覚と内省を促すことは不可能なように思います。社会と個人の線引きを定義する権力というのは、どんな力なのか。そこから自分はどんな利益を得ているのか。その代わりに犠牲になっているのは誰なのか。ここの部分をはっきりさせないまま、特権があるとだけ言っても、マジョリティを説得するには至らないと思うのです。
そこを明確にするのための方策として、政治学や経済学、ゲーム理論が必要ではないかと思うのです。社会が解決するべきだとみなされている問題であれば国家や企業の予算が動く可能性は高いし、個人で解決するべきだとみなされている問題は個人がそのコストを肩代わりしています。それを切り口に、現状の「個人」と「社会」の区分の偏りや、それで誰がどれくらいの不利益を被っているのか実証的に特定できそうです。
また、その資源配分を変更しようとする試みの中で、マジョリティ側とマイノリティ側はそれぞれ、お互いが得られるもの・失うものをどのように見積もるのかも、経済学の知見を使って実証的に見ていけそうな気がします。そして、意思決定の場面で、マジョリティとマイノリティの声が決定権を持つ人にどのようなバランスで届いているのか、そのバランスが意思決定にどんな影響を与えたかを見るのは、政治学の得意な領域だと思います。その積み重ねが、社会の不均衡を可視化することにつながるのです。
新たに調べてみたくなったこと
この本を読んだことで、新たに調べてみたくなったことが山ほどあります!箇条書きで簡単にまとめてみます。
・綾屋紗月らの当事者研究
→ASDをはじめとする発達障害に関して、当事者研究の現状を体系的に把握しておきたいです。
・Oliver(1990)
→医学が障害者の「インペアメント」を特定する営み自体が、近代資本主義社会の産物である、ということに、めちゃめちゃ興味を惹かれました。
・BergerとLuckmann(1966)
→個人と社会が相互に影響を与え合う様子を分析したもので、どうやら社会学の古典らしいです。
・政治思想関連の書物
→本書の中で運の平等主義や新自由主義について言及がありました。学部1年のころに授業で多少学んでいるのですが、批判を含め改めて体系的に整理したいです。
・社会構築主義
→この概念の基本的なところを抑えたうえで、マイノリティ研究においてどんな文脈で使われているのか整理したいところです。
・不利益をめぐる政治
→キーワードしかメモしていないのですが、何が気になったのでしょう…
・発達障害研究に関する既存のアプローチの整理
→医学や心理学が発達障害をどのようなものと見ているのか、特別支援教育の専門家はどう見ているのかなどを体系的に整理したいです。社会学的な視点のある研究があれば、それも拾っていきたいです。
・「発達障害支援の社会学―医療化と実践家の解釈」
→上記の点に関連して、タイトルからもう興味深いです。
・フェミニズムにおける、公私の区分の相対化
→「『社会』を扱う新たなモード」の著者たちは、フェミニズムにおける公私の区分の問い直しに思想的な影響を受けているとあとがきで書いている(p256)ので、この点について調べたいです。
・「『障害があるように見えない』がもつ暴力性 ルッキズムと障害者差別が連動するとき」
→発達障害を含め、外見ではわかりにくい障害を持つ人の差別経験について分析するときに役立ちそうなタイトルです。
・Finkelsteinによる、「障害者の村」の寓話
→マジョリティとマイノリティが逆転した世界の思考実験を通じて、車いすユーザーの体験する世界の不条理を分析したもので、有名らしいです。
・Goodman「真のダイバーシティを目指して ―特権に無自覚なマジョリティのための社会的公正教育」
→一度読んだことはあるのですが、改めて読み返したいです。
書評を書いてみた感想
シンプルにめちゃめちゃ大変でした。当初、章ごとに要約を作っていたのですが、なんと一時は要約だけで1万字近くまで膨れ上がってしまいました。要約部分をなんとか2000字以下まで削りましたが、無駄な時間がかなりかかりました。
いきなり全部を要約すると大変なので、要約を書くときは、キーメッセージを抑えて、それをもとに各章の主張を端的にまとめる形をとりたいものです。
また、書評を書くのにはすさまじく時間がかかることが分かったので、読んだ本を全部Noteの書評にするのは時間がもったいない気がします。読書メモは自分の手元で必ずつけるようにしつつ、紹介したい本だけNoteで書評を書いていくことにします。
追加の文献情報
・「発達障害『グレーゾーン』その正しい理解と克服法」岡田尊司 SB新書 2022年2月15日 初版第一刷、2022年9月5日 初版第10刷