風が運んできたものは #シロクマ文芸部
桜色を染色できるのはこの時期だけ。
蕾をつけた桜の枝だけが、桜の花びらを吸い込んだような桜色に染め上げてくれる。
清子さんはグツグツと煮えるお鍋を眺めながら、いそいそした気持ちになるのを抑え切れません。正直言って、これから咲こうとしている蕾たちを煮てしまうのはとても勇気のいることでした。
昨日、「カフェかわうそ」からの帰り道、桜の枝が大きく折れて道端に落ちているのを見つけたのです。前の晩の強風のおかげせいなのでしょう。清子さんは強風の次の日に落ちている枝を拾うために、並木道を歩くことにしているんです。良い枝を見つけたときには、よく乾燥させて、生活の中に取り入れています。というわけで、強風の翌日だった昨日、その大きな枝をニコニコと持ち帰ってきました。
蕾が膨らみかけていた枝はいくつかに分けて花瓶に生けました。あちらにもこちらにも春が囁くようです。残りの枝は小さく切って刺繍糸を染色することにしました。
桜の枝でする染色には根気が要ります。綺麗な桜色にしたかったら、じっくりと時間をかけて煮出して、さらにしばらく液を寝かせて酸化させなくてはなりません。グツグツいう鍋肌を眺めながら、清子さんはふと小さな頃の宝物を思い出しました。
それは、桜貝の貝殻でした。あるとき、おばあちゃんが旅行先から買ってきてくれたお土産でした。清子さんは、絵本で読んだ桜貝にとても憧れていたんです。それを知らなかったはずなのに、あるとき、おばあちゃんがポイっと買ってきてくれました。
その桜貝は小さなプラスチックの透明なケースいっぱいに引かれたスポンジの上に、そっと並んでいました。うっすらと透き通る繊細な羽を持った2羽のちょうちょのように。人差し指の爪よりも小さくて、桜の花びらにそっくりでした。
そう言えばあれはどこにしまったかしら、と清子さんはあっちをゴソゴソ、こっちをゴソゴソと宝探しを始めました。
春がやってきました。風は清子さんに桜色の思い出を運んできてくれたようです。きっとほんのりと柔らかく染まった刺繍糸で思い出を描くのでしょうね。
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小牧部長、今週もありがとうございます。
桜貝を初めて手にした時の喜びを思い出しています。この世の中に色があるって本当に幸せですね。小さな頃読んだクレヨン王国十二ヶ月をまた読みたくなりました。