山本たくみの皆もすなるエッセイを(4) 【金曜日記事】
わたしは小学校の教員をしておりまして、今年で8年目になりました。先日、教員としての1年を俳句の連作にしました。こちら⇩
今回はお仕事の話をしていこうと思います! 暗くなったらすみません。
なぜ教員になったか
子供の頃の夢。色々あったような気がします。思い出せるだけでもウルトラマンやアナウンサー、コンビニの店長などなど。そんなわたしも小学校高学年には「学校の先生になりたい」という夢をもちます。いい話ですね。きっかけは5、6年生の時の担任、中村先生。良い先生でした。ああいう人をカリスマと呼ぶのだと思います。群馬の片田舎、ちょっと荒れた学校でした。高学年くらいになると子供達もだんだん大人に反発するようになりますが、みんな中村先生の言うことだけはしっかり聞いていました。一言でいえば人間性が魅力的。人が面白いので授業も面白い。メリハリがあり𠮟ることを恐れない。そんな先生でした。自分が教員になった今思うのは、相当な時間をかけて準備をしていたのだろうということです。そしてその疲れを子供達の前では一切見せない。やはりすごい人でした。毎日を楽しそうに過ごしている、そんな姿にあこがれて(騙されて?)わたしも先生になりたいと思うようになりました。
月日は流れ、わたしは高校3年生。進路を決めなくてはなりません。小学校以来、他にこれといった将来の夢もなく、かといって絶対に教員になりたいといった情熱もなかったわたしは、担任に相談し、いくつか進学先の大学をピックアップしてもらいました。当時のわたしの最優先事項は「一人暮らしをすること」。できれば東京に出たい。親からの条件は「私立にやる金はない」。以上に合致する大学を見付け、なんとか無事合格しました。小学校の教員免許に加え、中高の国語の教員免許が取れる学部学科でした。
大学時代はサークル活動に明け暮れ、気付けば4年生。就活をする意欲もなく、中高の教員は部活で土日が無いに等しいと聞いたわたしは、半ば消去法的に小学校の教員になることに決めました。
最後はネガティブな動機に見えますが、それこそがわたしの教員としての強みだとも思っています。わたしより情熱のある教員はごまんといますが、得てしてそういうひとほど潰れてしまいやすくもあります。頑張りすぎてしまうんですね。わたしはある程度仕事として割り切っている部分があります。今日できないことは明日の自分がやる。もちろん大変なときもありますが、夏休みがしっかり夏休みで(最高35連休)俳句の授業なんかもできたりする(次章で詳しく)。なかなか良い仕事ではないか、と言い聞かせ自分を肯定して8年やってきました。なんかちょっと暗くなってきましたが楽しくやってるのは本当です。教員、楽しいですよ。そこのあなたもぜひ。
教員と俳句
教員になってから俳句を始めたわたしですが、授業で俳句やったら楽しいのでは! と気付くのにそう時間はかかりませんでした。幸い自分の色を出すことに寛容な職場であったため、どんどん俳句教育にのめり込んでいきました。
例えば俳句通信と題してクラスの俳句活動についてのあれこれをお便りにして出したり、
クラスで句会をして子供達の選に入らず、大人げなくへこんだりしました。
わたしは上記引用元の日本俳句教育研究会という団体に所属しています。
夏井いつき組長が副会長を務めています。今年度「第1回全国教室俳句コンテスト」というのが開かれるとのことなので、それに向けても頑張っていきたいですね。そういえば組長は8年間中学校の国語教諭をしていたので、年数だけで言えばとうとう並んでしまいました。時の流れは恐ろしいです。
ちなみに句作という面でみると、学校には季語もたくさんあり良いように思いますが、そもそも仕事以外の時に仕事のことを考えたくないので学校句はあまり作りません。しかし気付きました。空きコマに作ればよいと。もし指摘されても俳句の教材研究ですと言い張れます。素晴らしいですね、教員という仕事。やはりあなたもぜひ!