かけがえのない存在。こどもも、あなたも。
私には、普段から心がけていることがあります。
それは、「また会いたい人になる」ことです。
子どもと離れて暮らしていると、いろんなことを考えます。
自分と会えなくなった子どもたちが
つらい想いをしているにちがいない…
寂しい想いをしているにちがいない…
子どもたちにそんな想いをさせておきながら「自分だけが人生を楽しむ」なんて絶対許されない…
私も、ずっとそう思っていたのです。
離婚してから約2年経った頃のことです。
元夫の一方的な決断によって、急に、子どもたちに会わせてもらえなくなりました。子どもたちとの接点を突然絶たれてどうすることもできず、もがいているときに実姉に言われた言葉を、私はいまでも忘れることができません。
「自分のことより、子どもを何とかしてあげるのが先でしょ!!!」
「私だったら真っ先に子どもを助けにいくけどね!」
まるで、私が子どもを捨てたように決めつけ、とても強く言い放った姉の言葉を聞いて
私には「母親失格」という烙印を押された気持ちになりました。
当時、姉は「子どもの親権を持たない別居親は、法的には何もできない」という事実を知らなかったのです。
私は深く傷つきましたが「なんにもわからないくせに!」という言葉すら、言い返すことはできませんでした。
職場でも、私に対してシングルマザーの同僚の噂話が人伝手に聞こえてきました。
離婚経験者だから共感してもらえるかもしれないという期待は粉々に砕け散りました。同じ離婚経験者とはいえ、状況が違えば共感なんてできません。シングルマザーの彼女たちは子どもを引き取って同居しているので、別居親の私の立場や気持ちはわからないんだなと思い知らされた瞬間でもありました。
私に対して冷たい視線を向けたのは、姉や職場のシングルマザーの同僚だけではありませんでした。
親権取戻しの調停をするために年配の女性弁護士を訪問した際にも「あなたは見た目が母親らしくないから、調停を起こしても有利にはならない。やるだけ無駄だ。」とキッパリ断られました。同じ女性からの眼は、子どもを引き取っていない母親に対してとても厳しく、凍りつくほど冷たかったのです。
子どもたちと会えなくなって、独りぼっちで、苦しくてつらい想いをしながら何とか毎日を生きのびているような状態。何を食べてもおいしいと感じない。食べ物の味もわからないような時代でした。もしかして自分は、この世に生きている価値すらないんじゃないかと思いつめ、自己肯定感はどんどん下がっていく一方でした。
そんな状況でも、私を応援してくれる人がいました。職場で、一番近くにいた女性の先輩です。いつも優しくアドバイスをくれたのです。それがきっかけで私は、少しずつではありますが、自信を取り戻していくことができました。そのことはこちらに書いています。 負のスパイラルからの脱却
自信を取り戻していく過程の中で、ある考えが思い浮かびました。
つらいんだよ、苦しいんだよという顔をして憔悴しきっている母親に、子どもは「会いたい」と思うんだろうか…
もし自分が子どもの立場だったら、そんな親に会いたいと思うかな。いや、むしろ、絶対会いたくないなと。
じゃあ、子どもの私が「また会いたい」と思う人は、どんな人だろう?
それは「人生を楽しんで、自分自身に自信を持ち、充実した日々を送っている人」だと思ったのです。
人生を楽しむ定義は、人により違うかもしれません。
私の場合は、
自分と向き合い、自分を理解したうえで、自分が本気で楽しんでいる
そういった自分軸が大切だということに気が付きました。
自分が心から楽しんでいないのに、他人を楽しませることなんてできない
自分が充実していないのに、他人を助けられる余裕はない
自分を大切にしていないのに、他人を大切にはできない
何事もまずは自分からです。足元を固めましょう。自分が充実してこそ、他人に何かしてあげられる余裕ができる。私はそう、思っています。
「一度きりの人生を楽しもう。」
これはけっして刹那的な意味ではありません。むしろ限りある「いのち」を丁寧に生きることにつながると思うのです。
そう思って行動するように心がけて日々を生きていると、不思議と同じような人との出会いがあり、瞬く間に状況が変化していきました。
そして、「自分は世界に一人しかいない、かけがえのない存在」だと自覚できるようになった頃から、人生が良い流れになってきたのです。
もし、いま、このブログを読んでいるあなたが、行きづまりや八方ふさがり、孤独を感じていたとしたら。
ほんのちょっとでいいんです。視点をまず自分に向けるところから始めてみてください。