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DALF C1に合格しました!!!

前回記事を書いてからの数か月、嵐のような一時帰国の中でアラサー世代に起こりがちな冠婚葬祭に主催側として複数参加し、帰国後、フランスの風邪&インフルウイルスにやられ……そして、

DALF C1に合格しました!!!

合計点数は正直胸を張って誇れるものでもないのですが(CEが23.5/25だったのだけは誇り!)合格は合格、なんとか大学院出願への足掛かりを得られました。

ただ、この点数であればおそらくギリギリ合格のC2の方が大学院出願時の見栄えがいいので、無謀にも3月にC2を受験予定(この記事を書き終えたら申し込み予定)です。

前回同様備忘録も兼ねて、C1合格までどんな感じだったかを書き連ねておきたいと思います。(以下ほぼ常体、たまに敬体混ざりますがご容赦ください)

受験地と受験回数

今回、東京(23年11月)とルーアン(24年1月)の2度の受験を経て合格。
一度目の東京受験は、Épreuve collective2日前に祖母の葬儀を急遽迎えたことから、メンタル面でも体調面でも絶不調の中での受験となり、惜しくも44.50点で合格には至らず。

1月のルーアンでのリベンジも、8月のような万全の準備と体制は整わず、今振り返るとほぼほぼ気力と根性だけで乗り切ったように思う。

東京受験の感想

東京受験は正直、①一時帰国のスケジュールとたまたまハマったこと②受験料がフランスより安いこと(2023年当時24,000円 ルーアン27,000円〈175EUR・1EUR=160JPYで計算〉)③口頭試験の採点がフランスより甘いこと(という噂)を受けて決めた。今思えばあまりに短絡的すぎる……。

会場は2021年にリニューアルオープンしたアンティチュセ・フランセ。新校舎は初訪問だったが、とても清潔でキレイ。

B2やC1のような人気級は申し込みがすぐ定員になると聞いていたが、噂通り人が多い。おそらく同時間帯で大教室2つを使っていたかな?

席は自由席。とりあえずスピーカーが近そうな席を選んだことは覚えているが、4時間が本当にあっという間で正直記憶がない。
CEはコロナ禍を受け都会民が田舎へ移住した際のギャップについて、PEは菜食主義。COは忘れましたが、きちんとスピーカーから音を出してくれました。

Épreuve individuelle(PO)はcollectiveの翌週開催。地元からスーツケースを引っ張ってConvocationどおりの時間に受付に着いたら、私以外の受験者はすでに全員着席して、1時間の準備時間に入っていた(この時点で時間ロス。動揺)。

Sujetは選択肢が少なく、4つの紙の中から2つ(記事が2枚ホチキス止めされている)を引き、ぱっと読んで1つを選ぶ形式。

直前にオンラインレッスンを受けてはいたものの、日本語漬けの生活ではなかなか頭がうまく切り替わらず、同じ語彙を繰り返して使ってしまった。決して納得はできない出来だった。

POの3日後、一時帰国を終えパリに戻った。

東京受験後と結果

体感、おそらくぎりぎり受かるか落ちるかという線だった(つまり大学院に出願できるかわからない)し、東京の結果が出ないとルーアンでの1月受験が不可能だったので、結果が出るまでは11~12月のパリ特有の日照時間の少なさもあり、人生でTOP3に入る勢いで心身に不調を来した。

最低限の買い物と学校(とはいえ予復習は無理、本当に無理やり行くだけで授業中あまり発言もできなかった)以外はベッドの中で自分のダメさに落ち込む日々。
一時帰国の片付けもできず、家もどんどん荒れて夫には申し訳なかった。

※ルーアンにはごねてごねてごねまくり、結局受験締め切りの「デッドライン」と言われた日から約1週間待たせてしまった。すみません……

結果、予想通り44.50点で不合格。5.50点不足だったので、各カテゴリあと1.5点足りていれば……と後悔する間もなく、1月再受験に向けて舵を切った。


ルーアン受験感想


ルーアンC1受験の朝は早い。朝9時集合。在パリの私は前泊を決めた。

奇しくも受験時、フランスは大寒波に襲われており、そんな中で宿泊した安ホテルでは暖房が効かず、部屋がたぶん氷点下近かったので、ありったけの服、そしてアウターのウルトラライトダウンを着て寝なければならなかった。

最後のオンラインレッスンを終え、いざ寝ようと布団をめくると、ベッドのシーツには謎の血痕がひとすじと大量の毛。
血痕の形的におそらく違ったが、シーツの血痕といえば、昨夏フランス全土を恐怖に陥れたPunaise de litが頭をよぎる(Google Mapの口コミにも「寝たらかゆくなった」というものが複数)。
きれいなバスタオルを敷いて眠りについたが、何度も足を虫が這うような感覚で目が覚めた。学生時代に貧乏旅行で泊まった、リガの5ユーロのホステルの方がよく眠れた。

コンディション最悪の状態で起床、日の出前の暗い街を歩いてアリアンスへ向かい、試験開始。

今回の受験者は少なかったため、教室の前方が指定席になっていた。

相変わらずCOはPCから直出し。途中でWindowsの「ポンポロリン♪」という更新音が入っても、もはや何も思わない……。

CEはX・Y・Z世代、PEはビーガニズム。11月受験時の菜食主義をもっとまじめに復習すればよかったと大後悔。
夏と同じで、教会の鐘の音が、15分の流れを知らせてくれる。前回は気が散ったが、今回はむしろタイマー代わりに活用した(次の鐘が鳴ったら、CEからPEに移ろうという具合)。

時間管理にうっすら失敗しつつ、4時間の行程を終了。時刻は13時過ぎ。
次のÉpépreuve individuelle(PO)は16:30呼び出しなので、お気に入りの日本人シェフ経営サロンドテで勉強しつつ休憩しようと思っていたら、試験官に名前を呼ばれてスッと紙を渡される。

「Épépreuve individuelle 14h00」

……1時間もない。絶望しながらパン屋に駆け込みキッシュだけかじり、アリアンスへの帰り道に見知らぬ小綺麗なおじさんに「お金ちょーだい」とせびられながら、PO会場へ。(※パリではあからさまに「分かる」人しかお金をせびってこないので、綺麗な町で小綺麗なおじさんにせびられるのは地味にショックだった)

POのSujet抽選会場には、私ともう一人東洋系の女の子が。
会場の先生がよくしゃべるおじさんで「ボンジュ~君たち受験は何回目かな!?オーふたりとも2回目なんだね☆」といきなり私たちの心の傷をエグってくるスタイルだった……。

Sujetの抽選や準備のやり方は日本とかなり異なっていた。
①日本は4つから選ぶが、ルーアンは8か9つあった。
②日本は抽選時に参考文献2つの全文がついてくるが、ルーアンはお題・文献2つのタイトルのみが書いてある小さな紙を選ぶ形式だった。
③日本では自分の辞書持参だったが、ルーアンでは指定辞書があてがわれた(自分の辞書は使用NG)。

Sujetはデジタル教育を選んだ。エクスポゼのパートでみんなが思いつくようなことをあらかた話してしまったせいで、デバでは教育分野からかけ離れたようなところまで議論が飛躍してしまった。エクスポゼで質問したくなるような余白を残せなかったことを後悔した。

何より終わった後Alors, bonne continuationと言われ、Excellent~!!と言われたB2のテンションと出来の差に泣きたくなってしまった。

ルーアン受験後と結果

東京よりはよかったと思いつつも、B2のときほどの手ごたえはなかった。
時間管理に失敗したこと(POのエクスポゼで10分を超過して、Conclusionがグダグダだった。なお東京でも超過したので成長がなくて辛かった)、サンテーズの字数管理に手こずったこと、COの調子が悪かったこと……後悔の多い受験になってしまった。
ただ、1月に受からないと次の3月に本当に崖っぷちになってしまうので、祈ることしかできない10日間を過ごした。

合否が出たときは、嬉しさよりも安堵が大きかった。やっと大学院に出願できる……。
ただ詳細な点数が出た後は、これはまずいなという感想を抱いた。高得点のC1ホルダーがいれば、入試で競り負ける。
正直、CEで受かってしまったようなものなので、これなら50点のC2の方がマシなレベルだろう。全力を尽くさずに大学院に落ちるのは嫌なので、3月に向けて引き続きがんばります。

なお口頭試験の採点は、受験時の体感としては日本もルーアンも同じくらい手厳しかったが、日本でフランス語を忘れていたという条件で点数を見比べれば、若干、本当に若干だが、日本の方が甘くつけてくれたのかもしれない。ただルーアンの受験時も相当体調や条件は悪かったので、どっちもどっち。
微々たるものなので、在仏の方はわざわざ日本で受けずとも、素直にフランスで受けたほうが良いと思います。ディプロムの発送などもフランス国内の方が楽ですし……。

全体を通して

①ルーアンは結果がとにかく早く出る

今回、1月受験を申し込んだ際、ルーアンから「日本での受験結果がまだ登録されてないので受け入れられません~」とメールが来たときは驚いた。

ルーアンからは「日本に事情を直接話して何とかして」と言われ、ダメ元で試験センターに国際電話し、そこからメールで日々やり取りを重ねるもの解決には至らず、12月下旬に突然結果発表だった(発表後すぐ資料を送ってくださったのは感謝してます!!ありがとうございました!!)。

DELF/DALFの実施要領を読むと、結果発表のデッドラインは受験後2か月だったので、私の場合は1月上旬までに発表されれば「規則上は」問題なし。

ただルーアンが10日以内の合否発表を打ち出していることもあるのか、ルーアンの「遅くない???????」という苛立ちと圧は嫌というほど伝わってきた。

私も同様、日本に「遅くない???????」と圧をかけてしまったので、これからC2まで全部ルーアンにお世話になることを決めた。

※なお、お隣・韓国の試験センターを調べたら、11月試験の結果が12月初旬にはしっかりと出ていた……。

②COの音源は使い回している疑惑


ルーアン受験後、結果発表までやきもきしている間に先人のC1・C2ブログを読み漁っていたら、2018年ごろの院生の方のC1受験記を発見。
そこには1月ルーアン受験時と同じCOとしか思えないお題の記録があった(ちなみにPart2の正誤判定が多い箇所でした)。

よくTOEIC界隈では「受け続ければ同じフォーマットが出る」「今回のフォーマットはエプロン女性(この場合はPart1・写真描写の1問目写真がエプロンを着た女性、ということ。この写真で問題のフォーマットが判別できる)」などと言われるが、DALFも受け続ければ同じ現象が起こるのかもしれない。
2年有効のTOEICと異なりDALFは一生に数回しか受けない人がほとんどなので、同じフォーマットに出くわすことはまずないとは思うが、もしかすると……??


③B2合格後の勉強・反省点

B2に受かった後、継続していたのは週3回(90分×1回、120分×1回、180分×1回)の授業と、不定期の個人オンラインレッスン。

どんなにやる気が起きないときや気分が沈んでいるときも、一時帰国のようなやむを得ない事情がない限りは、授業に出続けた。

120分と180分の授業はパリ市民講座。これはのちほど別記事で受講の感想などを書き連ねたい。

90分のものはDALF C1特化のオンラインレッスン。DELFDALF試験官の資格を持つマダムの授業で、実際にサンテーズやエッセイを書いた。市民講座より少人数の授業で、発音の機会が多く矯正の良い機会になった。

個人オンラインレッスンは不定期に続けており、週0回のときもあれば、週5回頑張った時もあった。どのプラットフォームにも当てはまるだろうが、お気に入りの先生を引けるまで粘り強くいろいろな先生のレッスンを受け続けた。

反省点としては、PEで点数が稼げなかったことが悔しかった。
サンテーズはコツを完全に会得するまではたどり着けず、いつも手こずる(とくに字数管理に失敗し書きすぎ、時間を浪費)→エッセイを時間ギリギリまで書きなぐる、という流れを東京でもルーアンでもやってしまった。

今後機会があったらルーアンの回答は開示したいと思うが、正直見るのが怖い……。

C2はC1より「自由度が高い」と聞く。
人によっては、C1よりもC2のほうが心理的に楽だったという話も聞くが、果たして……??

今回は一発合格できないと大学院にスコアが提出できないため、プレッシャーも相当だが、受かればよい!がんばろう!

今後記事化したいこと

暮らしているうちに、文字にして残したいことがたくさんあった。

・Navigoをなくしたが帰ってきた話(絶対に書きたい!!!)
・パリウエディングフォトの撮影話
・駐在中やりたいことリスト(今更!?)
・駐在直後にアイデンティティクライシスを起こした話
・パリ市民講座の話
・パリオペラ座の観劇体験
・国外旅行の話
・結婚と改姓の話(あまりにプライベートな話なので公開できないかも)
などなど。

幸い、むこう2週間ほどはいつもより時間がありそうなので、勉強の息抜きも兼ねて、まずはnavigoの話など書けたらいいな!


地獄のPO時間変更通知。あと2時間勉強できてれば……


試験後、帰りの電車まで時間がたくさんできた@ジャンヌダルク教会

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