Dior

結婚、出産、離婚を経験して、離婚後に子どもを 引き取ることができず。子どもと会えない孤独、自分をも信じられない自信喪失という、どん底の中で、少しずつ自分と向き合い、今では強くたくましく、楽しく、自由に生きていけるようになった。今までの過程などを書いていきます。

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結婚、出産、離婚を経験して、離婚後に子どもを 引き取ることができず。子どもと会えない孤独、自分をも信じられない自信喪失という、どん底の中で、少しずつ自分と向き合い、今では強くたくましく、楽しく、自由に生きていけるようになった。今までの過程などを書いていきます。

マガジン

  • 離婚して子どもを引き取れなかった母の奮闘記

    3人の子ども(男2女1)と会えなくなるも、長女の家出がきっかけで一緒に暮らすようになった。今では長男、長女と暮らし、次男とも連絡を取れるようになった。 「子どもが会いたくなる人になる」をモットーに、いつも前向き、何かにチャレンジして突き進んでいる。

最近の記事

かけがえのない存在。こどもも、あなたも。

私には、普段から心がけていることがあります。 それは、「また会いたい人になる」ことです。 子どもと離れて暮らしていると、いろんなことを考えます。 自分と会えなくなった子どもたちが つらい想いをしているにちがいない… 寂しい想いをしているにちがいない… 子どもたちにそんな想いをさせておきながら「自分だけが人生を楽しむ」なんて絶対許されない… 私も、ずっとそう思っていたのです。 離婚してから約2年経った頃のことです。 元夫の一方的な決断によって、急に、子どもたちに会わせても

    • ⑱次男が20歳になり、「親権」から解放されたものの長男と次男の間にできた亀裂

      子どもを育てている親が離婚した場合、直面する問題が「親権」です。海外では「共同親権」といって父親と母親の「双方」が親権を持ちますが、日本は「単独親権」といって「どちらかの親」にしか認められていません。これは子どもが成人するまで続きます。 その子を産んだ母親自身であっても、必ず親権が取れるとは限りません。父親側が親権を獲得し、子どもと同居することになったとします。「別居親である母親が自分の子どもに会えるかどうか」は同居親である父親次第。同居している親が子どもと会わせることを拒

      • 長男には話しが伝わらない、その理由

        長男は16歳のときから私と一緒に住んでいます。 高校生だったので、学校のことや進路のことなど大事な話をする場面があります。しかし私の話はまったく受け入れてくれません。 長男は元々良くしゃべる子で、長男から相談してくる話については、私の意見を聞きますが、長男が要求していないことを私が持ち出しても受け入れてくれませんでした。 父親からの影響を受けているから、私の意見は聞かないのかなと思っていました。 私とは離れて暮らしていた期間があったから、母として認められていないのかな、など

        • 面会交流支援をしている私から、あなたに伝えたいこと

          子どもがいる家庭が離婚をすると、どちらか一方の親が子どもの親権者になります。多くの場合、親権者は同居親となります。 子どもと非同居親が会うことを面会交流と言います。 自分の子どもに会うのに「面会交流」という言葉に抵抗ありますが、日本の民法ではそう言います。 この面会交流が父母の話し合いでスムーズに実現できない場合、第三者機関機関が間に入って調整をします。 お子さんの受け渡しや、付き添い等の支援を行います。 私は2014年から、第三者機関で面会交流支援をやっています。 自分

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        • ⑱次男が20歳になり、「親権」から解放されたものの長男と次男の間にできた亀裂

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        • 面会交流支援をしている私から、あなたに伝えたいこと

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        • 離婚して子どもを引き取れなかった母の奮闘記
          19本

        記事

          11年かかって次男と再会~今までごめんねへの返事が「もう時効だよ」

          長女、長男と一緒に暮らし始めましたが、次男とは会うことさえできていませんでした。 次男は末っ子という事で、上の子2人を育てていた時より、子育てに余裕もあり、とにかく可愛くて、孫のような感覚でした。 次男が3歳の時に離婚し、5歳までは会っていましたが、それっきりでした。 たまに次男の夢を見ます。夢の中の次男は5歳の頃のままで、「ごめんね、ごめんね」と次男を私が抱きしめていて、目が覚めた時には切なさでいっぱいの気持ちが残ったまま、私の中では一向に大きくならないのです。 長男に

          11年かかって次男と再会~今までごめんねへの返事が「もう時効だよ」

          長女と長男の大喧嘩~あんたなんか兄だと思ってない

          長男は「俺様」的な態度があり、妹に対しても、「これやれ」、「あれやれ」と命令口調です。 娘にとっては、私との二人の生活は居心地の良い環境でした。 それが、兄は自分よりも後から来たくせに、偉そうに振舞います。 娘からすると居心地の良い環境が兄のせいで一変してしまったと感じることがあったようです。 警察沙汰だの脅迫だのさんざん問題を起こしている兄に対して、娘は呆れていました。 それなのに家で偉そうにして、娘に命令口調で言ってくるので、ある日ちょっとしたことから兄妹喧嘩が勃発しま

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          離れて暮らしていた長男と一緒に暮らすようになるも、不安定な精神状態の長男

          長男がこちらに来た時は16歳で、娘がきた小学6年生の時とは、全く違っていました。 年齢的に思春期ど真ん中、反抗期もあったでしょう。 口では一人前の事は言うけど、まだまだ子どもで 、1人では生きていけない。 弟のことや、父親のこと継母のこと、義理の兄たちのこと、長男の心の中はぐちゃぐちゃだったと思います。 高校の友だちと遊んで帰って来ないことも、しょっちゅうでした。 友達のケンカに巻き込まれて、夜中の3時に警察から呼び出されたり、友だちからリンチを受けて動けなくなり、朝電話

          離れて暮らしていた長男と一緒に暮らすようになるも、不安定な精神状態の長男

          娘との暮らしが始まり、その後、長男とも一緒に暮らすことに

          娘との生活では、母親としての自信が全くありませんでした。子どもに対してどうしてあげていいか、どう接したらいいか長く離れていると忘れてしまっていたのです。 娘と一緒に居られることが嬉しい半面、私は、母親としての自信を持てずにいました。 娘は、洗濯物を畳んでおいてくれたり、母の日にはプレゼントをしてくれたり、娘なりに色々と私を喜ばせようとしてくれていました。 会社から仕事は定時で上がれるように配慮をしていただけたので、離れていた期間を取り戻そうと、娘と一緒に勉強したり、学校行事

          娘との暮らしが始まり、その後、長男とも一緒に暮らすことに

          父親が娘を呼び戻そうとするも失敗、そして親権者変更

          娘が私のところから交通機関を利用して小学校に通い始めてから、1週間ほど経ったある日の事です。 継母と、祖母(父方)が娘と話をしたいと、小学校の下校時に2人で来たそうです。 そのため、帰宅時間が遅くなると担任の先生から連絡がありました。 私は娘が連れ戻されるのではないかと居ても立っても居られない気持ちでした。 先方は、父親が後悔しているから戻ってきて欲しいと言っている、兄や弟とも離れ離れになり1人で寂しい思いをすることになる、などを話して、娘に本当にこれでいいのかと判断を求

          父親が娘を呼び戻そうとするも失敗、そして親権者変更

          離婚して親権取れず6年間離れていた長女と一緒に暮らすことに

          長女と離れて暮らしてからすでに6年が経過していました。 当時6年生の長女とあまりにも突然一緒に暮らす事になり、嬉しい気持ちの半面、独り暮らしが長くなり、仕事や交友関係も家庭にいた頃とは違っていたため、それらをどう調整したらいいか、娘とどう向き合ったらいいか、自分の気持ちの整理も含めてあたふたとしていました。 1人で考えても埒が明かないので、娘のことは区役所の子ども課に相談することにしました。 <娘の学校のこと> まずは区役所の子ども課へ行き、親権者ではない私が何をどこまで

          離婚して親権取れず6年間離れていた長女と一緒に暮らすことに

          離れて暮らす長女の家出から、私と一緒に暮らすようになるまで

          家出をした娘(当時5年生)の精神状態が心配だったので、習い事がある日はその場所に行き、娘を見守るようにしました。 ただ、この頃、今まで好意的だったママ友から苦言を呈されました。 「行動を起こした娘に対して、それをどうしてあげる事もできないなら、会うべきではない 」と。 ママ友がそう言うには理由がありました。 家出をした翌日、通常通り学校に行った娘は、家出をして母のことろへ行き、警察が来たことを平気な顔でお友達に話したそうです。 1つ目は、大人や警察を巻き込んで大それた事を

          離れて暮らす長女の家出から、私と一緒に暮らすようになるまで

          離れて暮らす長女が私のところへ家出してきた日のこと

          娘と会えなくなってから2年が経ち、離婚から4年めに入った頃のことです。様々な勉強会に参加して「子どもに愛してると伝えよう」と意を決して、娘と再会しました。 その後もたまに学校開放日に行ったり、休日の習い事を狙って会いに行きました。 ある日の夕方、唯一のママ友から電話があり、娘が「ママに連絡して」と、ママ友の家に来ていると。 家には帰らないと言っていると。 私は驚いて会社からすぐに帰宅し、車でママ友の家に向かいました。 私が迎えに行くまでの間、兄が探しに来たそうですが、娘が

          離れて暮らす長女が私のところへ家出してきた日のこと

          離れて暮らす長女との再会

          離婚してから4年、子どもに会えなくなってから2年が 経った頃のことです。離婚後の子どものメンタルに関する勉強をしているうちに、子どもは両方の親から愛されていると実感することが健全な成長には必要だと知りました。 思っていても伝わらない、言葉で伝えることが必要だと知り、子どもに会いに行こうと決意しました。 私は、学校の通学路で待つ事にしました。 1回目のチャレンジで中学生の長男には会えたものの、小学5年生の長女と2年生の次男の通学路を間違えてしまい、会うことができませんでした。

          離れて暮らす長女との再会

          離れて暮らす長男との再会

          子どもにお誕生日プレゼントを送っても、せっかく選んだプレゼントは受け取り拒否で戻ってくる 。元夫のことが心底怖いと思っていたので、子どもに対しては何もできないでいました。 子どもに会えないということを、受け入れてしまっていた自分もいました。 やっぱり子どもに会いたい! そして、「愛してる」と伝えなきゃ。 色々な勉強会に参加してそう思うようになりました。 私の場合、相手方は結婚当初から住んでいる場所は変わっていませんでした。 子どもの通学する学校も分かっていました。 ま

          離れて暮らす長男との再会

          子どもと会えない期間にやったこと

          子ども達と会えなくなり2年が経過したころ、同じ境遇の同級生から、「くにたちの会」という子どもと会えない親の集まりがあるから一緒に行こうと誘われ、行くことにしました。 そこには私と同じような想いをしている人達がいました。 しかも女性もいたことで、自分だけじゃなかったんだと、何とも言えない救われた気持ちになったのを覚えています。 現在も自助会が行われています。 子どもと会えない親の集まりというと、なんだか暗いイメージがあるかもしれません。 でもそこは、「親子が自由に会える権

          子どもと会えない期間にやったこと

          負のスパイラルからの脱却

          子どもと会えない現実が辛く、子どもの事は諦めようと蓋をしました。 心の中に空いてしまった隙間を別の事で埋めようともがいている中で、会社の先輩から自分に自信がつくから何か資格を取ってみたら?とアドバイスをもらいました。 資格を探していたら、その当時通っていたエステサロンのオーナーからネイリストにならないかとちょうど誘われて、そのサロンでネイルを習う事に。 接客できる内容を一通り教わり、お客様に見習いとして施術できるようになりました。そうなるともっと上手になりたいと想い、ネイル

          負のスパイラルからの脱却