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人生の主役は悲劇の脇役

「あなたの人生は、あなたが主役」

こういう論調がよく見られるが、弊害が多いと感じる。

人が悩みや苦しむのは、主観すぎるからだと思う。
むしろ、多くの人が自分が自分がの、主観の強さゆえの深刻な自分を苦しみの中に追いやられているかもしれない。

自己を客観的な、他人事のような視点があるからこそ冷静に自己を見つめられるだろう。

当然、自己犠牲や我慢することへのアドバイスとして、主体性を持って自分のために生きようという意味の「あなたが主役」であるのは分かる。
しかし自己犠牲なども、他人に委ねる自分という「悲劇の主役」の感覚なのが実体なのではないだろうか。

他人の主演の人生に、自分が助演や脇役の意識であれば、自己犠牲でなく尊重する意識になっているはずである。
自分を尊重しながら自分以外の全てを尊重するならば、それぞれはそれぞれの助演を折り重なるハーモニーを楽しむ意識であるのが近いような気がする。

自信ない人や自己否定が強い人には有効な「あなたが主役」であろう。
しかし傲慢さを刺激する側面がある。

極論すれば、人の悩みや苦しみは、主観の枠内に閉じ込まれたままだからこそでもある。

仏教的に言えば、主役である自我が苦しみの原因であり、自我こそ、これすなわち空(相対でしかない)である。

自分は自分でありながら自分以外の全てであるのがスピリュチュアルの深淵さであろう、出来るか出来ないかは別にして。
むしろ、皆んな自分が主役である主観を持っている。そこから視点が広がることこそ新しい世界なのだと感じる。


こんな偉そうな話をする自分はどうか。
そう、私こそ、自分の人生は自分が主役だと思っている。
だからこそ、そろそろその先の意識に染まりたいものであります。


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