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夢分析 on my mind
河合隼雄先生の、『ユング心理学入門』を、長年バイブルにしてきました。自分の拙い研究に取り入れたのは、タイプ論。ここで得た自分なりの結論は、金子みすゞによる童謡の歌詞の中にありました。面倒な理屈を言うより、自己肯定感においても、はるかに的を得ています。
私と小鳥と鈴と
金子みすゞ
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面(じべた)を速くは走れないう。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって みんないい。
なんてステキなポエムなんでしょう。ユングの説、「性格に優劣はなく、性格は固定されたものでもない。変化しながらそれぞれの個性を見つけていき、いずれは自己を実現する」と、考え方は同じだと思います。
だから「みんなちがって みんないい」のです。ネクラだと思っていた自分は、タイプ論によって内向的思考型へとリフレーミングされ、その質的変化を味わいながら、年を重ねてきました。ただし、自己実現には至っておらず、まだ個性化の過程を歩き回っています。ゴールできるかどうかは、どうでもいいのです。
しかし、ユングと言えば、「集団的無意識」「コンプレックス」であり、盟友フロイトと訣別の機会となった「夢分析」がメジャーです。フロイトは、「夢判断」と呼ぶように、夢を見るプロセスを固定化したことに、ユングは真っ向から反対しました。そこで、判断ではなく分析と呼んだというわけです。
夢とは何か。ユングは、無意識に落とし込まれたコンプレックスが、睡眠中に意識上に表出する現象と言っています。コンプレックスとは単なる劣等感だけでなく、覚醒時に起こした感情がこんがらがって、ほどけない状態で無意識に落とし込まれた状態とされています。優越感もコンプレックスなのです。コンプレックスは感じるものではなく、意識上から消えた存在なのです。ですから、俗語において覚醒時に感じるものとは、全く異なる概念です。
ですから、心理療法で重視される手がかりとされているのです。コンプレックスの状況を分析して、治療に導くわけです。ユング理論は、こんなに薄っぺらではなく、この他にもいろいろな概念とつながるのですが、YouTubeや書籍で確認した方が、正しい理解となるでしょう。
夢分析では、見た夢を覚えておくことを重んじます。分析の対象となるからです。ただし、分析の末に納得して行動するのは夢を見た本人です。サイコセラピーの最後はクライエント本人に戻されるのです。呈示された状況に納得して問題解決するのは、あくまで本人なのです。
さて、週明けから今朝まで、起きてすぐに書いた見た夢についてのメモ書きと、私なりの捉え方と解説を紹介します。
【月曜日】
不快な夢→現実認識→カタルシス
宴会で上座に座り、飲食なし
後悔の念を抱き、ロビーを歩く
左側にカウンター 緑の飲料 男2人 笑顔
右側にはテーブル 女3人 ソファ 飲み会
高速インターの曲がりくねった進入口
◯目が覚めた瞬間、激怒していた。そしてすぐ
怒りをぶつける対象がない事実に気づき、不快感を夢で出し切った感じがして、逆に思いっきりスッキリした状態を楽しんだ。
◯眠る前、気に障ることは何もない日曜日を過ごした。それゆえ、ネガティヴな思いを抑圧して覚えはない。夜更かしをして、いつものように0時ぐらいには寝つき、5:45に覚醒。いつもの週初めの朝を迎えた。
【火曜日】
電気スタンド消灯 1時近くに就寝
酷い二日酔いで目が覚めるという夢を見た
酒など飲んでいないのにムカつく不快感
口の中にアルコール残留感があったような
何を言い訳にして仕事を休もうかと考える夢
見つからないまま、目が覚めた
◯ドクター・ストップにより、断酒8年目であり、禁断症状もなかった。晩酌をしなくなった夜は、楽しみをこなすのに忙しく、以前より熟睡できるようになった。飲んでいないのに二日酔い状態というのは、過去のトラウマに関わっていることが明らかである。吐き気があったような気がしたが、目覚めると同時に不快感はウソのように消失した。何があったのか?
◯8年間飲みに行っていない。そのためか、友人は激減した。同い年の遠藤憲一さんも、同じ経験を語っていた。みんな飲み友だちだったということである。もし参加せざるを得ない宴会等があれば、寸志を渡して終わりとする。なお忘年会にはもう16年間も参加していない。急に参加しなくなった。イヤになったからではなく、理由はない。
【水曜日】
暗闇の中での会話 友人と茶飲み話?
とりとめのない会話 リラックスしている感じ
何を話していたかは覚えていない 主に聞き役
テーブルに置く相手の手だけが見える
感情の起伏がない つまらない思いもない
◯4:30、一度目が覚め時刻確認して二度寝
5:55、鍋を置く音で目覚める。起床後は、すこぶる元気だ。おそらく、ホテルのロビーのソファに対面して、友人と思われる男と会話している。内容は、全く不明である。
◯3日目にして、心身の状況がわからない夢であった。相手は誰だったのか、想像もできなかった。平穏と言えば平穏だが、後から思うと予知夢のようなものだった。その日に、いい年して幼稚な心のおばさんたちの醜い心象風景と出会ったのだ。そこには、Z世代と変わりない姿の50代後半の姿を見た。寒気がした。
【木曜日】
2:00〜5:45
眠れないまま 短時間睡眠 夢なし。
◯水曜日に醜い人間の心に出くわして、気分はローな状態で、寝床へ。憤りも軽蔑する感情も抑圧して捨て去り、思い出さないようにした。その思いが再び噴出することはなく、YouTubeを見続けた。63の身体的には、疲労していたらしく、4時間弱しか眠れなかった。記憶に残る夢は、全くなかった。ただ暗闇の中で横になっているだけの自分がいた。
【金曜日】
クルマで送る運転手役
クルマも1回ごとにチェンジ
見覚えのない母子ばかりが後席へ
クルマに酔ったりしないか確認 皮ハンドル
駅のホールで時間つぶし
下に土産店があるそうだ
買うものはないので行かない 人はまばら
送る役は仕事ではないのに待つ 退屈だ
◯未明から1時間ごとに目覚め、その度に時刻を確認し続けた。あまり良い精神状況ではないのは、自覚していた。キーワードは、「退屈」だと思う。何がつまらないのだろうか。同じことを繰り返すことは、確かに退屈だろう。しかし仕事には、ルーティン・ワークが必ずある。それをイヤだと思っているわけではない。
◯どうやら運転手の役割のようだ。後席に乗る母子もクルマも毎回変わる。ノーマルな変化ではないようだ。また、相当な時間的インターバルがあるようで、その時間潰しに苦慮しているのがわかる。こういうことを以前経験した覚えがあるものの、思い出せない。
この記事の日付2/4は、火曜日になりますが、思い起こすとタイトルを入力した日になります。実は、「夢分析」だけが共通していて、全く違う文言でした。本文は、金曜日の午後3時半頃から書き始めました。どうやら、記事に示された日時は、「 note. を書く 」という緑色のボタンを押した時が記録されるようです。
さて、ユングは夢が心のバランスを維持する補償機能があると語っています。現実のストレス解消と言えば、単純明快なのでしょうが、人の心はそんなにシンプルではありません。夢は無意識の領域からのコンプレックスに関するメッセージですから、全てを記憶に残すことすら困難です。ですから、僅かな情報の分析が必要となるのです。
私の5日間に渡る夢を羅列してみました。夢のごく一部だと思います。これらが覚醒時の気持ちをどう補い、バランスを保とうとしているのでしょうか。自分自身のことであっても、読み解くのは至難の業です。
この頃の心境として、自分の意志で貫いていることがあります。それは、ジェネレーションギャップへの対応です。ちなみに妻は、6歳下ですが、それでも大きな違いを感じます。
長い時間を共にしてきたことと、似たような職種であること、そして子どもたちの世話などの共同作業により、今や逆転現象が起きています。「老いては妻子に従え」そのものです。
職場には、共通点のある人は皆無です。常識だと思うことが、通りません。この人たちは、この環境から出されたら、どうなるのかと思う異人の集合体です。いや、私が異人なのだと思い、余計なことを見ざる・言わざる・聞かざるを通すように努めています。
よく、「郷に入れば郷に従え」と言われるとおり、言われたことのみをこなして、余計なことをしないのが、最善の方法です。しかし、いい中年たちが、電話の受け応えもできないのには呆れます。また、自分勝手を権利と履き違えているのには、憤りすら覚えます。
しかし、何のアシストもアドバイスもしません。してあげると、〜ハラ的なリアクションが来るだけですから。これが、ストレスかもしれません。紹介した私の夢は、現実生活にどんな補償作用をもたらしているのでしょうか。
夢から怒りと不快感が滲み出てきたようですので、睡眠時にかなり排出しているようです。そして、夢で十分気晴らしをしているから大丈夫だというメッセージが送られてきました。そこまでは、理解できました。しかし、金曜日の夢は、どう解釈すればいいのでしょう。
ワンパターンに耐えよということなら、大丈夫です。単純作業の繰り返しは、一番得意なことですから。何も言わずに、黙々と取り組んで適度な肉体疲労感を得ることは、喜びでもあるのです。しかし、夢では暇を持て余しているようです。実は、ここに病理を感じます。
物事に飽きるという心の状態は、鬱病の兆しと聞いたことがあります。かつて、一難去ってまた一難という仕事の巡り合わせに遭遇した時に、こりゃヤバそうだと察知して精神科を受診したことがありました。1年間何とか乗り切った仕事をもう一度。段取りは同じなので、飽き飽きした自分がいました。
自殺念慮という言葉に反応した時、かなりの脳疲労が蓄積していたようでした。しかし、医師は、フムフムと話を聞いてカウンセラーらしき人にチェンジ。お爺さんという風貌の人が、1時間ほど話を聞いてくれて、薬も処方されず終了。帰る途中の景色は、あちこちに春の気配が見えて明るく、気分も軽くなっていました。
カタルシスに至っていたと思います。ワンパターンの1年間は、予想したより早く過ぎていきました。そんな記憶により、このまま何もしないと抑鬱状態になる黄色信号を自覚したということです。
来週は月曜日に出勤すれば、火曜日は祝日。何かをちょっと変えてみようかなと思います。そして、4歳を迎えようと思います。いい意味でのフレッシュな気分になれるよう、いい年して小さなチャレンジをしようと思います。
これで、私の分析は終わりです。お付き合いいただき、ありがとうございました。いかがだったでしょうか。小さな提案として寝起きメモをしてみることをお勧めします。そして、それがなぜ無意識から滲み出てきたのか思いを巡らすのも一興です。
気をつけることは、夢は現実そのものではなく逆転現象が多いので、欺かれることが多いということです。自分に都合よく考えると、悪夢の後にラッキーありのケースもあります。私はそう考えることにしてきました。これも、ちょっとだけお勧めして、終わりにします。