内田先生のご講演を聴いて①「公人が、権力を私人たる自分のために行使している社会でいいのか」
先日、内田樹先生のご講演を聴くチャンスがありました。
とても貴重な時間だったので、
心に残っていることを、
私の主観が混じりながらで、
備忘的に記録しようと思います。
参加のきっかけ
きっかけは、公共施設のパンフレット立てにあったチラシ。
それは、私が地方公務員であるからこそ訪れた場所で、
地方公務員だからこそ気づいたような場所にあったチラシです。
行政らしく(?)、
非常に質素に、失礼ながら安っぽく、「内田樹氏ご講演」と。
こ、これは、あの内田樹先生?
・・・写真も本人だ。
同姓同名の別人ではなさそう。(笑)
何について話されるの?
いや、タイトルはなんでもいい。(ええんかい!)
講演会スタイルでライブで聞けるチャンス。
ナマ内田先生ですよ。
これを目にした偶然に感謝して申し込みました。
いちよ、
タイトルは「現代日本社会でコミュニティの再生は可能か」です。
内田先生なら、示唆に富んだ、
思慮の泉に私を連れて行ってくれるはず。
ええ、連れて行ってくださいました。
2時間がとても短く、あっという間でした。
忘れないうちにnoteしなくては。
利用者目線になっていない公共サービス
それにしても、行政的なところが開催するこういうイベントって、
意外と言っては失礼だけど、素晴らしいコンテンツがあります。
なのに、
幼稚な告知と、稚拙な進行で、そして、
お粗末な会場で行われることが多いです。
その代わり安い、というのは事実でしょうが・・・
行政に勤める私も自戒の念を込めながら、noteします。
では、稚拙、お粗末、幼稚とは。
大人ではない、成熟していないということ。
考えが自分のこと、自分の立場にしか向いていないこと。
自分のことしか考えていない、
公共を成していないことだと感じました。
終わってみれば、主催者さんのご挨拶も、
自己満足感が強く、
不快を感じたのはそういうことかと感じました。
公共への配慮に不足がある、ということ。
その方のやったことを苦労話のようにお話されても、
それは参加者が知りたいことではなく、
ああ、なんとも言えないご挨拶と進行でした。
悪くはないんです。
同業者として自戒の念を込めて、です。
自己満足のために振る舞うことは、私人。
決して公共のあるべき姿ではない。
それが、今回の備忘録note①の趣旨です。
先生のお話:会場の音響と公共
例えば、会場の音声、音響。
始まった直後、マイクとスピーカー、すなわち、音響設備が悪く、
満席の会場の後ろまで聞こえにくいということがわかったのです。
おりしも参加者の平均年齢は60才代後半か70代。
抗うことのできない老化で、耳は聞こにくくなっています。
内田先生、冒頭の15分は、
公共空間の公共への配慮について、持論を展開されました。
公共空間に、使う人への配慮がされていないことに嘆いている。
使う人、利用者とはだれか。
それはこの社会を構成する人のうち、
最も弱い立場の人を考えることが公共である。
なぜなら。
「個人」としての利益だけを追求し、
弱肉強食、強者がすべてを奪う、個の利益の拡大だけを進めると、
それは最終的には自分の利益にはならない。
だから、人は「公共」という考え方を見出した。
なのに、
それを利用する人の生理的感覚、におい、視覚、手触りといった、
利用する人の感覚に配慮することができていないことが多い多い。
例えばこの会場の目的は何か。
話す声を参加者に伝えることが目的のはず。
なのに、聞こえない。
後ろにいる人、耳が聞こえにくくなった人に聞こえない。
設計する人は何を考えたのか。
外に音が漏れないとか、外からの音を遮るとか、
そういうことは考えているのに、
話者の声が参加者に聞こえるのかに配慮できていない。
この部屋は、公共の役割を果たしているのか。
例えば駅でもそう。目的は何か。
移動することのはずなのに、地上に上がる際、
最後には階段しかないという駅がある。
ロータリーに大型バスが1台入ったら、
タクシーが出入りできない、そんなロータリーがある。
建築指針に書いてあるとおりにしていればそれでいいのか。
公共とはそうではない。
先生のお話:「権力を私人のために使う人」を成功者として目指している社会には、公共がない
この10年で特にひどくなった。
この社会はどんな人を成功者としてとらえているか。
「権力を自分のためにつかえる人」になっている。
本来、権力は「公共」のために私人が提供したものである。
例えば、税負担。
私人が公共のために供出したもの。
ルールも同じ。
公共のために私人が提供したもの、それが公権力。
その公権力を自分の利益のために使う人が、成功者と言われている。
みんなそこを目指して競っている。
(政治家の実名)さんもそう。
集まってきた公権力を公共につかわず、
すべて自分の利益、自分の名誉、自分の考えのために使おうとした。
社会はそんなトップダウンを認めている。
むしろ、求めてもいる。
なぜか。
そんな人たちは自分も自分のために公権力を使いたいから。
その競争に自分も勝ちたいから。
公権力を持つ人は、そもそも、
自分の仲間だけを考えるのではなく。
自分に反対する人の利益も守らなければならない。
それが公共の役割。
そこにいる人への、最も弱い人への気遣い。
これが公共である。
冒頭の15分でその場にいる人の、
「公共」についての考え方、
普段からの思考をグラグラと揺らし始める内田先生。
私はどうなのか。
先生のお話が問いかけとなり、胸に響きました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?