
日本のことば 日本人のこころ
ここひと月くらいの話
“食べること” “殺すこと” “自然” “信仰”
こんなことが いろいろの人と 何度も
話題になった
関連する本をよく手に取るようになっていて
海外文学に偏った摂取をしていたと思う
『ウォールデン 森の生活』を読みながら
とてもいい言葉たちであるとは思いつつ
気の抜けた不覚の時折訪れるささやかな不快感を無視できずにいた
一体その文章の何が不快なのかわからぬまま
少しずつ読み進めていた
そんな中、
花屋の店主と かっこいいおばあちゃん篠田桃紅の話をしたり
職場の人と 岡潔の話をしたり
『縄文にハマる人々』とかいう題のドキュメンタリーを観たり
、、そんないろいろのことが続いたせいもあって
日本文学に「そろそろ帰ってこい」と言われている気がした
いつぶりかの岡潔『日本民族の危機』を読み
『森の生活』と読み比べながら
改めて日本人というものについて感心し
ここ最近の話題につられて宮沢賢治を開き
お向かいさんから寄贈していただいた『こころの文庫』シリーズを
毎夜読むようになった
わたしはきっと
“日本人が 日本人のために書いた文章” と
“教育について特に思慮深い人” とが特別に好きなんだと思った
ここ何日も『こころの文庫』シリーズにひどく感激していて
これを置いている以上
もはや月桃に置くべき本はもう他無いのではないか
そう思えるくらいに日本人の心を拾っている
“時代は変わっても格言って変わらないよね”
そんな使い古された台詞はばかばかしいのだと思った
格言が変わらないというよりかはきっと 世界が不変なのだろうと思う
わたしたちの世界の見方は時代と共に 都合よくころころ変わり続けるが
世界のほうは何も変っておらず 自然に則って進行し続けている
幾日か前、トランプさんが大統領になったらしいと
手元の文明の利器が画面に映し出したとき 私は友人と一緒にいた
「人間のDNA解読がすべて終わったとされたとき
人間はクラゲよりも単純な塩基の組み合わせでできていることがわかって
学者たちは青ざめたんだよ、
ニンゲンはこんなにも有能で高等な生きものなのにって」
トランプさんの話からなぜクラゲの話になったのか
もはや思い出すこともできないけれど そのときに友人から聞かされ
わたしはこの話をほんとうかどうか確かめることもなく
捲し立てるように呆れを漏らした
「学者のくせして馬鹿なのかな、、
わたしにはこんなに迷ってばかりの生きものが
クラゲよりも有能だと信じられるその気がしれない。
どう考えても
迷いなく瞬時に行動出来る生きものが生物的には有能だとしか思えない。
人間はとても弱くて いつも迷うけれど 物事をよく考え 心を優先に行動できるから
世界の覇権を任せてもらっているだけだと思う
どんな集団も同じくして 弱いが賢いものに支配権を委ねる場合にのみ存続できる。
そして今こうして支配権を行使している以上、わたしたちは賢くあり続けなければいけない。もしこれ以上おごった態度で居ようとするのなら 絶滅への一途だよ
世界が 自然が 許してくれるとはとても思えない。」
偉くもないのに つらつらと
こんな言葉を垂れるわたしにも呆れる
夏になれば無駄な殺生してばかりのわたしがよく言うわと思う
よく喋るやつは信用ならないと こころの文庫で今日読んだ
確かに凡庸な私の思いつくようなことだから
偉い人はずうっと昔からそう言っていて
結局のところ今は踏みとどまっているのだから
わたしたちは間違っていないのかもしれない
ほんとうにこのままで大丈夫なのかもしれない
プラスチックを分解できる生物は今後必ず現れると私もそう思う
人間の作ったものの分解くらい 自然界には朝飯前だろうと思う
偉大なる自然を前に杞憂なのかもしれない
それでもやはり人類を信じてよいのか 自信がない
どのやり方で異文化と同化していくか
よく考えておかないと
ほんとうに人が人でなくなるのは時間の問題となってしまう
人が人でなくなったとき 世界は私たちを受容してくれるのだろうか
そう思ってしまうのだけれど
もしや世の中でのそんな議論はとうに終わっていて
わたしという存在も一緒くたになったまま
どこかわたしの知らない場所にきちんと向かってしまっているのだろうか
、、、あれ。
私はこのnoteを書き始めたとき
今日は『こころの文庫』シリーズを褒め称えるnoteを
という気持だったのだけれど。
また今日も頭の中が出たがりさんになってしまった
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