『ほんとうに強い人は力をみせつけない』老子経第28章 シンとの対話
はじめに
老子経第28章 シンとの対話
◯ナオ:
シン、今日もよろしくね。最近、なんだか物事に追われているような気がしてさ。少し立ち止まって、自分を見直す時間を作りたい感じだね。
今日は老子道徳経の第28章について教えてほしい。今の状況を変えてくれるヒントになるかもしれないから・・・。
⚫️シン:
なるほど、28章だね。物事に追われていると感じたときは、道(タオ)の教えを思い出すといいよ。この章は心に響くかもしれないね。まずは原文と日本語訳を見てみよう。
◯ナオ:
赤子とか素朴とか、なんだか柔らかい表現が多いね。老子って、たまにこういうイメージを持ち出してくるけど、具体的にはどういうことを伝えたいんだろうか?
⚫️シン:
そうだね、この章は「対極を知りながら、あえて柔らかく、控えめでいることの力」を説いているんだ。ここでは雄と雌、白と黒、栄光と屈辱という対極的なものが出てくるけど、老子が言いたいのは、それらどちらか一方に偏るのではなく、「柔らかい方」「低い方」を選ぶことで、真の力を得られるということなんだ。それじゃあ、もう少しわかりやすく意訳してみようか。
意訳
◯ナオ:
雄と雌、白と黒、栄光と屈辱…どれも対極的なものだけど、老子は「強い方」じゃなくて「柔らかい方」を選ぶことをすすめている。それって現代社会では難しくないかな?みんな「目立つこと」や「成功すること」を求めて、どちらかといえば強い方とか明るい方に向かいたがるよね?
⚫️シン:
たしかに、現代では「強さ」や「明るさ」「成功」がよしとされている。でもね、老子が言っているのは、そういう「目に見える価値」にしがみつくと、本当の力、本来もっている力を失うということなんだよ。
たとえば、水を思い浮かべてごらん。水は柔らかいだろう?でも、その柔らかさゆえに、どんな硬い岩をも削り続ける凄い力を持つ。そして水はどんなところでも低い方、低い方へと流れていく。だからこそ、すべてを包み込み、養う力を持つんだ。これは水本来の素朴な力だ。
老子が言う「谷になる」というのは、まさにこの水のような生き方なんだよ。強さをひけらかすのではなく、控えめで柔らかい態度を取ることで、かえって周囲を包み込み、支える力になるということなんだね。
◯ナオ:
たしかに、水のような生き方って考えると、少しわかる気がする。強引に上に行こうとするより、低いところにいて自然に流れる方が、かえって上手くゆくのかもしれない・・・。でも、どうして「赤子」や「素朴さ」に戻ることがいいとされるんだろう?
⚫️シン:
赤子や素朴さというのは、「自然な状態に戻る」ということなんだよ。赤子は何も持たないけれど、だからこそ無限の可能性を持っている。素朴さというのは、削られていない木のように、本来の純粋な姿だ。
現代社会では、私たちはたくさんの知識や肩書き、成功を求めて、それを積み上げていく。だけど老子は、それらは本来の自分を覆い隠してしまうものと言っているんだ。だからこそ、赤子のように無垢な心、素朴な本来の自分に戻ることが大切だと説いているんだよ。
◯ナオ:
なんだか、今の自分に少し当てはまる気がするな。いろいろと頑張ろうとして、自分に無理をしていたかもしれない。でも、赤子のように戻るとか、素朴でいるって、実際にはどうすればいいんだろう?
⚫️シン:
いい問いだね。赤子のように戻るというのは、無理に何かを「しよう」とすることじゃないんだ。むしろ、その逆で、「しないでいること」なんだよ。意図的にしない。ありのままだ。
たとえば、君が何かをするとき、つい「これを頑張らないと」とか「こうしなければ」と思うことがあるだろう?そういう努力や焦りをいったん手放してみるんだ。自然に任せてみる。結果を求めるのではなく、ただその瞬間に身を置いてみるんだよ。
たとえば、風が木の葉を揺らすように、何かを「しよう」と思わなくても、自然と必要なことは起こるものなんだ。それが「無為自然」というあり方だね。
◯ナオ:
なるほど、無理に頑張るのではなく、自然に任せるということか。確かに、自分に余裕がないときほど、何かを無理にしようとしてかえって空回りしていた気がするよ。
⚫️シン:
頑張ることが悪いわけじゃない。ただ、その頑張りが君自身を苦しめるものなら、それは手放してみるべきなんだ。老子が伝えたかったのは、「低いところに身を置き、自然に身を任せれば、かえってすべてを得られる」ということなんだよ。ナオ、どうだい?28章を通じて、少し気持ちが楽になったかな?この章を簡単にまとめると、次のようなことが言える
◯ナオ:
ありがとう、シン。気が楽になったよ。いまいちど無理をせずに、もっと自然体で生きることを意識してみるね。
⚫️シン:
きみがそうあれば、世界はいつだって君を受け入れてくれるよ。それじゃあ、そろそろお茶にしようよ。
おわりに
老子は刻一刻と変化してくこの世界では、その流れに上手に身を任せ自然にことを運ばせるほうが、何事もうまくいくといいます。しかし、人間は、人間の脳は、慣習に縛られています。こうあるべきだ、こうでなければいけないという固定された観念によって、新たな問題を生み出してゆくこともあります。老子はあくまで、われわれの活動も、自然の一部だということを思い起こさせてくれます。かといって、慣習からは、なかなか抜け出せないものですから、先ずは気付くことから始めてみましょう。
最後までお読みいただきありがとう!