この日本を作ってくれた人たちをおもう
私が職場で繰り返してきたお年寄りとの会話。
特におばあちゃんが多いのですが、歩行が心配で寄り添うとき、大抵は手を繋ぎます。そんなときに、ありがとうねと手をぎゅっと握ってくる方が多くて、そのたびに、その手の温もりに心を温められてきました。プライベートで気になることや、悲しいことがあるたびに、その手に支えられてきたと思っています。
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11年前、今の仕事をはじめました。
病院の外来で、医師や看護師の仕事を事務的にフォローするという仕事、さて、どんな仕事なのかもしらず、医療業界も初体験、なにより、長く専業主婦でしたから、世間知らず、ないない尽くしでした。
胃カメラと大腸カメラの区別もつかず、医療用語も全く未知の世界。喧騒につつまれた医療現場。のんびりやの私が務まるのかなと不安になったのも、束の間、最初にしたのは、待合室から患者さんを呼び入れて中待合室にご案内することでした。大きな声で誰かを呼ぶって私にはかなりハードルの高いことだったので、勇気を振り絞って呼びました。
するとやってきたのは、高齢のおばあちゃん、
その時、不思議なことがおこりました。
そう思ったんです。お年寄りが好きだから。誰かの役に立つことが幸せだから、その一面がずっと私を支えてくれました。
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どのおばあちゃんともおじいちゃんとも、毎月あっていると顔見知りになっていきます。
そんな中で気づくことがありました。高齢者の半分以上の方は、病院という場所に来る時にはとても身ぎれいにしていらっしゃいます。身だしなみを整え、肌着もきれいなものを身に着け、そう、きちんとして医師に礼を尽くしているのだと思います。
もちろん家庭的背景や、ご本人の状況で、それは叶わず、そんな風ではない方もいらっしゃるのですが、それはそれでいいのです。
とても清潔だけど、自分で繕って大切に着ている方も多いんです。決して金銭面でご不自由だとは思えない方でも、手縫いの繕いが目に入ることが少なくありませんでした。
それを目にするたびに思ったことがあります。
いわば、今の日本を作った方々というのは、今の高齢者の方たちです。究極、こうして、手元にiPhoneがあるのも、呑気に朝寝坊できるのも、なにもかも、この方たちのおかげだと、本気で思ってきました。
今もつつましく生きていらっしゃる方たちに、頭が下がる思いでいっぱいになる、そんな瞬間であり、自分の足元を見つめる機会でもありました。
おじいちゃん、おばあちゃんとのこうした温かい時間はかけがえのないもので、詩としてもたくさんきりとってきたのですが、改めて今日は書いてみました。
10年前は明治生まれの患者さんも若干いらっしゃいました。今は大正生まれの方もすくなくなってきましたが、ワクチン接種の受付でお会いすると、なんだかとても安らぎます。
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天職とも思った仕事から、一年と少し前、突然の辞令で、今の職場に移動しました。何が辛くてさみしいかといえば、ずっと交流してきたおじいちゃん、おばあちゃんと会えなくなること。高齢者にとっての一年って、それは大切なんですよね。
そんな私からみなさんへ小さなお願いがあります。
もしも、コンビニや駅の改札、道端で、困っている高齢者の方をみたら、思い切って「大丈夫ですか?」って声をかけていただけたら嬉しいなと思ってこのnoteを書きました。声を書けなくても、優しいまなざしをおくってもらえたら、とても嬉しいです。
誰もが年をとっていきます。そうして世代交代をして、世の中が移り変わっていきます。変化の中で、それでも大切なものはずっと変わらないと思います。それに触れるときに、人は感動したり、癒されたり、幸せを感じたりするのかもしれません。
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おまけ、もちろんいけずでおっかないおじいちゃんやおばあちゃんもいらっしゃいました。でも、やっぱり、愛すべき人たち、愛さずにはいられない人たち、でありました。
いただいたサポートは毎年娘の誕生日前後に行っている、こどもたちのための非営利機関へのドネーションの一部とさせていただく予定です。私の気持ちとあなたのやさしさをミックスしていっしょにドネーションいたします。