見出し画像

(notitle)

久しぶりのnote

冬になったからなのか
わたしがひとつ大人になったからなのか
記すことは何もなかった

日日は相変わらずに澄んでいて 綺麗で
自然、深呼吸が増える
つめたい空気の深呼吸は
わたしがまるごと清らかになるから すぐしちゃう

綺麗な景色が目に入ると
うれしくて深呼吸
落ち込んでいてお布団から出られない日が続いたら
ひとまず深呼吸
何にもなくても 空を仰いだら
とりあえず深呼吸

中川李枝子が亡くなって
せなけいこが亡くなって
谷川俊太郎が亡くなった

ひとまず深呼吸

その間、本とは関わりない著名人の訃報もいくらか目についた

もう一度深呼吸

わたしの身近な人の死は
はじめが幼稚園のころ 父方の曾祖母
二度目が小学一年生のとき 父方の祖父
三度目が小学三年生のとき 母方の祖父
それからたくさんの親族を見送った
いちばん最近が一昨年だったろうか母方の曾祖母

みんなの生前をわたしは覚えている

父方の従兄弟に 生まれて間もなく死んだ子がいたと聞いたのは
幼稚園生の頃だった
仏間にかかる戦中と思われる人びとの遺影を見て
ひとりひとりとの続柄を毎年のように何度も聞いた

生前を知らぬ者の死もある

物心もつかぬ幼少期から 継続して人の死を体験するということ
いまならその有難さがとてもよくわかる
近親者を見送ることは私の死生観を豊かにしたのだと思う

特別に信仰深い家系というわけではないのだけれど
幼少期から毎朝 神棚と仏壇には家族並んで手を合わせていた
お正月の三社参りや節分の厄祓、盆迎え盆送りは 家族の年間行事だった
わたしはおそらく同世代のなかでも より深く より強く
ご先祖さまとのつながりや 死んでいったものたちへの想いがある
それが何なのか言葉にすることは難しい

だけれど
同世代の友人たちの死生観に心ざわめくことが多いから
現代の人びとの死生観にいちいち傷ついてしまうから
過去に何万人とが言葉にしたであろうことを
私はわたしを救いたくて そのために今ここで言葉にしてみる

私たちは今こうして生きているこの瞬間も終わりへと向かっていて
それは大好きだったあの人たちが死んでいったことと何も変わりなくて
そうして私が死にゆくときにはまた
これからを生きる人びとが少しだけ泣くのだろう

少しだけ泣いたあとはまた
これからの日日が続いてゆくのだろう

わたしたちは悠久のときのなか
人類のいとなみの繋ぎ目のひとつとして ひとりがあって
そのひとりを生きているのだと思う

────────── ー ──────────
                                      ↑
                                      今

今、生きている人口って全部のときを思うとこれっぽっちだと思ってしまう


中川李枝子、せなけいこ、谷川俊太郎
彼らの死は悲しかった 哀しすぎた 今もその死を偲んでいる
そうして彼らが生きていた日日があることを胸に それを頼りに
わたしは今日も生きてゆく ほか仕様がないのだから

明日、友人が結婚式をする
祝いにゆく
そして明日という日は、5つ上の先輩の一回忌である
その年の夏に挙式した彼女は
数ヶ月後 「いい夫婦の日」に事故に遭い帰らぬ人となった
職場のグチを笑顔に変える人だった

わたしは苦しい
同僚の命日に、友人の結婚を祝う
これが
“ わたしたちが悠久のときのなかに生きる ”ということなのだと思うと
どうしてもわたしは苦しい

明日の私はきっと
祝い、友人の幸せに涙しながらも
式が終われば落ち着かぬ心をたずさえて
この気持ちと共に過ごせる人も見つけられずに
ひとり帰路に着くのだと思う

人は、生きものは、簡単に死んでいきます
ほんとうです
それはあまりにもあっけない
こちらがどれだけ泣き叫んでも死んだ人はもう微笑んではくれない

大地は、そんなひと粒ずつの生死をすべてのみこんで 今も変わらず運行している

「どんな些細なことも宇宙が念のため記憶しておいてくれたらいいのにってたまに思いませんか」

『真夜中乙女戦争』

だからわたしは、わたしが見たすべてのものの生前を
できる限り記憶しておきたいと思わずにいられない
小さな小さな命でも
今日、店のカーテンを歩いていたあのダンゴムシの散歩も全部、ぜんぶ
覚えておきたいと思う

そうして大切な人びとが死にゆくとき
「わたしが覚えているから大丈夫、安らかに」
そう言ってやりたい

先輩はこの秋晴れの空に 今日も笑っているのだろうか
絵本の大御所たちに会ってしまったよなんて言っているんだろうか

こっちはろくにお別れも言えぬまま一年を過ごし
ちょっと泣きたいくらいだというのに

1121

いいなと思ったら応援しよう!