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痩せたいのは人の世

最近ダイエット始めたんだよねー

絶対に痩せる気のない人のテンプレートか既に骨と皮のようなグレーハウンドのような奴の発言だが、なぜ人は痩せたく思うのだろうか.

今の書店には「生活実用/美容/ダイエット」というコーナーが作られ幾多のダイエット本で埋め尽くされているが、どれもパッとしない自己流のダイエット方法である.「食べて痩せる」「運動せずに痩せられる」の類の本が軒を連ねるが一般人(健康体)からすれば全く意味のわからない方法である.

「食えば太る」は縄文人でも知っているであろう常識である.食って太らないのは異常体質か病気の二択だ.

ダイエットの究極論というか常識は「食わない」であってエネルギー消費がエネルギー蓄積量を超えればいいのである.

「食わない」の究極論は茂木健一郎氏も提示しているが、全くであり当然であろうことだ.

しかし、実際には「食って痩せる」といった類の本が飛ぶように書店から売れている.それほど痩せている事への執着心がすごい.(食わなければいいのに)

確かに雑誌の表面を飾る人に太っている人は稀だ.ファッションショーのランウェイには必ず華奢な美しいラインを持った人が歩く.ここには恰幅のいい人がいないのも事実だ.

少なくとも先進国の中では痩せている美学が存在しているといってよさそうである.だが、世界は広い.

急激な発展途上を遂げてるインドの農村、高山地域では太っている人がモテる文化が存在している.さらにアフリカやアラブ、オセアニア地域でも同じように太っている人が結婚対象として見られている.

アフリカの国、ヌビア王国では「嫁入り前の40日間」という期間があり、この期間中に結婚予定の女性は穀物の引き割りや肉の入った山羊の乳を無理やり飲む.高エネエルギーな食事を大量に取ることで強制的に肥満ボディーを手に入れるのである.

インドでは食事に制限はないものの「若いゾウのように歩く肥った花嫁」が理想とされる文化が一部地域で未だ根付いている.

急激な社会成長によってこういった文化は廃れていっているのが事実だが、食料が十分に取れない時代に女性が太っているのは権力の象徴だったのかもしれない.太っていれば痩せている人に比べ出産も安全である.

まさに歴史の文化なわけである.

対に、我々の持つ身体の美しさの定義は程よくバストが大きくウエストが引き締まっておりヒップも大きいというのが大体の美意識であろう.

これは人類が食料を安定的に且つ、安全な社会を手に入れ植生や気候に左右されない都市社会に生まれ住んでいるから生まれた文化だ.

この価値観は中世ヨーロッパから始まる.13世紀にコルセットが誕生し、18世紀のハイヒールの誕生によって今のような美意識社会が作り出された.

当時の美意識は過剰なもので男尊女卑が当然の社会では男性の好みを追求するあまり、女性のウエストを以上なほどに締め付ける文化が主流になっていた.そのためウエストを引き締めすぎたことによる内臓圧迫によって命を落とす女性もしばしば.(美のために命を懸ける女性は今も同じかもしれない)

多くの人が憧れる有名ブランドの多くのデザイナーは男性で、Diorの作り出すドレスはどれも素晴らしいほどにウエストが引き締まっている.その後、CHANELの創業者ココ・シャネルによって女性の衣服に改革をもたらしジャージー素材を使った女性の新スタイルを生み出した.

さらに世界大戦が拍車をかけ、女性の出兵や工場勤めが始まると不自由なドレスよりも肢体が自由に使えるストレッチの効く衣服が求められるようになった.

少し話が脱線したが、結局は世界の最先端をいく国や社会では今の先進国の持つ美意識が存在していたのである.

僕は記事の中で人は他人と繋がって生きていく生き物だといったが、美意識も当然他人からの評価のために存在する.今の日本で以上なほどプチ整形が大流行しているのはルッキズム社会が台頭し世間では常に顔選別が行われているからに違いない.

僕がいくら人は顔じゃないと叫んでも誰も効く耳は持たない.1993年にリリースされた広瀬香美のロマンスの神様も物語っているように性格は外見には勝てない.

「痩せたいのは人の世」である.

この意識をうまく弁明するとデリダ論から理解することができる.

僕らは常に評価される立場にいるわけだが、これはインターネット技術の生んだグローバル化、世界の縮小化によって常に人と繋がっていることが挙げられる.

我々は自己の外壁にスマホを提示し観客によって評価を受ける.(SNSであればコメント、Yahoo知恵袋など)

これにより世間一般という概念が作り出され自己の中で外界との差分を減らすコンフリクトが生じる.

正に痩せたい美学の形成である.

この一般論的美的センスは地域の特性から影響を受けない西欧的美的センスと言える.たまにセブカル系のメスが入ってくることもあるが皆の視線は冷たいもので一時的な影響力はあっても直ぐに戻る.

この「痩せたい」という文化には終わりはない.

高校生は学校で化粧を禁止されても尚、化粧をして学校に通ったり、社会に出てから化粧が常識化するのを見ると実に理解が容易い.

個人のアイデンティティが何一つ残されず消滅している.

太っていると健康に悪い.という意見を聞く事もあるが、体脂肪率が40%を超えてしまっているようなおデブちゃんへの話だ.逆に痩せすぎも健康に悪いのはご存知のほどであろう.

健康を謳うのなら病院で提示される健康体を目指せばいい.文化が魅せるのは宗教、植生、気候の人類の形だ.そこには間違いなく美が存在する.

痩せたい社会は人の世だが、太りたい社会もまた狭い世なわけである.

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