すべての穴がどよめき叫ぶ~漢文の素養、『荘子』、そして笹井宏之~
Netflixのドキュメンタリー「Live to 100: Secrets of the Blue Zones」(邦題:100まで生きる: ブルーゾーンと健康長寿の秘訣)を見ていたら、「Health behaviors are contagious. (健康のための行動は人に伝染する)」という言葉が出てきた。周囲に健康的な生活を送っている人がいると、自然に影響を受けることがある、という意味だ。かくいう私も、長らく運動と無縁だったのが、ジョギングを欠かさない友人と知り合ったことで、毎朝走るようになった。…もし良い健康的習慣を持った人と知り合えたら、それは本当に幸運なことなのだ。
そしておそらく、伝染するのは健康的な行動(食事や運動に気を遣う)だけではないと思うのだが、それを確信したのは先月末に熊本で友人夫妻に会った時だった。
友人の西槇偉(にしまき・いさむ)さんは比較文学研究者。主に近代以降の日本と中国の文学を研究している。お宅に伺ったのは初めてだったが、各部屋に、四書五経や中国の古典から言葉を取って「○○之間」と名付けてあったのが印象的だった。ピアノが置いてある部屋は「成響之間」だったかな。彼は大学の先生だが、毎年教え子の名前をよみ込んだ漢詩を作って卒業生に贈っているという。教養が深く、古典という豊潤な泉から、たえず清らかな水を汲んでいる。そんな感じなのだ。
昼食の時に出た話も面白かった。彼の専門は比較文学なので、この時は日本の俳句が現代中国でいかに受容されているか、という話だった。大陸では主に「漢俳(かんぱい)」という短詩が作られており、漢字を1行目5文字、2行目7文字、3行目5文字で並べるのだが、この3行目が決め台詞みたいになってしまい、余韻や情緒がなくなりがちだ、と言っていた。それに対して台湾では、「華文俳句(かぶんはいく)」という形が主流で、これは2行のみ。字数に決まりはないらしいが、2行だけなのでえもいわれぬ余韻が残る、とのことだった。
もともと中国で生まれた漢字が日本に来て、万葉集が生まれて、短歌や俳句が生まれて、それが今度は日本から中国や台湾に渡って、新しい芸術が生まれている、というのが何とも面白くてわくわくした。阿蘇のどんぐりポークのソテーや天草の鯛のポアレも美味しかったのだが、彼の話が魂に美味しい、素晴らしいランチだった。
東京に戻って数日後、彼が13年前に新聞に寄せた書評のコピーが郵便で届いた。夭折した現代歌人、笹井宏之の歌集『ひとさらい』『てんとろり』(書肆侃侃房)を取り上げたものだという。
読んでみて驚いた。なんと笹井宏之の歌「からだじゅうすきまだらけのひとなので風の鳴るのがとてもたのしい」を、『荘子』「斉物論編」を引きながら論じているのだ。
『荘子』のこの部分は、風を描いた中国文学の中でも特に優れたものとして古来愛されてきた一節である。これを引用したことで、大地が息を吐いて一陣の風が起こり、それによって穴という穴が激しく音を立てるというダイナミックなイメージと、笹井の体が重なり合う。こんなふうに、21世紀の若き歌人の短歌を中国の古典と響き合わせられるのは、西槇さんしかいないのではないか。これを読んで私はそんな風に感じた。
明治時代の知識人がもっていた漢文の素養を、今、私たちの多くは失っているが、それはとても損なことである。もしそうした知識があれば、創作にも、そして批評にも、もっともっと広がりや奥行きが出てくるに違いない。まだまだ勉強が足りないぞ、と背筋が伸びる思いがした。そう、知らずのうちに影響を受けていたのだ。
ということで、ジョギングする人、食事に気を配る人と同じように、教養深く古典に精通している人、というのも周囲にいて欲しい。彼らの言葉づかいが、馥郁とした香りとなって、私の魂の衣に沁みとおってほしい。そしていつの日か私自身も、脈々と受け継がれてきた言葉の世界の素晴らしさを伝えられる人間になりたい。今はそんな風に願っている。
現代社会にあって、もしかしたらそれは、最も贅沢な願いなのかもしれないとも思いつつ、次に熊本に行ける日を心待ちにしているのであった。
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