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心の純粋性
仏教の本の感想にこのようなことが書いてありました。
『90歳になり、自分自身の人生行路の先がハッキリしていないことに、初めて気がつきました…』
この感想を拝見した時に、
なんか、「お~っ」と思ったのです。
自分自身の人生行路がなくてもここまで(90歳まで)きたけど、
最後は自分自身の人生行路を歩みたい、
「全くいい人生だった。」と思いたい…。
このように私は、受け止めたのです。
じゃー、なんで人生行路がなくても生きていけるのか?
それは、思考の癖に私たちの行動が支配されていることに原因があるように思います。
例えば、「私、いつもダメな男の人とつきあうのよね…。」
もうダメ、もう無理と思いながら、
何故か次につきあう人も同じような性格の人を選んでいる。
いつもダメな男の人とつきあうとか、
つも、私、利用されるのよね、
と思うなら、
その思考の癖を直せばいいじゃない。
と思うのですが、
そう簡単にいかないから思考の癖なのです。
前述の90歳の方も、自分自身の人生行路に手を抜いていたわけでなく、
思考の癖に行動が支配されながらも、全力で生きてきたと思うのです。
それでも、最後は自分自身の人生行路を歩みたい、
「全くいい人生だった。」と思いたい…。
だから、自分自身の人生行路の先がハッキリしていないことに気づいたのだと思います。
思考の癖が悪いのではありません。
私たちは思考の癖がないと、
日々の暮らしがスムーズに進まないのです。
ですので、思考の癖というのはとても大切だと思っています。
その思考の癖により、幸せな人生を手にいれることもできます。
ただ、思考の癖が原因となり、
自分にとって不都合な現実が定期的に訪れるのであれば、
その思考の癖に行動が支配され、
自分の望む人生を生きていないということになるのです。
そういう意味で、
『90歳になり、自分自身の人生行路の先がハッキリしていないことに、初めて気がつきました…』
という感想を拝見した時に、
最後は自分自身の人生行路を歩みたいと思う、
心の純粋性に、
私は、「お~っ」と思ったのです。
まず、私が90歳まで生きることができるかどうかもわからないし、
たとえ生きていたとしても、
心の純粋性を維持し、
心を燃やし続けることができるのだろうか?
その境地にたどり着けるのだろうか?
もし、たどり着けないと思うのであれば、
今、ここ、自分の思考の癖を意識する必要がある。
意識すれば、すぐに直せる思考の癖もあると思います。
しかし、私たちは、視点を変えることですぐに直せる思考の癖には、
そこまで悩まないと思うのです。
思考の癖とは、根深いもので、
小さい頃の
ご両親との関わり合いの中から育まれ、
その後、成長する中で、
自分の中で確固たるたるものになる。
その中で、うまくいったこともあれば、
うまくいかなかったこともあった。
その思考の癖との長年のつきあいにより、
心が強くなることもあれば、
心が侵蝕され、病んでいくこともある。
ここまでくると、
次第に、この思考の癖は、自分自身なのではないか?
と錯覚してしまうのです。
なぜなら、わかってはいるけど、その思考の癖をなかなか直せないし…。
思考の癖とは、本当に厄介で、頑固で、変わりにくいと思います。
例えば、自分自身の人生行路を歩みたい、
自分らしくありのままで生きていこうと、
変化をしようとすると、
心の中の自分がこのように囁くのです。
「おいおい、そこまで頑張らなくてもいいじゃないか、もう90歳になるし、今までの人生をなかったものにするのか?」
と、全力でその変化の兆しを潰しにかかります。
(恐らく私なら、簡単に潰されていると思います。)
だから、
自分自身の人生行路を歩みたい、
という心の純粋性を維持し、
心を燃やし続けることに対し、
私は感動したのです。
この心の純粋性こそが、
幸せに生きたいという心の叫びなのだと思います。
私たちが生まれてきた意味は「心の純粋性」にあるように思えてならないのです。
自分の心の純粋性に従い、
それを磨き、より輝きを増すように努力すること。
私たちは、必ず、心の中に純粋性があり、
それは、あたかもダイヤモンドの原石であると思います。
磨き上げ、まわりの光を浴びてより輝きを放つように
カッティングを加える。
大きな原石もあれば、
小さな原石もある。
しかし、それは、ダイヤモンドの原石であることには違いはなく、
用途に応じて、磨き、カッティングを加えればいい。
その用途こそが、私たちの使命であるように思うのです。
そして、自分の中の純粋性に気づくためには、
感謝と謙虚な気持ちが必要で、
それに合わせて、
根気も必要になってくる。
焦らないけど、諦めない。
何度も諦めずに取り組み続ける、
根気強さが必要なのです。
私たちは意識しないと死ぬまで、
思考の癖で生きるのです。
だって、その方が楽だから。
だけど、楽であること、
諦めることに自分の人生を支配されてはいけない。
私たちは、幸せになるために生まれてきた。
幸せに生きたい。
これは誰しも自然に生じる感情であり、
私たちは生まれながらに前向きなのです。
ただどこかで勇気がくじかれ、
もう二度と勇気を出さないと、
自分で思い込んでいるだけなのです。
人生に遅すぎるということはなく、
死ぬ直前まで変わることができる。
そう、信じていたい。
90歳の方の感想を拝見して改めてそう思うのです。
そのために、
自分が不都合な現実に直面した時に、
諦めずに、
自分の思考の癖に立ち向かいたい。
自分心の中には、
必ず純粋性がある。
それを磨き、カッティングを加える。
その輝きこそが、
自分らしくありのままで生きるということ。
言い換えるなら、
「あり方で生きる」ということ。
あり方で生きることを探求し続ける。
焦らないけど、諦めない。
自分の情熱と勇気を信じる…。
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