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いちばんほしいもの と その次 と しあわせについて

ぐるぐるぐるぐる、るるるるるるる
頭の中で考え事が駆け巡る、るるる

あの人と あのとき話した あの話と
この人と このとき話した この話と
その人と そのとき話した その話と

あれもこれもが結びついて
公平な世界で ひとり残らず 皆がしあわせに過ごすことはできないのか
もうこの人間社会でそんな願いは手遅れで片付けられてしまうのか
そんなことを考えてみる

しあわせに この命が尽きるまで ただしあわせに暮らしつづけたい
ほかに欲しいものはない
私がしあわせに暮らすために 世界中の生きとし生けるものすべてが
しあわせに暮らしていてほしい
ほかに願いなどない

そんなふうに思う

公平な世界
どんな世界だろう
いろいろ、いろいろに考える

健康で 文化的な 最低限度の生活を保障する日本国憲法

最低限度、、、
誰かを救おうとして講じた処置は必ず誰かを排除する
では、とその溢れた人を救おうと処置を講じる その中からまた誰かが排除される
そうしていくと事態は複雑に絡まりあって
はじめのはじめに救おうとした人たちが知らぬ間に溢れていたりする
だからシンプルで簡潔に 最低限を保障する
わたしは悪くないなと思っている
だけれど、
最低限の生活を保障されていればみんながしあわせに暮らせる社会では
満足出来ない人々がいる
最低限の生活でしあわせだったはずの人たちを
食いものにしようとする人たちがいる
どうして私たちはひとり勝ちしたくなってしまうのだろうか
何かを 誰かを 管理下に置くことを優越に感じてしまうのだろうか

確かに、ここまで高い知能を持ってして 能力を封印するのかと問われると尻込む
この知能を封印した時点で人類はきっと 生き残りの争いに負けてしまう
生き残るために知能を振るう それは人類存続のため
わかる、全体は掴めなくてもわたしにもその思いはわかっていると思う

ただ、
人類存続のための知能が 人類を苦しめてはいないか

学校という場所で 、先生と呼ばれる大人たちは
仲間であるはずのおなじ大人たちに苦しめられてはいないか
先生よりも親は上か下か
ということを考えている大人が多すぎやしないか

そろそろいいんじゃないかと思う
上下を比べるのはやめにして
みんなが ただただひたすらに 生命を実行することは難しいんだろうか
しあわせは誰かがもたらすものではない
あなたが わたしが 自分の内側に感じるものではダメなんだろうか

そんなことしたら秩序が、、、経済が、、、
わかっている、欲というのは尽きない
だからわたしが今願っていることもわたしの止まらない欲のひとつだと思う
それでも、
秩序というのはつくるより生まれるほうが自然だと私は思うし
経済が好転していないとしあわせになれないというシステムを採用している
そのこと自体が疑問なのです
それではしあわせになれないとわかっているのに
計算ではそれがしあわせへの第一歩だと出ているから採用してみた
そうしたら、やめられなくなった
でもそれもきっとしあわせを追い求めて実行されたまでのことで
もうやめられなくなったこの時代に腹を立ててもしようがない

わたしは今いちばん欲しいものを全部持っていると思う
時間や場所、仕事、人
ただ、わたしを取り囲む人々にしあわせそうでない人が多すぎる
だから、腹が立っているのかもしれない
社会がしあわせを奪っているのか
当の本人がしあわせを手放しているのかわからないから
誰に問えばいいのかわからなくて腹が立っているのかもしれない
みんながしあわせでいてくれないと わたしもしあわせでいられないのは
子どもすぎるだろうか

2番目に欲しいものたちを手に入れようとしたとき
知らぬ間にいちばんを手放してしまう可能性を誰もが忘れないでほしい
かくいうわたしも

いちばんのしあわせは自分で守らねばならないのだと
みんなが勝手にしあわせになっていてほしいと
そんなことを思う


、、、これは締まっているのか、ここで締めていいのか
たくさん書いたけれど
最近観ているアニメの暮らしがたまらなく好きでしあわせってなんだろう
なんてことをいつも考えております、る
そんなnoteです、る

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