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推しが死んだ。

推しが死んだ。

自死と言われている。
あの日、私はスマホ片手に音楽特番を見ていた。
速報の音がなり、先の感染者数の続報かなと思いながら、まだ目線はスマホにあった。
視線を上げたとき、ちょうど速報の文字が消えた。
三浦春馬、自宅、死亡という文字が並んでいたように見えた。
自分の目を疑った。
そんなわけない。
そう信じながら慌てふためいてスマホを握り直し、ツイッターのニュースを見た。
三浦春馬、死亡の文字がそこにあった。
その瞬間、スマホは手から離れていた。
涙が溢れてきた。
こぼれ出た一言目は嘘でしょだった。
絞り出した二言目はなんでだった。
そこからは数年ぶりに声を上げて泣いたような気がする。
取り返しはつかなかった。
時は戻せなかった。

推しが死んだ。

私が彼の作品を初めて見たのは14才の母だった。
そこで三浦春馬という名前を覚えた。
それ以降の作品もいくつか見ていた。
しかし、私は大学入学とともにそれまで大好きだったドラマも映画もあまり見なくなった。
受験勉強の間、唯一の楽しみにワンクール1作品と決めてまで見ていたドラマ。
大学生活6年間では、放送期間中にワンクール最初から最後まで見たのは1作品だった。
録画をかなり遅れてから見た作品を入れてもおそらく片手程度だ。
大学生活の日々の楽しみで忙しかった。
今となっては、後悔が大きい。
今からでも見れていない彼の作品を見ていきたいと思う。

社会人になって、私にドラマが帰ってきた。
もっと言えば、テレビが帰ってきた。
社会人になって夜に自宅にいるようになって毎週欠かさずに見るようになったのが、「世界はほしいモノにあふれている」だった。
そこでの彼の姿は本当に素敵だった。
毎回、真摯に誠実に向き合う姿。
優しい言葉選び。
それから彼は私にとって初めての一番好きな俳優だった。

舞台を見に行きたいと思った。
当たり前だがチケットは大人気だ。
何より私はお金を貯めなくてはいけなかった。
自分で立てた目標のために。
私は目標達成の目処が経ったら行こうと思った。
少なくとももう少しお金が貯まってから行こうと思った。
今となっては後悔しかない。

これだけの期間しか彼を追いかけてはいない。
舞台にも行けていない。
私が推しなどと言って不快な人もいるかもしれない。
でも、間違いなく一番好きな俳優だ。
だから、推しだと言わせてほしい。
彼が存在することで世界の彩りが増した。
彼の姿勢、生き方が憧れだった。
彼の姿を一目見てみたかった。
歌声を一度聞いてみたかった。
ステージ上の姿を見たかった。

推しが死んだ。

私は精神科病院に勤めている。
彼が何かしらの精神的な疾患を抱えていたかは分からない。
でも、うつ症状はあったと思う。
うつ症状のある病といっても、比較的薬が奏功しやすいものの、治療を長く続けてもなかなか改善しないものもある。
個人差も大きい。
彼はどうだったのだろう。
そういった治療を受けていたのだろうか。
自分はひどいうつ症状だと気づいていただろうか。
自分の性格だと思ってしまわなかっただろうか。

彼が私の前に患者として現れたら力になれただろうか。
2年目でまだ玄人とはとても言えない私に。
彼の命を救うことはできただろうか。
彼の心を救うことはできただろうか。
経験を積んだ私なら力になれただろうか。
数年後、5年後、10年後だったら力になれただろうか。
なれていなくちゃならない。
彼に教えてなど欲しくなかったが、無力さを教えられた。
私は成長しなくてはならない。
いつか彼がいたから今の私があると胸を張って言える私になりたい。
きっと彼のおかげで救われた命があれば、心があれば喜んでくれると思うから。
それでもやっぱり。
貴方の命を、心を、救いたかった。

推しが死んだ。

朝目覚めると三浦春馬がいなくなった世界なんだったと思う。
仕事中も彼のことを考えてしまう。
彼が出演するはずだったドラマのインタビューを見て、面白そうなドラマだな、やっぱり素敵だなと思い、我に返って彼はいなくなってしまったんだと気付く時もある。
彼がこの世界からいなくなってしまったことをよく分かっていないのかもしれない。

前に進まなくてはならないと思う私。
進んでしまえば彼のいなくなった世界がどんどん色濃くなってしまうと思う私。
どちらも共存している。
それでも、牛歩でも、時を進めなくてはならない。
時を進めたい、彼への憧れとともに。

推しが死んだ。
三浦春馬が、死んだ。