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『ほんとうに強い人は力をみせつけない』老子経第28章 シンとの対話

はじめに

老子道徳経と老子について
老子は紀元前6世紀頃の思想家で、彼の著作『老子道徳経』は『道(タオ)』と自然に従った生き方を説いています。簡潔な言葉で書かれた道徳経は、多様な解釈が可能で奥深く、自然と調和した豊かな人生の指針を得られます。このNOTEでは、メンターのシンと私ナオとの対話を通じて道徳経の理解を深め、新たな気づきを提供することを目指しています。

老子経第28章 シンとの対話


◯ナオ:
シン、今日もよろしくね。最近、なんだか物事に追われているような気がしてさ。少し立ち止まって、自分を見直す時間を作りたい感じだね。
今日は老子道徳経の第28章について教えてほしい。今の状況を変えてくれるヒントになるかもしれないから・・・。

⚫️シン:
なるほど、28章だね。物事に追われていると感じたときは、道(タオ)の教えを思い出すといいよ。この章は心に響くかもしれないね。まずは原文と日本語訳を見てみよう。

原文(老子道徳経 第28章)
知其雄,守其雌,為天下谿。為天下谿,常德不離,復帰於嬰兒。
知其白,守其黒,為天下式。為天下式,常德不忒,復帰於無極。
知其榮,守其辱,為天下谷。為天下谷,常德乃足,復帰於樸。

日本語訳
雄々しい力を知りつつも、柔らかな雌のあり方を守れば、天下の谷となる。
天下の谷となれば、常に徳を失うことなく、赤子のような無垢な存在に帰る。
明るさを知りつつも、暗さを守れば、万物の模範となる。
万物の模範となれば、常に徳を損なわず、無極(限りない自然の源)に帰る。
栄光を知りつつも、屈辱を守れば、天下の谷となる。
天下の谷となれば、常に徳が満ち、素朴な自然体に帰る。

◯ナオ:
赤子とか素朴とか、なんだか柔らかい表現が多いね。老子って、たまにこういうイメージを持ち出してくるけど、具体的にはどういうことを伝えたいんだろうか?

⚫️シン:
そうだね、この章は「対極を知りながら、あえて柔らかく、控えめでいることの力」を説いているんだ。ここでは雄と雌、白と黒、栄光と屈辱という対極的なものが出てくるけど、老子が言いたいのは、それらどちらか一方に偏るのではなく、「柔らかい方」「低い方」を選ぶことで、真の力を得られるということなんだ。それじゃあ、もう少しわかりやすく意訳してみようか。

意訳

「強さを知りつつも、柔らかさを守る者は、すべてを包み込む谷のような存在になる」
本当に強い人は、その力を見せびらかしたり使おうとしない。むしろ、柔らかさや控えめさで相手を受け入れ、包み込むんだ。それは谷のように、すべての水が流れ込む場所になるイメージだね。その結果、自然の徳(本質的な力)を失わず、赤子のように無垢で純粋な状態に戻ることができるんだよ。

「明るさを知りつつも、暗さを守る者は、万物の模範となる」
明るさや目立つことを知りながらも、それに固執せず、静かで控えめな暗さを守る人は、かえって周囲にとっての模範となる。明るさと暗さのバランスを取り持つことで、限りない自然の源(無極)に帰ることができるということだね。

「栄光を知りつつも、屈辱を守る者は、すべてを育む谷となる」
成功や名声を知りつつも、それに執着せず、失敗や屈辱を受け入れる人は、谷のように豊かな存在になっていく。そしてその谷は、すべてのものを支える力を持ち、自然体である「樸=削られていない木」のような、本来の素朴さに戻ることができるんだよ。


◯ナオ:
雄と雌、白と黒、栄光と屈辱…どれも対極的なものだけど、老子は「強い方」じゃなくて「柔らかい方」を選ぶことをすすめている。それって現代社会では難しくないかな?みんな「目立つこと」や「成功すること」を求めて、どちらかといえば強い方とか明るい方に向かいたがるよね?

⚫️シン:
たしかに、現代では「強さ」や「明るさ」「成功」がよしとされている。でもね、老子が言っているのは、そういう「目に見える価値」にしがみつくと、本当の力、本来もっている力を失うということなんだよ。

たとえば、水を思い浮かべてごらん。水は柔らかいだろう?でも、その柔らかさゆえに、どんな硬い岩をも削り続ける凄い力を持つ。そして水はどんなところでも低い方、低い方へと流れていく。だからこそ、すべてを包み込み、養う力を持つんだ。これは水本来の素朴な力だ。

老子が言う「谷になる」というのは、まさにこの水のような生き方なんだよ。強さをひけらかすのではなく、控えめで柔らかい態度を取ることで、かえって周囲を包み込み、支える力になるということなんだね。

◯ナオ:
たしかに、水のような生き方って考えると、少しわかる気がする。強引に上に行こうとするより、低いところにいて自然に流れる方が、かえって上手くゆくのかもしれない・・・。でも、どうして「赤子」や「素朴さ」に戻ることがいいとされるんだろう?

⚫️シン:
赤子や素朴さというのは、「自然な状態に戻る」ということなんだよ。赤子は何も持たないけれど、だからこそ無限の可能性を持っている。素朴さというのは、削られていない木のように、本来の純粋な姿だ。

現代社会では、私たちはたくさんの知識や肩書き、成功を求めて、それを積み上げていく。だけど老子は、それらは本来の自分を覆い隠してしまうものと言っているんだ。だからこそ、赤子のように無垢な心、素朴な本来の自分に戻ることが大切だと説いているんだよ。

◯ナオ:
なんだか、今の自分に少し当てはまる気がするな。いろいろと頑張ろうとして、自分に無理をしていたかもしれない。でも、赤子のように戻るとか、素朴でいるって、実際にはどうすればいいんだろう?

⚫️シン:
いい問いだね。赤子のように戻るというのは、無理に何かを「しよう」とすることじゃないんだ。むしろ、その逆で、「しないでいること」なんだよ。意図的にしない。ありのままだ。

たとえば、君が何かをするとき、つい「これを頑張らないと」とか「こうしなければ」と思うことがあるだろう?そういう努力や焦りをいったん手放してみるんだ。自然に任せてみる。結果を求めるのではなく、ただその瞬間に身を置いてみるんだよ。

たとえば、風が木の葉を揺らすように、何かを「しよう」と思わなくても、自然と必要なことは起こるものなんだ。それが「無為自然」というあり方だね。

◯ナオ:
なるほど、無理に頑張るのではなく、自然に任せるということか。確かに、自分に余裕がないときほど、何かを無理にしようとしてかえって空回りしていた気がするよ。

⚫️シン:
頑張ることが悪いわけじゃない。ただ、その頑張りが君自身を苦しめるものなら、それは手放してみるべきなんだ。老子が伝えたかったのは、「低いところに身を置き、自然に身を任せれば、かえってすべてを得られる」ということなんだよ。ナオ、どうだい?28章を通じて、少し気持ちが楽になったかな?この章を簡単にまとめると、次のようなことが言える

柔らかさを選ぶことの力:強さや目立つことに執着せず、低いところに身を置くことで、かえってすべてを包み込む力を得られる。
自然体に戻ることの大切さ:赤子や素朴さのように、本来の自分に戻ることで、無限の可能性が広がる。
無理をしない生き方:自然に任せることで、必要なことは自然と起こる。


◯ナオ:
ありがとう、シン。気が楽になったよ。いまいちど無理をせずに、もっと自然体で生きることを意識してみるね。

⚫️シン:
きみがそうあれば、世界はいつだって君を受け入れてくれるよ。それじゃあ、そろそろお茶にしようよ。

おわりに


老子は刻一刻と変化してくこの世界では、その流れに上手に身を任せ自然にことを運ばせるほうが、何事もうまくいくといいます。しかし、人間は、人間の脳は、慣習に縛られています。こうあるべきだ、こうでなければいけないという固定された観念によって、新たな問題を生み出してゆくこともあります。老子はあくまで、われわれの活動も、自然の一部だということを思い起こさせてくれます。かといって、慣習からは、なかなか抜け出せないものですから、先ずは気付くことから始めてみましょう。

最後までお読みいただきありがとう!


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