あさイチ「沖縄 母親たちが見た基地」
今朝のあさイチのテーマ、
「沖縄 母親たちが見た基地」だった。
普天間基地周辺に住むお母さんたちが
保育園に部品落下したことをきっかけに
「夢から覚め」てじぶんごととして
声を上げた姿を描いたもので、
現在の基地のことを母親目線で知って
問題が複雑すぎて悲しくなってきた。
けれど、一人で考えるより、
誰かともやもやしたいな〜て思って
ここに✍🏻備忘録を残しておきます。
基地が長い間ありすぎて、
恐怖を感じることがあっても
それが感覚的にも、法的にも
「日常」だから、変わらないって
諦めが生まれてしまうのかもしれない。
When you are accustomed to privilege, equality feels like oppression
ていう言葉があるけれど、
まさに今の日米関係が置かれた状況は
これだなって思う。
基地の恩恵を受けている身としても
それが「日常」だから、
変えることによる不利益ばっかり
みんなの目がいってしまうんだ。
権力関係の上に構築された「日常」、
時間が経てば経つほど
基地周辺の人にとっては不安が日常、
その他の人にとっては基地の恩恵が日常。
そのように問題の認識が非対称な時に
どうやって問題解決の合意を取れるか。
さらに、番組の論調に対して
厳しい意見も寄せられていたので、
さらにもやもや。
☞では米軍は必要ないのか?
「米軍が必要か」ではなくて
「米軍は今の状態で必要か?」というのが
求められている問いなんじゃないのか。
今みたいに米軍も日本政府も
多くの国民も、危機があるのに
その声を受け入れようとしない、
対策を講じないって状態なら、
このまま、また事故が起こっても
必ず同じことが繰り返される。
「安全保障」だけじゃなくて、
目の前の人の命、生活を念頭に
基地問題が語られないのはなぜ。
だってそうじゃないと
「安全」は「保障」されてない。
☞だから辺野古移転すればいいじゃん
なんで普天間か辺野古の二択なの?
これじゃあ沖縄に全部任せるて構造は
何も変わらないし、全然フェアじゃない
言うなれば絆創膏貼ってるだけで
「傷」の治療は何もしてないみたいな。
(基地を傷と比喩していいかわからないけど)
当事者になるまで想像できないて
いうのはわかるんだけれども、
そもそも沖縄で問題を留めている時点で
自分は当事者になりたくないから
なんじゃないって思ってしまう。
「国家」のために国民の命や生活を
犠牲することの意味を
先の戦争で日本は学んだんじゃないの。
なんで同じことを繰り返してしまうの。
最近、全体の利益のためだったら
少数の人がどうなってもいいっていう
考え方が多すぎるとわたしは感じる。
わたしにとっては基地の問題の本質て
こんな当たり前なことなのに、
なんでみんなでいつまでも見て見ぬ振り
できるんだろうって思っちゃう、、
これは完全に憶測ではあるけど、
イノッチと有働さんが降板になる
最後の週にこういう番組があると
降板の理由はなに?て思ってしまう、、
もやもやしすぎて涙出るけど、
さて、「知った」次は何をしようかね。
沖縄いつ行こう。他にできることは。
▼あさイチ「沖縄 母親たちが見た基地」
http://www1.nhk.or.jp/asaichi/archive/180328/1.html