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善光寺からお金もらえない更新神


長野に有名な善光寺があります。
御本尊は絶対秘仏で誰も見たことがないそうです。
仏像好きの私としては、見れないので参拝したことがありません。
死んだら幽霊となって侵入して、中身を見れるのを楽しみにしてます。
何もなかったりして。


善光寺の他の特徴は、かつてから女性の参詣が許された、女性救済のお寺です。
「伊勢参りは男の旅、善光寺参りは女の旅」
などとも言われていたそうです。

なぜ寺社は女人禁制だったのか。
様々な説があり、女性は穢れだとか、修行僧への姦淫刺激になるからなどとあります。
私が思う1つの理由は、むしろ守りきれない山の危険性がそうさせたのかじゃないかと思います。

高野山や熊野の修験の山など、男にとっても危険なところだったでしょう。
現在は、お一人様の山ガールなど如何に時代が良くなった証拠なのでしょう。

織田信長は、桶狭間に行く前に熱田神宮に必勝祈願したとは言いますが、単なる集合場所でしょう。
壬申の乱でも、後の天武天皇が吉野から伊勢神宮で結集したりもしました。
寺社は時に武士の寝所になったりと物騒な場所だったのです。
女人ご法度と言いながら、日本仏教総本山の比叡山には女性だらけでした。
妻帯してたり、商売女性もいたでしょう。
寺社の女人禁制とは、現在で言えば素人の立ちんぼを玄人が規制することだったのかもしれません。

仏教の始祖ブッダの弟子にも比丘尼という女性がいたのだから、女性が仏教を信仰するのは当たり前からスタートしています。
女性もどの寺社も参拝できるような治安を得た時代になりました。



善光寺の1番の特徴は、無宗派です。
浄土宗でも真言宗でも何でもありません。
ここが重要な点だと思ってます。

人は3人が集まれば派閥ができます。
人の考えはそれぞれだから、考えの違いを先鋭化していくと分断が起きます。

異端は異教より憎し
宗教戦争とは、キリスト教vsイスラム教ではありません。同じ宗教内の対立が激しいのです。
キリスト教内のア○○○派やネ○○○○派などの血みどろ惨劇、イスラム教内のスンニ派とシーア派の問題が中東問題の根本です。
日本でも奈良仏教から京仏教、さらに分断し続けて、法華経に先鋭的な日○宗が全宗派を敵に回しました。
現代のカルト的な所は、阿弥陀如来を祀る寺社は入れないでしょう。
そういえば、エホバの証人の信者家族と仲良くなったときに、ディズニーランドには行けると聞けて安心した覚えがあります。

自分の信じる道以外が邪悪なこととなれば、どんどん狭くなっていきます。
宗教の人を笑えないのが現状です。
あっちのグループと仲良くなると、こっちのグループから不穏な空気が流れるのはなぜか。
ワクチン教と反ワク教は和解できるのか。
スポーツチームのファン同士の争いはそこが面白いところかもしれないが、同担拒否なんて狭すぎる。

拝金主義の現代社会に疑問を持つ仲間のはずなのに、スピリチュアル教義の信仰の違いで分断が膨らみます。
バシャールはイルミナティなのか、都合の良い所のつまみ食いでいいのか。
真のチャネリングはどこかと考えるのは、預言者モーセの腐敗を正す神の子イエスか、いやムハンマドが真の預言者なのか、唯一神の唯一は誰か、唯一チャネリング宇宙人は誰かとなるのでしょう。

同じ信仰の人と集まりながら、常に自分教になっています。
「自分が信じる何々が正しい」という自分教
それは自分が信じる判断が唯一神になる。
自分が神となっている。
いやそれで正しい。
人の数だけ神がいるのでしょう。
ただ人生は、自分が信じていた事は勘違いしていたと気づくのを繰り返すのです。
自分神は間違い続ける更新神だと、他神から気づいて、永遠に完成しない神が自分神でしょう。
私が数々投稿するのは、まったく完成しない自分神だからなのです。
自分軸なんてブレてこそ軸です。
固い軸はぶつかって傷付きます。ブレる軸こそ更新した自分神が自分芯となり回り続けるでしょう。

だから善光寺の無宗派のように、自分神が人の数だけ集う社会が、地球善光寺であればいいのでしょう。

なお善光寺から1円ももらってません。
お金はいいから絶対秘仏を見せてください。



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