地理の基本知識から、世界史を見る!―東南アジア編
世界史講師のいとうびんです。
今回は、地理の内容から世界史を見ていく、というちょっと変わったアプローチをしてみます。
……とはいえ、この地理での基礎知識は、ちゃんと知っているか否かで世界史の理解にかなり差が出る、ということも言えます。まさに、侮るなかれ、です。
今回は東南アジアをテーマに、地理と関連させながら見ていくことにしましょう。
……さて、今回テーマとするこの東南アジア、受験生にとっては鬼門というべき分野として悪名高いものです。
世界史を習った方でも、「正直ここはよく覚えてないんだよなぁ」という声も少なくはないでしょう。
ですが、そんな東南アジア史であっても! 地理の知識で理解を深めることが出来ます。
というより、この東南アジア史こそ、地理の知識が不可欠と言える分野でもあります。
今回の記事でも、いくつかのクエスチョンを設けました。ですので、みなさまもぜひ、クエスチョンの答えを考えながら記事を読み進めてください。
では、はじまりはじまり~
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問.東南アジアという地域に含まれる国をすべて答えよ(2022年現在)。
ちょ、いきなりwww、と思われた方、驚かせてすみませんが、
ともあれクエスチョンの答えを考えてみてください。
さて、結構回答に悩まれたのではないでしょうか。
そう、これこそが東南アジア史が理解しづらい最大の要因と言っても過言ではないのです。
なんとなれば、そもそも東南アジアにどんな国があるかいまいちわからない人が圧倒的に多いのです。そんな状態で東南アジア史を学ぼうものなら、到底スムーズに理解できるはずがない、というわけです。
では、正解です。
ベトナム、ラオス、タイ、ミャンマー、カンボジア、インドネシア、フィリピン、マレーシア、シンガポール、ブルネイ、東ティモール
合計11カ国です。このうち、東ティモールを除く10カ国は、東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟しています。
みなさま、いくつ回答できましたか?
ではここで、次のクエスチョンです!
問.以下の地図の示す東南アジアの各国の国名を答えよ。
今度は地図です。これはこれで難しいかもしれませんね。
ちなみに、キは小さな一つの島からなる都市国家です。
では正解です。↓
いかがでしょうか。
とはいえ、「結局11カ国全部覚えなきゃいけないのかよ」と思ったあなた、
必ずしもそういうわけではありません。
確かに、最終的には全部記憶しておいた方が受験では万全でしょうが、ここでもやはり理解が必要になってきます。
今度はこちらのクエスチョンはどうでしょう?↓
問.次のア~エのうち赤道の位置を示したものとして正しいものを選べ。
この問題は中学校の社会で習った内容のはずですよ!
ではでは正解です。これはウですね。ここに赤道が通ります(シンガポールの近辺が目印です)。
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さて、今回注目したいのは、現在の東南アジア諸国ではなくむしろ赤道の位置です。
東南アジアのほぼ中央に赤道が通っており、言い換えれば東南アジアのほぼ全域が赤道直下に位置することがわかります。
では、赤道直下の気候と言えば……それが熱帯です。
熱帯気候の特徴と言えば何といっても高温多雨、つまり年中気温が高く降水量も(特に雨季に)多いというものですね。
高温多雨となると、内陸では熱帯雨林が発達します。ヤシやマングローブなどがその代表ですね。
こうした熱帯雨林が発達すると、内陸の交通はどうしても不便なものになります。このため、東南アジアでは古くから水上交通が重視されたのです。すなわち広い海域や大河などが交通路として活発に利用された、というわけです。
内陸交通が不便な東南アジアでは、他地域と異なり都市の発達が進みません。しかし、一方で水上交通が活発になると港が発達します。
東南アジアではこの港を介したネットワークが国家として機能することとなり、これが港市国家と呼ばれる国家の形態です。
したがって、東南アジアでは大河や海洋に面した地域には港市国家が発展し、これが国家形成につながっていくのです。
このため、古くから港市国家が発展する地域は以下のようになります。
東南アジアを代表する大河がメコン川、チャオプラヤ川、イラワディ川であり、それぞれ、
・メコン川下流……カンボジア
・チャオプラヤ川流域……タイ
・イラワディ川流域……ビルマ(ミャンマー)
となるのです。
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……さて、東南アジアは港、すなわち水上交通が古くから発達したことで、古代よりユーラシア大陸の東西交易を結ぶ重要な中継地としての役割を果たします。これについては、ユーラシア大陸における東南アジアの位置を知る必要があります ↓ 。
とりわけ中国とインドの位置関係に注目してみましょう。両者は地理的には近い距離にありますが、2つの地域の間にはヒマラヤ山脈(図中の▲)が聳えており、ここを迂回するようにして向かわざるを得ません。
そのため、陸路では中央アジアのオアシス都市群(中国では「西域」と呼ばれた地域で、現在の新疆ウイグル自治区=東トルキスタンに相当します)を中継し、海路では東南アジアを中継することになるのです。
また、インド洋に面するこの一帯は、季節風(モンスーン)が吹きます。その名の通り、夏は陸に向かって、冬は海に向かって吹くこの風を利用することで、インド洋は海上貿易を古くから育んできたのです。
では、今度は海上貿易ルートとしての東南アジアを、もう少し詳しく見てみましょう。
東南アジアの海上ルートで何といっても重要なのがマラッカ海峡です。このマラッカ海峡は、インドと中国を結ぶ最短ルートにあたり、現在でも国際航路において重要な拠点に数えられます。
※ちなみに、マラッカ海峡は交通量が多いがゆえに、現在でも「あるもの」が多発することで知られています。正解は海賊です。マラッカ海峡は大小の島も多く、海賊は小舟などに乗り島影に隠れて各国の船を襲うのです。
しかし、古代ではマラッカ海峡の水深が浅く、このためタイのクダ地峡を一旦経由するルートが用いられました ↓ 。
※上の地図は古代における海岸線が再現されているため、他の地図と一部異なっています。
このクダ地峡を介した交易ルートは、メコン川の河口を経由して中国とインドを結びます。このメコン川の河口には記録上最古の東南アジアの国家である扶南(ふなん、プノム)が形成されます。扶南の港市であったオケオ遺跡からは、インドの神像やローマ金貨などが出土し、東西交易でにぎわった当時の扶南の活況を今に伝えます。
( ↑ オケオ出土のローマ金貨)
7世紀に入ってマラッカ海峡がようやく開通すると、この海峡一帯を押さえた交易国家が大発展をとげます。
その代表例がシュリーヴィジャヤ王国という国で、この国はスマトラ島を中心とする典型的な港市国家であり、マラッカ海峡域を支配したことで中継貿易で非常な繁栄を見せます。8世紀にはジャワのシャイレンドラ朝と合邦し、東南アジア各地に遠征をくり返すなどしました。
一方で、シュリーヴィジャヤ王国・シャイレンドラ朝はともに大乗仏教国として知られ、世界最大規模の仏教寺院遺跡であるボロブドゥールがジャワ島に建立され、今日では世界遺産に登録されています。仏教やヒンドゥー教はインドとの交易などを通じて流行したものであり、交易の中継点であった東南アジアの豊かな国際文化をうかがわせる事例でもあります。
また、7世紀より東南アジアに進出したある商人集団があります。
それがムスリム商人、すなわちイスラーム教徒の商人たちです。おもにアラブ人からなるムスリム商人は、15世紀までインド洋貿易を事実上支配し、インド洋は800年にわたり「ムスリムの海」と呼ばれるにふさわしい状況にありました。
このムスリム商人により、東南アジアにもイスラーム教がもたらされます。イスラーム教はムスリム商人の交易ルートに沿って布教が進み、なかでもムスリム商人の多くが目指した先がモルッカ諸島(現マルク諸島)でした。
モルッカ諸島は香辛料の一大産地として知られ、ムスリム商人はこの香辛料を求めて東南アジアにやってきます。香辛料はユーラシア西方、なかでもヨーロッパで高値で取引され、ムスリム商人は莫大な利益を得たのです。
こうしたなかで、15世紀末にマラッカ王国という国で、支配層がイスラーム教に改宗します。マラッカ王国は名前の通りマラッカ海峡を支配し、香辛料取引を中心にやはり中継貿易で繁栄するのです。
このため、現代においても東南アジアでイスラーム教徒の割合が多いのがインドネシアとマレーシアです。いずれの国もかつてのムスリム商人の交易ルートに沿って、イスラーム教が定着していった結果というわけですね。
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いかがでしたでしょうか。
今回は、受験生にとっても鬼門である東南アジアをテーマとしましたが、東南アジアの地勢や交易ルートを理解すると、東南アジア史(とくに前近代)の全体像がいくぶん捉えやすくなったのではないかと思います。
東南アジアに限りませんが、世界史を理解するにはこのような地理的な感覚がどうしても必要になります。しかし、こうした「地理的な感覚」は決して暗記量を増やすようなものではなく、むしろ世界史を「体感」するうえで重要な要素であると私は考えています。
今回はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございました!!