2024年のマエストロに思うこと
「年老いた者が賢いとは限らず、
年長者が正しいことを悟るとは限らない。」
『旧約聖書ヨブ記』
旧約聖書の一部として編纂されたある男の人生日記.
神がある男の信仰心を試すために試練を課す物語なのだが、その課題は男を苦難の道に導き、人の死や自分の不幸を味わう事になる.そんな男の苦難の物語の一説である.
僕はこの文章を見て勝手に今の日本と重ね合わせてしまった.
接客が気に食わないと文句をいう老人
歩道で歩行者にベルを鳴らす自転車の老人......
生活の中で老人による迷惑は日常化している.
かつては日本経済を支えてきた人たちであって尊敬の対象に値する人々がなぜここまで腐敗してしまったのかはわからない.
つまりマエストロだった人々が今では社会の迷惑客になってしまった.
だが、僕が自分で言って何だが、この話は半分間違っているとも言える.なぜなら一部の人々は人生のマエストロとして若い世代に大きな影響を与えてきた.
要は、今の社会の迷惑客の老人とマエストロの老人では絶対に交わらないということである.こうなればヨブ記の一説、「年老いた者が賢いとは限らず、年長者が正しいことを悟るとは限らない。」が正しいと理解することができる.
現在、日本の総人口は1億2,000万人ほどと言われている.その中で老人(65歳以上)の総数は3,589万人となり、割合にして約30%を占めている.
もう4人に1人は老人の社会なのである.
この社会で老人全員がマエストロになるとは言え難い.今の若者が世間のお騒がせ者としてニュースに出るように老人にも一定数いてもおかしくない.
まあ当たり前の話なのだが.....
だから今の時代に「老人を敬え」は通用しなくなった.
ここで注意して書くが、タメ口を利け、雑に扱え、という話では全くない.
それは自分で自分を蔑むような劣等行為でしかない.接客業で丁寧に接するように同じく接するのがスタンダードではないだろうか.
ここは老人と若者(ここでは65歳以下)の共通認識によって生まれる.今は相互の共通認識にズレが発生しているから社会問題として取り上げられているのだと思う.
だが、なぜ2024年に若者vs老人のような括りで話されるようになったのか.
一つの理由に先ほどの老人の総人口が日本の総人口割合の母数を攻めているからだ.という意見がある.一見正しそうだが、昔の日本(江戸)ではお家制度中では老人が一番上であって尊敬される人物だった.
そのため老人の数だけでは肯定されない.
2つ目が先ほどのお家制度の崩壊である.僕はこっちが原因だと思っている.日本社会が戦後の高度経済成長の波に乗ると大量の団地が出現し、祖父母を含めた家族構成が崩壊した.
そのため老人と若者での接点が薄まり自然と老人への絶対的な尊敬の念が消えたのだと思う.絶対的評価の時代になったとも言える.
2024年のマエストロは評価によって成り立つ.評価というよりは自分の尊敬できる人、という感じだとは思うが.
こうなった以上、時代を戻すわけにはいかない.老人も若者も社会に順応していかなければならない.
これは僕が、電車の中で老人が入ってきても寝たふりをするサラリーマンも高校生も常識を持って欲しい.レジで店員を小馬鹿にする態度、歩道では歩行者が優先であることを認識してほしい.という切実な思いである.
ここまで読んでいただきありがとうございました.