『開高健の本棚』
開高健
お金もないのに古いものが大好きだった大学生のころ
古着を身に纏い天神大名を闊歩していたあのころ
それでもわたしは相変わらずに読書が好きだったあのころ
それはそれは、そういう大学生が大好きそうな
ずっとそこに在る青い扉の古物屋があって
その店は『悪徳屋』とかいう名だったと思う
そこで父親の誕生日にzippoを買ってみたり
友人とフィルムカメラを買ってみたり
無地やシンプルなデザインの古着を好んでいたわたしから見るのでは
おい、それは目立ちすぎるだろうよ
と思うような属性の古着を好んでいた当時の恋人に得意げに教えたり
わたしも例外なく“そういう大学生”として気に入っていた店があって
その店の主人が確か『バットさん』とかなんとかそういうふうに呼ばれる人で
風の噂によると“そういう大学生”とか“そういうおじおば”とかに
それはそれは愛されていたと記憶している、
わたしがどこかのマーケットに向かっていたときなんかは
素敵なマダムと自転車二人乗りしてるのを見て感激した(別人かもしれないけど)
その(多分)バットさんに教えられたのが開高健だった
だからわたしはバットさんについては
“開高健”と“父親のzippo”と“二人乗り”としか記憶に結びついてはいない
それなのに開高健と聞くと必ずバットさんを思い出してしまう
その、父親のzippoを買いに悪徳屋へひとりで出向いた日だったと思う
どうしてだったか読書が好きだとうっかり話し
どうしてなのか店にあったお酒で昼間っから乾杯し
どうしたことか好きな作家について特別講義を受けることになった
開高健の話しか覚えていなくて
どうしてこんなにもバットさんと開高健だけが記憶されたのか
もはやわたしにも分からない
確か
開高健の文学的エロスについてばかり語っていて
可愛い大学生だったわたしにはなんだか聞いていられないような気まずさがあって
バイト間に合うかな、ってかわたしバイト前にお酒飲んでるやん
なんてことばかりを気にしていて
とにかくバットさんとふたりでいるこの状態から逃げ出したかった
わざと腕時計を見たりキョロキョロしたりしていたと思う
気まずすぎて、それ以来悪徳屋に行くのもやめてしまった
当時私は古本屋でアルバイトをしていて
ひとくちに古本屋といっても
全国から段ボールで送られてきた古本に買値をつけて買取り
大手通販サイトに出品するような個人規模でビジネスとしての古本屋で
小洒落た様子とは縁遠いようなところ
だけれど、古書店には現れなそうな多種多様の新しい本とも出会える面白さから
大学卒業まで3年半通いつめてはたらいた
そのアルバイト先で、出品されずに流れてしまった
スタッフ持ち帰り自由本の山の中に開高健がいた
バットさんを思い出して読んでみるかと持ち帰った『青い月曜日』
最初の20頁くらいは幾度となく読んだけれど現状4年ほど積読されている
開高健は気難しい人だという感想
そして今、バットさんとその『青い月曜日』を思い出しながら
『開高健の本棚』を読んでいる
過去の自叙話をひとまとめにした一冊で、これが面白すぎたのです
だから今このnoteを書いている
やっと本題に辿り着いた
開高健ってこんな人だったのかと拍子抜けする文体
バットさんの話が5年越しにやっと理解された
食い入るように読んでいて
気づくと姿勢がとんでもないことになっている
頁と顔が10センチくらいまで寄っていて
ほんとうに、現実的に、食い入るように読んでしまう
にやつきが止まらない
昨年、米澤穂信『追想五断章』を読んで以来の面白さ、止まらなさ。
あのときも横断歩道待ちですら慌てて続きを読んでいたくらいにハマった
言葉にユーモアがある
こうやって本を読む人がここにいたんだと思わせてくる
作者がわたしに憑依してくることはたまにあるけれど
わたしが開高健に憑依してしまう引き込まれようで我にかえるとくらくらする
的確な感情表現、ユーモアに長けた比喩、言葉のリズム
悪徳屋はいまも開いているんだろうか
バットさん(多分)は今どこにいるんだろうか
まだ開高健を好いているだろうか
あの時はごめんなさいわたしも開高健好きになりましたって言ってみたい
来年の戦争本までに『青い月曜日』読みます
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