元写植屋勤務、印刷博物館「写真植字の百年」を見てきた
本格的にデザイナーになる前、写植屋で版下として働いていました。9時5時のアルバイトでスタートして3年ほどで退社。その後はデザイン事務所勤務で環境が変わってしまったけれど、今は跡形も無くなってしまった場所で過ごした日々は貴重な体験だったといえるかも。
私にとっては記憶の中にだけ存在してきた幻のような世界。
写真植字の百年というなら、その3/100くらい写植屋に在籍していた者として、印刷博物館で開催中の「写真植字の百年」を見てきました。
写研とモリサワ
写植の最初はイギリスだったんですね。でも文字の特性から、日本での写植の利点は大きい。開発に力が入ったのもわかります。展示はくっついたり離れたりの森澤信夫と石井茂吉の開発物語で始まりました。結構赤裸々で面白かったです。
詳しい連載を見つけたので貼っておきます。
自分の過去が博物館に並んでいる不思議と若干のフラストレーション
開発の話が一通り終わると、写植機の前に、前提として当時の印刷までの過程を説明したパネルがありました。版下制作で使っていたという道具も展示。
これが少々不思議な感覚で、自分がしていた仕事が解説され、仕事で使っていた道具、なんなら今でも持っているものも展示ケースの中に入って「歴史」扱いされている。
中にはこんなの使っていなかったなあとか、版下にこれの出番ある?と思えるようなものもあったり、版下の道具というよりデザイナーの道具なんじゃないのかなあと思ったり。(知らない人からしたら区別つかないよね?)
全く知らない職種の道具なら「へえ」で終わってしまうようことでも、自分が関わってたことについては何か言いたくなるのは人の常。私の周りでは使ってなかっただけなのかもしれないですけど。
展示を見ているのか、私が展示されてるのか(あり得ないけど)、自分の視点が定まらない妙な感覚にいつのまにかうっすら陥ります。
版ができるまでの説明パネルで「ん?」と思ったのは、“台紙は印刷物と同じサイズ、常に原寸で作成する”というところ。
確かに手頃なサイズなものは原寸で作っていたけど、大きなものは縮小でつくっていました。B全のポスターなんて原寸で作られた日には、持ち運びが大変。(今のようにデータをネット経由で…とかない時代。)
なんで「常に」って入れちゃったんだろう。変なところが気になる。
もしかしたら有名デザイナーの事務所などではそうだったとかあるのかもしれないけれど(???)、普通の版下は事前の確認の上で、扱いやすいサイズでつくっていました。
ポスターだと、だいたいB3くらいにしていたような…(うろ覚え)。
ピンセットの形も、ここにあるような真っ直ぐのではなくて先が曲がっていたのを使っていたなあと思ったら、そのあと、歯医者用のを転用したという説明が出てきました。
それが(私の頃には)一般的になってたのか!
それは知らなかったと、素直な気持ちで展示を見始めたのも束の間。動画を見てたらチラッとピンセットを使っているシーンが出てきて、「その持ち方だと安定しないんだよ、なんでデザイナーはそう持つかなあ…」と(すっかり20代の頃の気持ちで)なにやら偉そうに、心の中で呟くのでした。
写植機の展示
道具の展示の次はいよいよ写植機の登場です。初期の頃のものから最新(?)のものまで。発売時期や特徴のパネル、じっくり見てしまいます。当時は特徴なんて考えたこともなかった(そこに当たり前にある機械だった)。
私が勤めていた写植屋では5台くらいあったかなあ…。一度に揃えて開業したわけではないだろうから、新旧入り混じって置いてあったと思います。残念ながら操作をしたことはないので(そんな簡単に触らせてもらえない)、こういうのだったかなあ、あれかなあと数台の写植機の間をウロウロ。怪しい。
文字盤も展示されていて懐かしかったです。写植屋の部屋の中央に小さな文字盤を置いてある場所があって、オペレーターさんたちがそこからピックアップして使っている姿が思い出されます(なにをどう選んでいたかはイマイチよくわからない)。
展示内のところどころでは動画が流れて、当時の話をしていました。
その中で「文字カケ」の話が出てきました。久々に聞いた「文字カケ」という言葉、懐かしい!文字通り、文字の一部が欠けている状態なんですけど、(当たり前だけど)今ないですよね!
色校の時にも「文字カケ」、書いてました。色校って言えば、DTPに移行してからは「ゴミ」をチェックすることがなくなりましたねー(これわかるのはだいぶベテランの人。笑)
話がずれました…
最後の方の写植機で驚いたのは、文字の大きさをズームで1級ごとに変えられるものが出ていたこと。一般的な写植はレンズの種類で7Qからある程度の段階ごとの級数でしか打てず、それ以外の大きさは写植を暗室に持ち込み、紙焼き機で任意の大きさに焼いていました。
それをしないで済むとは画期的!便利!
と今言ってもしかたないんですが、これは(開発秘話も含めて)ちょっと興奮しました。
今回のこの展示を見に行った主な目的は写植機を見ることでした。
ここまででだいぶ満足。
愛のあるユニークで豊かな書体
私が写植屋で働き始めた頃は、既に写植全盛。多彩な書体が揃っていたので意識になかったんですが、自由度の高い写植になってから様々な書体が開発されたという話は面白かったです。こんな熱い動きがあったとは知らなかった。
ナールなど馴染みの書体も(当時の新しい書体として)たくさん出てきて、とても懐かしいセクションでした。ちょうどモリサワに写研の書体が加わるというタイミングで、新鮮に見る人も多いのかな。
写植屋の先輩社員に「東はほとんど写研の書体で、西の方に行くとモリサワなんだよ」と教えてもらいましたが、その後デザイン事務所に移ってからも、モリサワの書体はいくらか使えるものの、限られていて、普段は写研ばかり。(そういえば、リョービの書体もありましたよね)
なので今、モリサワから写研の書体が出る、おーー!となっているのは、なんとも感慨深いものがあります。
展示されている懐かしい書体は、私の記憶のせいか、昭和テイスト。今使うのは新鮮なのかなあ…ナール、もう一度どこかで使ってみたい。ゴナとかスーボとかも人気があったような。
実は物足りないところもあった
久々に写植機を見られてうれしかったし、とても良い展示でしたが、ちょっと物足りなく感じるところもありました。
それは写植機の開発や営業、書体を開発したデザイナーなどの話に比べて、「写植屋」という部分はあまり取り上げられていないんですね。
今やなくなってしまった業種なので、しかたのない面もあると思うんですが、写植屋勤務だった者からすると、そこだけ忘れ去られたように、抜け落ちてしまった感。寂しい。
DTPに移行したあと、昔の先輩と電話で話した時に、一緒に働いていた写植のオペレーターさんたちは引退した人もいれば、印刷会社に入った人(たぶんDTPオペレーターに移行したんだと思う)もいると聞きました。
写植時代の終焉も含めて、そういう人たちの話も聞けたら、より深みのある展示になったんでは…と思いました。
印刷に興味ある人には貴重な機会でおすすめ!
展示と記憶とごっちゃになった感想で(知ってるだけに)いろいろブツブツ言いましたが、写植機を見る機会はもうなかなかないし、印刷に興味のある人にはおすすめです。活版印刷は歴史でも出てくるし、美術展などでも時々登場しますが、こういう古いけどそれほど古くもないというものは珍しいですよね。
今の書体のバラエティさやデザインにつながる部分も見えてくるのでは。
今月は写真植字機デモンストレーションという企画もあって、運が良ければ自分で打つこともできるみたいです!(当日抽選)
●写真植字の百年
2025年1月13日(月・祝)まで/10:00~18:00(入場は17:30まで)
おまけ:パッケージ展
1階のP&Pギャラリーでは「現代日本のパッケージ2024」を開催中でした。SDGsを意識してか、デザインというよりも、素材や構造に特徴のあるものが多かった印象です。こちらは12月8日(日)まで。
写植屋の話があまりなかったので、記憶を辿って「ある写植屋での日々の様子」を書いてみました。
↓写植屋での変わった仕事について、以前書いた記事です。