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引き寄せの世界観
(※この記事は数日前に書き上げたものです)
新商品を開発する人や、新しいビジネスモデルで起業する人が、どう伝えるのか。
どんな性能で、他社との違いを説明しても、普通の営業マンのようで意味はないでしょう。
取り扱う何かを語っても伝わらない、共感してもらう世界観を語る。
あなたの信じてる事を信じる人に伝えるのです。
新しい世界観、
心の奥にあったのを浮き彫りにする世界観、
忘れてたのを思い出される世界観など、
スペックではなく想像できる体験などのストーリーを語る。
モノやサービスではなく、何かを通して世界観が生み出される共感で人は動かされるでしょう。
芸術家や思想家はダイレクトにそうしています。
言葉にしにくい概念をビジュアルや音色で、言葉の概念さえ文言を超えた世界を示します。
芸術家の作り出したもの自体は結果的にはツールでしかない、言葉に裏打ちされた思想家本人の生き様に人は共感するかどうかです。
クリエイティブな制作は、コンセプトを具現化した結果であり、受け手は気付かないままでもコンセプトを共感して魅了されるのです。
ビジネスもアートも、本質的には世界観の共鳴でしょう。
「この世界のあり方」に対する視点が、深く刺さることになります。
世の中では、なんとなくとか感覚とかが大事と言われます。
特にスピリチュアル界隈では、宇宙から受け取る直感こそ大事とされます。
そこにも、気付かないコンセプトがあります。
言葉にならない概念を見つけることに怠惰になっては、その通りのことになるでしょう。
なんとなく生み出したことは、
なんとなくと同調する。
自分を見つめるとは、なんとなくの正体を何かに生み出す、自分の世界観を明確にする行為であり、そこから無意識を自ら意図的に思考することになるでしょう。
高次元の伝える、「意識で何を意図してるか意識しましょう」はこういうことかもしれません。
なんとなく幸せになりたい、
この苦しみから逃れたい、
(みんなが思うような)豊かさが欲しい、
こんな漠然とした概念は、漠然とした自称の起業家であり芸術家であり、自分の世界観が伝わらない。
漠然としたことは漠然となり、世界観なき具体性は伝わらないでしょう。
自分自身が世界観であり、自分そのものが創造されるのだから、世界観を意図したことは伝わると思うのです。
創造されたものを見る側や受ける側は、漠然としていてもいい。
創造者は、意図する世界観が意識でしょう。
引き寄せが語られる時の矛盾、「具体的なイメージをする」と「宇宙に具体性は委ねる」。
相反するように見えますが、誤解でしょう。
これは、起こる具体的なイメージではなく、自分の世界観の明確さがあれば、結果は宇宙が世界観に沿う創造が起こると、矛盾がなくなります。
例えば豊かさであれば、得られる金額やモノなどの具体性ではなく、自分に沿った主体的なコンセプトの世界観が宇宙と共に豊かに具現化する、そんな感じがします。
ほとんどの人は豊かさを求めてます。
AさんとBさんは、別の豊かさを得ています。
それは引き寄せ方法の差ではなく、それぞれの人が持つ世界観の違いだと思います。
「世界観なんてない、ただ楽に幸せなりたい」、
そんな人は疲れてるだけでしょう。
自分の心の奥から湧き出る世界観こそワクワクする事で宇宙に伝わることだと思います。
世界観なきイメージは、なんとなくで作る芸術家と同じで、
世界観なき具体性は、製品ばかり語る営業マンと同じで、
普遍的な創造にならないでしょう。
宇宙は判断しない、世界観に共感して創造する。
魅力ある人生とは、魅力ある世界観に宇宙が共感した結果かもしれないと思うのです。