ポストモダンのサイレントマジョリティ
ポストモダンは崩壊した
2000年代、人々は大きな転換期を感じていた.ノストラダムスの大予言がトレンドに入る中、ポストモダンと呼ばれる合理主義から脱却する運動が繰り広げられていた.
特に建築界では以前の近代モダニズム建築を否定するようなポストモダニズム建築が流行し、建築家の哲学が反映された建造物、M2ビル、サヴォア邸、ポンピドゥ・センター・メスなどが建てられていった.
(坂茂設計のポンピドゥ・センター・メスのデザイン性は素晴らしいが冬に雪が積もり帆の部分が決壊したり、度々排水が詰まりスタッフで除水している話を聞くと機能的とは言えなさそうだが、)
建築界ではポストモダニズムが大きな旋風を巻き起こした.だが、その概念は今はもう建築用語とも言えるほど狭義的になっている.
人々は合理主義から解放され、自由な存在として個々のアイデンティティを形成すると思われていたが、それは大きな誤りだった.
で映画『マトリックス レザレクションズ』の最後にアナリストが、人々は支配されたがっている、言い放っているのは印象的だ.
人は人による支配を望んでいる.望んでいない、と思っていても考えていても支配の安息地からは逃げられない.
今の世界は富裕層上位26人の資産150兆億円が世界の貧困層38億人の資産と同じであると言われている.しかし、「おかしい」と声をあげる人はおらず皆「仕方ない」と受け流している.
人々は僕らの思っている以上に支配に寛容的で柔軟な生物なのである.会社で上司の言うことを聞いて直線的な仕事をこなす人のように.
デカルトは“人間には精神があるから単なる機械ではない“といい、“動物には精神がないから、単なる機械である”と述べた.
普通に考えればこの理論の否定をすることができるはずだ.「動物も人間も精神が存在すると」
では人間は動物の部類なのであれば、単なる複雑な機械と言えるのだろうか.
答えをだそうにも「YES/NO」では出せなさそうである.
答えの旅に出てみよう.
数学者にノーバート・ウィーナーという『サイマネティックス』の著者で知られる人物がいる.彼は計算と出力の間には人間は介入せず、論理的判断を機械に任せる、と著書の中で述べている.
その後、AIの概念提唱が登場し、AIブームが始まるとトロッコ問題が出現し、論理性だけでは問えない問題がAIと人の違いを分割させようとした.
だが、計算力では人間はAIに太刀打ち出来なさそうであることが薄々感じられてきていた.
DeepMind社のAlphaGoが韓国の囲碁棋士であるイ・セドルを破り、人間の敗北を全世界が知ることになったのだ.(囲碁はオセロ、チェス、将棋に比べ組み合わせが多く数は10の360乗通りにもなり、ボードゲームの中で一番複雑と呼ばれていた.そのためAIが囲碁で人間のプロ棋士に勝った事実は何よりも衝撃的だった.)
人間はAIに計算力では勝てない、と証明されたわけである.
人間が単に計算としての役割を担う存在であれば人間の代替はAIで可能になる.しかし、人間が複雑な機械計算機だとするならば、計算だけでは分析できない人間の素のような部分が残る.
では“人間の素“とはなんだろうか.よく言われるのは感情表現である.
これらが人間に与えられた複雑なものだと思われるかもしれないが、外部性の伝達方式でしか共有ができない以上、感情表現はAIにも可能になる.
例えば、“悲しい”と思った時、人は外面に表情として出力する.その方法として「泣く」「悲しい顔をする」など他人に共有するためには単に心の内で感じるだけではだめなのである.
特に「もらい泣き」と言う言葉があるが、あれは他人の「悲しみ」に同情し、自身もミラー反応として同じ脳の状態に陥るからである.要は他人の悲しみは目を瞑っていては感じることはできないのである.
では人間と機械の文節点はどこにあるのだろか.
先ほど出した『マトリックス』にその答えがありそうだ.
マトリックスの世界を要約すると
と表すことができる.
この仮想世界では人間は無意識の中で支配されており、モーフィアスの持つ赤い薬を飲まない限り現実世界に戻ることはできない.
つまり、現実世界と計算機世界の区別が曖昧で味覚、嗅覚、聴覚、触覚、視覚といった人間の五感が機械と同期し計算機世界も現実世界も同じフィールド内で存在していることを指している.
人間と機械の文節点はどこにあるのか、の回答をするならば、答えは「Nothing」になりそうである.
ポストモダン化の話から内容が深ぼってしまったが、ここで言いたいのは計算機世界と人間世界の境界は徐々に滅亡し、人間は知らず知らずの内に支配されているが気づくことは不可能ということだ.
2016年のアメリカ大統領選で第45代に当選したトランプ大統領は「偉大なアメリカ」を掲げ、産業の空洞化によって衰退したラストベルトの人々を救おうとした.戦局は民主党のヒラリー・クリントン氏が優勢であり、次期大統領と多くのメディアが初の女性大統領として大騒ぎをした.しかし結果はトランプ氏の大逆転という形になり、メディアの予想を大きく覆すことになった.
この時、トランプ氏に投票したのはアメリカの低所得者層、低学歴層が大部分を占めていた.
これはアメリカの産業の空洞化、急激なグローバル化によって忘れられた人々「プロレタリア」の人々の逆襲だと言われている.
その規模が思っていた以上に膨大で力強かった.トランプ氏の発せられる言葉にあまり共感を持てないムードを作ってはいたが、実際の心の中では偉大なアメリカを取り戻したいと皆が思っていたのである.
だが、本当にそうだったのだろうか
実際にトランプ氏が当選してから状況は大きく変わった.トランプ氏の選挙不正疑惑が明るみになったのだ.
イギリスの選挙コンサルティング会社ケンブリッジ・アナリティカ社(CA社)がFaceBook社から不正に個人情報を入手し、トランプ氏に提供していたのである.
この事件を介してトランプ氏が行なっていたのはデータマイニングによる洗脳だったと言われている.
投票者個々のFaceBookの利用傾向を分析し、閲覧しやすい、いいねを押しやすい所に共和党の広告を打ち出す.投票者は知らず知らずの内に共和党を支持し、共和党の手の内にいた可能性があるのだ.
正にマトリックスの世界そのものと言える.人々は表面では支配されることを望んでいないが、知らず知らずの内に支配されていたのである.
ポストモダンは崩壊した
ここに帰結するからわけである.
人々は個々のアイデンティティを優先し、自己を主張するような社会を頭の中では作り出そうとしていた.しかし実際に起こったのはデータ分析による支配と人々の連結であった.
現、2024年の社会も人々の繋がり、共同体への帰結を感じる事例は多い.例えばLGBTに関する主張でも性的少数者が団結し、社会で大きな影響力を持つようになり、歌舞伎町のタワーに男女共用トイレを設置するに至った.
マイノリティの力がマジョリティの力を上回った例である.
他にもADHDを必要以上に擁護することを求める考え方も蔓延いている.以前まではADHDなどの精神病は社会に出る上で「社会不適合社者」「一般人と違う存在」として考えられ、恥ずかしい事のように扱われてきた.
そんな社会から恥をかく事なく他人に打ち明けられる社会になった.これは本当に賞賛されるべきことである.
一方でSNSのプロフィール欄には「子供がADHD」や「ADHD疾患を持っています」とADHDを他人にひけらかすように伝え、無理強いな承認を得ようとする輩が出現しだしたことには全くを持って共感することができない.
そしてマイノリティの人間と思い込む輩は社会での発言権を大きくしマジョリティの発言権を奪っていく.これは場合によっては本当のマイノリティの人々を苦しめる結果になる可能性もある.
現世界で横行するマイノリティによる社会変動は徐々に収束し、サイレントマジョリティとして声を上げられない人々が行動で証明する.無理もないわけだ.
そして現世界の騒動は機械が大きく影響していることは周知の事実である.SNSがデータ分析によって個々に最適化された情報を提供しエコーチャンバーやフィルターバブルを起こしている.
SNSの特性上仕方がないが、思想、宗教観が世間一般的に間違っているとみなされても、ヒトラーのような過激な思想を持っていても批判する者を見つけることは困難である.
今のSNSは蟻地獄のような世界だ.
江戸時代のような江戸っ子社会は存在しない、床屋政談も井戸端会議も全ては機械による最適化された世界での会話であり認め合うことだけを必要としている.
誰も他人の意見を伺おうとせず、自分の世界をイデア世界と思い込む.
これは誰も止めることはできず、気づくこともできない世界である.
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