めんどくさい女になりたくない
…と願うほどめんどくさくなるのだ。
そんな、めんどくさい長文。
あまり人に迷惑をかけたくないというスタンスで生きてきた。自立と自律。決して豊かとは言えないひとり親家庭で育ち、レズビアンであるとの自覚もあったわたしは、人生のかなり早い時期から誰にも頼らない生き方をしようと決めて、淡々とそれを実行した。勉強は特に好きではなかったが、糧を得るためと割り切って必要な試験をいくつか突破した。
努力という言葉は好きになれないが、浪人は許されないと自分を縛った。そして寄り道せずにそれなりの地位を手に入れた。そんな自分が少し誇らしかった。若い頃はそれで良かった。何も困ることはなかった。
目をギラつかせながら生き抜いていたある日、何故かは知らんが猛烈に愛された。
自分の存在を丸ごと受け入れられる。その喜びは麻薬みたいにわたしを支配して、気づけば好意の天秤がひっくり返っていた。
その相手とは致命的なすれ違いが浮上して三行半を突きつけられることになる。今思えば、わたしの好意が依存の領域に変質していたことも、その要因のひとつだろう。
別れ自体は仕方がないと思ったが、「受容」を渇望する回路が脳内に残されてしまった。
一種の依存症のように。
後の祭りだが、自立するには、わたしは少々早熟すぎた。もう少し親に甘えてもよかった年頃に、自分から決別していた。本当はもっと甘えたかったのだと思うけど、土を被せて見ないふりをしていた。ちなみに、家族のせいにしたいわけではない。あの頃はみんな必死だった。懸命にベストを尽くした結果こうなった、それだけだ。誰のせいでもない。
何も知らないわたしのままなら、中身が飛び出てくることはなかった。が、強烈な体験をして封印が破けてしまった。
無条件に愛されたい、好かれたい、甘えたい。
いくら恋人といえどそれを全部ぶつけられたらさすがにしんどい。頭では理解しているし、恋人だからこそ迷惑をかけたくないという自律心が強力に働く。
わたしが我慢すればそれで済む。そう思ってずっと生きてきた。今思えば相手とて、わたしを大事にしたいと望んでいただろうに、わたしがわたしを雑に扱っていたのだ。相手からすればこんなに悲しいことはないだろう。逆に置き換えればすぐ分かるはずなのに、気づかずにずっと過ごしていた。つくづく、未熟だと思う。恥ずかしい事実だけれど、似たような人の救いになったらいいなと思ってこんな文章を書いている。
受容を求める強い気持ちと、私が我慢すればいいやの気持ち。その二面性を見抜いた人からは「脆さがある」と言われる。それを支えたいけれど、自分がどれほどの荷を持てるかわからない、とも。全く以て真っ当な指摘だと思う。
すべてを乗せたらどんな人でも潰してしまうだろう……というか、前科がある。同じ轍は踏みたくない。
解決するには、まずは自分で自分を愛しなさいという。自分を一番無限に甘やかせるのは結局自分だけ。
はっきり言って今までやったことのない難事業だ。まぁそれなりの人生にはなっているし、悪いこともしていないけど、それが何だ? とも思ってしまう。
だがこのままではいけない。
手始めに……そうだな。
今日作ったシシトウの豚肉巻き、自作生姜麹に漬けて焼き上げたら大変美味かった。
わたしって天才だと思う。