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25歳、就活はじめました

大学3年生、周りの人たちはこぞって就活を始めた。

みんな同じ髪型で、
みんな同じスーツで、
同じような教えてもらった言葉で、
練習をして臨む面接。
そんな就活に意義が見出せなくて、
決まっている形の書類で誰かに判断されることが怖くて。
ーわたしは就活を放棄した。

当時のわたしは、学生団体の繋がりやインターン先からの紹介や友人関係の繋がりで安心しきっていて、みんなと同じ就活という活動から離れ、自分の力みたいなものをただただ評価されることを信じていたし、目指していた。
なんなら「こんな優秀な人をとらない会社の方がおかしい」なんて大口叩いては(本当に言ってた)、心のどこかで抱える不安から目を背けながらwantedlyやこれまでの繋がりの中での出会いに期待をしてなにもしなかった。

そんなわたしの25歳初めての就活の話。

自分の意志で生きられてたっけ?

大学を4年生の1月に辞めたのは、時間を、お金を、その時間やお金でできる経験を諦めたくなかったから。すでに休学1.5年間。
卒論を提出するだけでもらえたはずの大卒という切符をわたしは自ら捨てた。

もちろん、「勿体無い」という声は年上にも年下にもたくさんもらったし、両親にはただただ「ごめんなさい」と思った。辞めてから「今何してるの?」と聞かれては説明するのだって面倒だった。

ただ、自分で決めたと言うことだけ、やけに自信があった。

私以外の誰かのための人生ではないし、私のことを信じてない誰かに心配されるほど自分の人生テキトーには生きてはいない。それに、私の家族のことや生き方や経験全てを理解してる人なんていないのだから余計なお世話だ。
ただ、そう豪語するわりに、私自身も社会のことを何も知らなかったし、知ろうとしてなかったのだろう。そんな私は突然世界を襲ったコロナウイルスによって泣く泣く就活というものを始めることになる。

在学中から就活が大っ嫌いだったのは冒頭通り。さらに厄介だったのは、好きで続けていたものや、ひょんなことから出会って頑張っていた活動が強い武器になりうることを分かっていたことだ。
「学生団体の代表をしていました」「株式会社CRAZYで現場のマネージャーを5年間してました」「塚田農場のNo.1店舗でホールのアルバイトリーダーをしていました」「インターンに5社行きました」
このステータスだけでも、面白そうな子かもしれないと評価もされただろう。ただ、それだけで「私の何がわかるの?」と言いたくなってしまう私のひん曲がった性格は、むしろこの経験だけで判断されることを嫌った。そこから深掘りされる考え方とか生き方にちゃんとスポットを当ててほしかった。人として好きになりたかったし、なって欲しかった。

私はフリーランスになった

それは結果論で、就活中、一緒に働きたいと思った会社さんや社長さんとも会えたし、感覚だけの私を魅力的だと笑ってくれるたくさんの人とも出会えた。ただ、私の実績が足りなかったり、求めるものが一致しなかったりと、残念なお返事が続いてはえぐられるように自信を失っていく毎日も経験した。

私は何になりたいんだろう、どんな人と一緒に歩みたいんだろう、と毎日考えるような日々だった。

その先に、私はフリーランスでいろんな人と自由に生きてみたいと思ったのだ。

今もまだ十分な稼ぎがあるとは言えないし、なんなら1つの会社に所属してたりもする。「こんなスキルがあります」と伝えられるようなものもない。誰も何も教えてくれない日々にいまだにビクビクしたり、自分で勉強するから時間がかかったり、一人じゃ進めなかったりする。自由には程遠い。けれど、自分で決めた責任を手にしたようには思う。頑張るにも頑張らないにも自分次第だ。

大勢の人が一気に始めるあの就活をしていれば、きっとこんなに悩んだり、会社に所属することから疑ったり、そもそも働くとは?お金を稼ぐとは?みたいな問いだって必要なかったかもしれない。こんなに時間をかけることもなかっただろう。
比べる相手がいないから常に問いと向き合うしかなくて、それでも時間をかけていろんなサービスや人と会って、自分の価値観を見つめたりして。本当に神経を使ったし、たくさん時間もかかったし、いろんな人に背中を押してもらったり、アドバイスしてもらったり、いろんな人の時間をいただくことで成り立った期間だった。
そういう意味で、一斉就活はストレスをある種最小限に抑える仕組みかもしれないと思った。ただ、「大橋優奈」と真剣に向き合い、私にとってのベストを一緒に選んでくれる人はいたのだろうか?

一斉就活なのか、そこから外れるのか

どっちでもいい。ただ、どっちがいいかは自分で決めたらいいと思う。
わたしは、自分が働く会社を自分の意思で選びたかっただけだ。

ただ、社会に物申したいのは、会社が選んで、就活生が選ばれるという構造はもっと変わった方がいいということ。学生とはいえ、22歳までそれぞれ違う人生を歩んでいる。親が突然離婚した人もいれば、大切な人をなくした人もいるだろう。はたまた、昔ヤンチャをしていた人もいれば、真面目に授業を受けていた人もいれば、留学した人もいれば、漫画が好きな人もいる。音楽をやってた人とスポーツをしていた人だと感性や感覚は違ったりする。それを履歴書なんかだけじゃなくて、ちゃんとみてもらって、会社の考え方と合うかどうかで、会社が必要としてるタイミングなのかでお互いに決めたらいい。

「就活生が会社に告白をして、会社側が受けるか、断るか決める」という構造じゃなく、そもそも告白するまでの間にお互いを知っていく必要があるんじゃないかと。一緒に過ごしてみてすり合わせる必要があるのではないかと。

私は5年間同じ会社でインターンをしていた。すごく大好きな会社で、やってることも目指す先も、関わっているメンバーも、作り出す雰囲気も、結婚式やイベントの現場も、私の役割も、今でも大好きだ。だけど、今の私は、今のその会社に社員として関わることは選ばなかった。人事と対話をしたこともある。入りたいと思ったこともある。でも、結局いつもたどり着く、「今じゃない」。そして、その理由も長い年月を経て変わってきた。移りゆくものだから、流るるままにでいいのではと思う。ひょんなことで心変わりだってあるだろう。

さあ、話が長くなった。私が願うことは一つ。

社会がもっと自由になりますように。

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