遅すぎると誰も言い訳できない
仏像についてはかなりハマった時期がある。
造形では運慶がベストだが、
エピソードとして仏師・木喰も忘れ難い。
木喰仏は「微笑仏」と言われて大人気である。
この微笑みの仏像を掘り始めたのは、80歳を過ぎてからなのが驚きだ。
そして、90歳にして最高傑作ともいえる像を彫りあげた。
作風も遅いが、仏師になったのも遅い。
木喰が造像を始めたのは60歳を過ぎてからで、しかも独学である。
「人間五十年」と敦盛を舞った織田信長と同じ時代の人物だ。
平均寿命の30年増しの年齢で開眼したのが木喰。
120歳で傑作にたどり着くようなものだ。
現代人が誰も、「もう遅い」とか「今さら始められない」と言い訳できない。
私個人的にも、クリエイティブ仕事を始めたのは20代後半から、しかも独学である。
それなりの成功をした。
そして現在は、常識では懐疑的なやり方であることを取り組んでいる。
木喰からしたら、全員が鼻垂れ小僧の青二才である。
高次元の存在は肉体を持たずに何でも言えるが、
木喰の前には誰も言い訳できない。
その他、遅咲きで成功した例などいくらでもある。
遺伝子に色々あるケンタッキー・フライドチキンだが、65歳のときに創業したカーネル・サンダースの遺伝子には興味ある。
ビジネスの成功などだけではない。
ドストエフスキーは最高傑作『カラマーゾフの兄弟』を60歳間近で完成した。
別に社会的な影響する成功でなくてもいい。
自分への喜びに繋がる何かなんか、遅すぎることはない。
さらに、その喜びが何かわからないまま来てると諦めるのは早すぎる。
この苦しみはいつまで続くのかと詰んでいるようでいて、明日開眼するかもしれない。
どんなことでも遅すぎることはないと、
木喰の仏像は微笑んでいる。