世界の終わりにあなたとポルカを
文:井上 雑兵
絵:フミヨモギ
百塔の街と呼ばれる私の世界は。
ひび割れた煉瓦、くすんだ色のステンドグラス、ねむたげな灰色の雲と、ちょっぴりの青空でできている。
毎日のおんぼろスクールバス。けたたましいディーゼル機関の揺りかご。この世でもっとも静謐な時間。
私と同じ年頃の女の子たち。
いつものように、その何人かがひっそりとポルカを踊っている。
ごくささやかに、思い思いのやりかたで。
それはバスのつり革につかまる片手の律動だったり、アイスブルーのイヤホンで聴いているTikTokの動画だったり、小さな単語帳をめくりながらつぶやかれるちょっとしたポルカだったりする。
そうやって少女たちは自分たちだけのポルカを踊る。
大人たちは気づかない。
パパとママが寝静まったあとに踊る娘もいれば、学院の休み時間に校舎の裏で踊る娘もいる。
この世のあらゆる出来事は、いつだって必ず少女たちからはじまる。
だから、これもきっとそう。
そのはじまりは、少女たちのローファーの。
小さな小さな足どりから。
傷ついて、疲れて、ため息をもらす女の子がいて。
泣きたいのをこらえて笑っている子もいる。
だれもが同じはずなのに、だれにも理解されることはない。
たやすく割れそうな薄桃色をした卵のからの中で、いつしか私たちは踊りはじめる。
だれかのため、あるいは自分のための個人的な儀式。
おそらくそれは祈りのかたちだ。
だいじななにかの終わりにささげられる、少女たちの舞踏。
だからもしも世界の終わりがあるとすれば、きっとこんなかたち。
いつものスクールバスはもう動かない。
運転手さんは運転席にいない。
だから私は歩いて学院に向かう。
街道沿いのベーカリーの店員さんも、カフェのウェイトレスさんも、古書店のお兄さんも、大人たちはみんな楽器をたずさえ、たからかに演奏している。
ハーモニカ、ヴァイオリン、トランペット。
見たことのない大きな角笛をもったお爺さんもいる。
そこ抜けに明るい旋律。
楽しげな四分の二拍子。
少女たちのためのポルカのリズム。
電気屋さんの街頭テレビでは、世界中のいろんな街の似たような情景が写っている。
人々の祝祭じみた陽気さに、思わず吹き出してしまいそうになる。
街のシルエットをふちどる高い塔のてっぺんから鐘の音が響く。
私は学院の門をくぐる。
黒く大きないばらのようなそれを超えると、旧い校舎につづく花壇の道がある。
やさしげな花の香りがする道の途中で、ユリが待っている。
いつものように私は、私の一番の友達にあいさつの言葉を告げる。
「こんにちは、ユリ」
「こんにちは」
遠い東の国から来た少女の薄い微笑みは、私だけのだいじな宝物だ。
ユリは不思議な女の子。
まるで姉のような妹にも思えるし。
あるいは母のような娘に感じることだってある。
ときには友人のような恋人だったかもしれない。
ひょっとしたら悪魔のような神さまで。
はじまりの顔をした終わりなのかもしれない。
私はそっと、大好きなユリを抱き寄せる。
抱きしめる。
彼女からふんわりただようスミレの芳香がうれしくて、そのまま私はユリに問いかける。
秘密の呪文をささやくように。
「はじまるのかしら」
「そうね、終わるのかもしれない」
歌うようにうそぶいて、ユリは私の手をとって歩きはじめる。
学院のそこかしこで、少女たちが踊っている。
上級生、同級生、下級生。
みな区別なく、理由も目的もなく、ただ踊るために踊っている。
「――この国では、ポルカなのね」
目を細めながらユリは言う。
「あたしの遠い故郷では、”敦盛”だったけれど」
中庭にある大きな木。
おごそかに愉快げにくるくる歌い踊る少女たちに囲まれながら、ただ静かにたたずんでいる。
どこか聖域めいたその場所で、私とユリも手をつないで踊りの輪に加わる。
いつしか私たちの頭の上には季節はずれの雪がふる。
飽くことなく女の子たちはステップを刻みつづける。
いつまでも。いつまでも。
やがて遠くの森が赤く染まり、世界の終わりが訪れるまで。
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