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京都人は宇宙人の警戒感

京言葉は回りくどいとされてます。
そのため、京都人は、陰湿とか腹黒いとか言われてしまうのです。

「お忙しいのと違いますの?」
直訳:来るなよ。

「似合いますなぁ」
直訳:恥ずかしい恰好ですね。

「よう勉強してはりますな」
直訳:余計なこと言うな。

京都人はいつまでも日本の中心にいてプライドが高すぎるのが原因とされますが、私は、やむを得ない自分を守る手段だったのかもしれないと考えたりします。

京都の民衆は振り回されてきました。
幕末には、勤皇か佐幕かどっちの勢力わからないような侍が町中に溢れ、斬り合いがよくあったのでしょう。人斬り異名を持つ者が多数の中で生活してます。
新撰組に対して直球でモノを言えば斬り殺されてもおかしくありません。「帰れ!」では斬られるから「お茶でもどないですか?」と言うように。
中国マフィアとヤクザが本格的に抗争してた新宿よりも緊張感ある生活だったかもしれません。

平安時代後期も、室町時代中期以降も、歴史が変換するような戦闘が、京都の街中で起きたのです。市街戦です。街中が主戦場になるなんて古今東西の歴史的にも異例です。
ならば教科書に載らない戦闘は日常茶飯事、日本中から世界中から様々な勢力が入り乱れ、文化と富が集まるが故の治安の悪さがあったと考えられます。
かつてのNew York Cityのような、かつての歌舞伎町のような、そんな繁栄と犯罪が入り乱れる中、直球でものを言わず、変化球で相手の探り入れるのは、身を守る術だったかもしれません。

お高くとまった京都人というより、物事をはっきり言えない京都の事情だったと考えます。
現在も海外旅行者に金を落とされながら乱されながら、精一杯に建前を貫いてることでしょう。
その外国人も、アミーゴとかブラザーとか簡単に言ってきますが、なんて気さくな外国人などと安易に考えてはいけません。

「アミーゴ!みんなともだち!」
直訳:断るんじゃねーぞゴラァ

「ヘイ!ブラザー!」
直訳:味方か?、なら裏切るなよ?あぁ?

外国人にだって本音と建前はあります。
握手の起源だって、フレンドリーなわけじゃなくて、武器を隠し持ってないか利き手をお互いに使えなくして相手を値踏みしてるのです。
京都人も外国人も、交流すればリスクもあるので最善策を取るのです。


もしかしたら交流してくれる高次元の存在も本音と建前があるのかもしれませんね。

「こうしてお話しできることに感謝します」
直訳:また同じことを話すのを感謝してください

「あなた方をいつも可愛く思っていますよ」
直訳:いつまでも成長しないですね

「それもギフトです。順調ですよ」
直訳:自分で作って自分で苦しんでるなんて、よくもまー平常運転の順調なあなたですね

いや冗談ですよ。
高次元の存在が人に誤魔化したりリスクを恐れたりする理由もないですね。
しかし、「宇宙人が腹を空かした虎の中に入るのは危険」と表現したことがあります。
地球人ごときに危害を加えられると思ってるのでしょうか。ほぼ0%だけど、一応警戒しておこうってレベルでしょうか。

レプティリアンも直接支配すれば手っ取り早いのに、わざわざ手の届かない神の存在として隠れています。もしかしたら直接だと地球人に刃向かわれるの恐れているのかな?
アリが10,000匹いたら、ライオンだってやっぱり嫌なもの、そんな感じかな?

レプティリアンも、本音と建前を気まぐれで披露してくれたら面白いんですけどね。

「あなたたちを支配してます。逃げられません」
直訳:お願い、おとなしく従って!、反抗しないでぇ、やだ怖い!



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