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子供の進路などについて一考

このnoteは、今の時点で私が受験教育や今の時代の子供の進路について考えていることをざっくばらんに陳列してみるというものである。なので基本的に無料でほぼ全部読むことができる。執筆を支援したい人は200円で投げ銭の御礼部分を設定している。むしろマガジンを購読してもらえると色々読めるのでそちらをおすすめしたい。


1.はじめに

私も結婚していて子供もいるので子供の進路については色々考えるところがあるが、ツイッターを見ているととても荒んだ話が多い。もちろんそのようになるにはなるなりの理由はいくらでもあり、一定数の親たちは子供のため、そして自分の自己満足のために徹底的に勉強をさせて名門中高や名門大学や医学部にいれようとするわけである。それに影響されるというか流されて、高額の受講料をとる名門塾などに通わせる親も増えており、大いに親子で消耗していく。もちろん受験勝者というか、うまくいって名門大学や医学部などに入ることに成功する親子もいるが、調べてみる限りでは途中で挫折したり、または燃え尽きてしまって中途半端な進学になることもあるという話はよく聞くところである。受験勉強に苦しんだり、その結果に耐えられずに命を絶つ子供もいる。

正直言って私は例えば名門医学部などを狙えるようなレベルの本当に優秀な受験生というわけではなく、他のnoteにも書いたように高校生になって慌てて勉強してなんとか名門国立大学の理工系に入ったに過ぎないので(医学部は当時は一切考えることはなかったとはいえ)、受験の専門家にはなりえないし、またそのあたりの話であれば他の教育者たちの著作や、もしあるようだったらそういう人たちのnoteなどが有用であると思うが、ただ色んな人達を見て来ていて、色んな人達の進路や成功について考えてきたので、そういうった情報から意見を述べたいと思う。

2.   子供のタイプ

正直子供には色々なタイプがいる。とりあえず箇条書きでタイプを書いていきたいと思う。天才的なタイプは議論する必要がこのnoteではないので除く。

  1. 秀才タイプで自分で考えて自主的に勉強でも何でもやるタイプ

  2. 秀才タイプだが言われたことをやっていくタイプ

  3. 普通のタイプで自主的に勉強でも遊びでもやるタイプ

  4. 普通のタイプで言われたことをやっていくタイプ

  5. 勉強は苦手だが自主的に何でもやるタイプ

  6. 勉強は苦手で言われたことをやっていくタイプ

以上、シンプルに6個にわけた。それ以上、それ以下の人達については今回は触れない。要は奇数は自主的で、偶数は受動的である。
 さて一般論からすると、自主的な方が良いに決まっているということになっており、受動的なタイプは優等生型であまり役に立たないと思われていることも多いが、私が実際に色々な仕事をしたり取材しながら人々を見てみるとそういう単純な問題でもない。1の優秀な自主的なタイプも色々と分かれるが、自主的にしかできないタイプもいて、指導してもあまり伸びないことがある。一方で2の優秀な受動的なタイプは指導しないと全然大したことは無いが、指導するといくらでも伸びて果てしなく上に行くことがある。受動的なタイプも決して甘く見てはいけない。指導次第だったりする。
 要は最初から優秀なタイプと経験させないと伸びないタイプがそれぞれいる。そして、最終的にどっちが優秀だったり結果を出すのかも何とも言えないという話である。つまりノーベル賞のような成果を出すタイプも普通に2はいるのである。歴史上の重大な成果を1だけでなく2も挙げる人はいる事実は重要である。
 4のタイプが時間をかけることで果てしなく伸びることもある。つまり、能動的タイプと受動的タイプがいて、タイプに応じた指導が必要だということになる。伸びなかったとして、それはその子供が悪いとは限らない。普通に指導が悪かった、または指導の相性が悪かった可能性はある。そして指導しなければ全く伸びないのは仕方ない子供もいるということは重要なポイントである。

3.   自主タイプ

自主的なタイプは主体的に自分で考えて勉強するなどの行動をする。このタイプは、主体性を尊重する必要があり、それを邪魔したり妨害するとどのように何を頑張ればよいか見失ってしまい、勉学やスポーツ、仕事に打ち込むモチベーションを失ってしまうことがある。従って親や教師はこのタイプは間違えると潰してしまうので、そうしないように注意をする必要がある。ただし、主体的に取り組むとしてもそのやり方が果たしてどこまで適切なのかは何ともいえず、時には自分で考えて努力するより、極めて優れた指導者から受動的に指導されて素直に真に受けて見につけて行ったタイプの方が、先の世界に行けることもあったりするのである。だからといって、このタイプを無理やり受動的なタイプに変えることは基本的には困難であり、ある種、旧ソ連の洗脳みたいな高度な心理学的な処置をしなければならないくらいではないかと勝手に思っている。そのために、主体性のあるタイプは本人にまかせ、行けるところは個人の資質や様々なパラメーターに左右されるが、反社の道にいくなどのことがなければ尊重していくしかない。親や教師はあくまで支援する立場を超えることはできないと思われる。ただし、今の日本国は経済的に衰退していたり、やりたい仕事が十分な給料などを貰えず、また昇給する見通しもない場合も普通に現在はある。そのあたりは親は知恵と重大な情報として子供に伝えることは大事で、自主的に進路を選ぶことを尊重するにしても、「食える分野に進め」とは強く子供に指導するべきではある。こればかりは、分野によっては本当にいくら才能があってもどうすることもできないこともあるので、それは子供に教えるべきである。

主体的に頑張るタイプは明らかに誤った道に進んでいない限りは尊重することが重要。無理やり言う事を利かせようとしても、そういうタイプではないので伸びが限られる。

上の朝日新聞の記事によると、日本仏教を研究していた西村氏は博士(文学)を有する極めて優れた女性研究者で、日本学術振興会賞のような、本来ならば旧帝大の教授以上のクラスがもらうような優れた成果を出していながら、それでも分野の関係上、大学での安定した職を得ることができず最終的に自殺するという最期になってしまったのである。この分野に近い研究者によれば西村氏の自業自得さもあるとか、色々な点で問題があったとの批判もあったようだが、それでも立派な学術賞を取りながら職が見つからない分野とは親としては勧めることは肯定できないという認識で特に間違っていないと考えている。親は子供が自殺を図りうる進路を選ぶことは止めて良いものと私は思う。異論はあるかもしれないが、親でもある私はそう簡単に意見は変えないだろう。

4.   受動タイプ

 こちらのタイプは自分で考えたり自分で判断することが苦手である。そういう点では、一般的には自主タイプより評価が一見低くなりがちであるが、上述したように優れた指導者から適切な指導をうけると果てしなく伸びることもある。そんなこともあり、こちらのタイプの子供はとにかく相性が良い指導者を探す必要があり、手間がかかることは確かである。ただ良い指導者・教師がいるところに収まればいくらでも伸びる。なので、もし子供がなかなか伸びなくても「お前は無能なんだ」などと早とちりして決めてはいけない。それは親である貴方が適切なマッチした指導者を子供に見つけられていないのだと考えるべきである。もちろん社会に出たら受動的なだけではやっていけず、主体性もゆっくりでも多少は見につけなければならないわけであるが、このあたりは傾向としてはどうしてもそう簡単に覆ることはない。元々主体的にやるタイプに親の力で逆転させたりすることは極めて困難であると思われる。なのでそれはそれで受動的でも良いから、ちゃんとしたことを見につけてもらうことと、生きていくための大事な知恵などをちゃんと授けて生き抜けるように色々と詰め込んでいくことは重要になるだろうと考える。そういう点では私がこのタイプにお勧めしたいのは名門大学に行くのも良いが、それ以上に「資格を取らせる」ことである。資格で守られているような職、例えば医師や薬剤師、または看護師のような仕事は良いと思う。もちろん法曹資格をはじめとする文系の資格でも何の問題もない。受動的なタイプは就職活動があまり得意ではない懸念ががあるが(就活では主体性や自主性はかなり見られる)、資格を持っているなら話が異なることも多いからである。

受動タイプはどういう指導を受けるか次第でいくらでも伸びは変わる。それは重要な事実であるということを親は知っておく必要がある。

5.終わりに

本稿は私が教育について思っていることについて少々記載したにとどまる。今後も、教育については色々と機会があれば意見を述べていきたいと考えている。最近、日本社会が階級化の向かっているという話があり、それはもちろん完全には誤りではないと思うが、並行して救いがあるのは、昔にはなかったインターネットが存在することである。ネットで良い情報を得ることが出来る時代なので、昔よりも様々な能力を伸ばすのは容易になっている側面は確実にあると考えている。
 私たちも、そして子供も、自主タイプと受動タイプに分かれるところがある。大人は自立しているものであるとしても、生来の自主タイプばかりということはほとんどない。受動タイプであったが適切な知識や知恵、習慣を獲得することができたために社会人として大いに活躍できていたり、または非凡な成果を出してその分野や業界で名を残すこともあるだろう。親は子供がどちらのタイプに近いのか、また自分自身も元々はどっちのタイプだったのかなどを改めて考えるべきである。そういう点では、本稿が今後の人生設計や行動を決めていく上で多少でも役に立つことを願う次第である。

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