身体と葉のギャップ萌えに燃える
今の私は不食を目指していないが、生物学を見ていると不食の原理には、高次元のいうギャップの仕組みなどを連想してしまう。
人間のエネルギーは糖質である。
炭水化物などから摂取したブドウ糖が細胞質で解糖し生きる。
思想だけで糖質を控えても、筋肉や内臓を破壊して解糖する。
だからタンパク質を過剰に取り腸壁を壊し、
脂肪からケトンにし体調が悪化する。
良い行為だけだと悪い結果だけになるようだ。
不食には、この解糖系からミトコンドリア系へと変換する必要があるのだろう。
どうやってかは別にして。
人や動物は、他生命から摂取して活動エネルギーにする。
植物は、太陽エネルギーを自らの生命エネルギーに変換する。
ミトコンドリアの膜にある内外の電位差を、水素分子を引き離しエネルギーを生む。
それを太陽光線が行っている。
電位差というギャップを利用してエネルギー生成をする無限ループを感じられる。
まるで太陽光パネルの発電原理のようだ。
しかし太陽光パネルは、結局化石燃料をむしろ過大に消費し、大きなエネルギーを生めない非効率。
やはり植物は生長するが動かないから、このミトコンドリア系エネルギーで十分であり、
人や動物は動くから、莫大な非効率である解糖系エネルギーが必要なのかもしれない。
肉体という物質を動かす限り、ミトコンドリア系は難しいのかもしれない。
もしくは太陽光の性質が変わったり、それを通す地球の磁場が変わったりすると、
電位差のギャップエネルギーの桁が変わり、肉体のまま不食で活発な活動も出来るかもしれない。
今の体調不良の人も、何かを補助する考え方は非効率で、
カロリーという燃焼エネルギー系統の仕組みのまま腸に依存する事が続き、
まるで発電設備に負担を強いる減価償却のようかもしれない。
ギャップを利用した循環エネルギーとは違うようだ。
どうやってかは別にして、不食を成す人は呼吸が1分間に2回と深くなるようだ。
そうなると酸素が少量で酸化しにくいだろう。
常時に脳波も瞑想状態で、心拍数も減る。
身体への負担も減り、自律神経が別レベルなのだろう。
解糖系でいる限り、私たちの健康法は五十歩百歩、不要な毒素を増やすことになっているから、何を取り組んでも同じようなレベルにいるだけかもしれない。
体内の何かのギャップを利用して、体外の何かの恩恵を利用して、
現在の身体機能とは別の領域での活動する事が、不食を超えた新感覚の自分になることかもしれないと妄想する。
少なくとも、体調も意識次第というのは、気の持ちようなんて段階ではない、妄想類の何かかもしれない。
酸化しない、解糖しない、太陽を受けるという宇宙の受け止め方の変化する何かだろう。
どんな何かは今はわからないが、そう意識することで、どこかで気付くかもしれない。
そうした時に、身体の不調か健康かのレベルを超え、新感覚の身体の上でのどんな意識になるのか、想像するだけで面白い。