(1)孔子が愛を仁と翻訳した

仁の字は甲骨文にはない字である。漢許慎の【説文】では、仁について次の様に説明している。
  親也。従人,従二。臣鉉等曰:「仁者兼愛,故従二。」
 
「兼愛」とは「愛人」(人を愛す)という意味であり、現代語では「博愛」という。しかし、「故に二に従う」とはどういう意味であろう。
孔子は「仁」の「二」を天地の神と解釈し、人の右に神がいるという構造は、神と共に生きる事を意味し、それがすなわち人を愛すという意味になるのと解釈したと考える。老子も「一は二を生じ、二は三を生ず」として、造物主「一」が分かれて、天地の神「二」ができた事を述べている。老子は孔子より後の戦国時代の人物と思われるが、孔子の生きていた時代に既にこの様な創世記の物語が既に中国大陸に流入していたと考えられる。
一方、戦国時代を生きた孟子は「惻隠の心」を提唱した。【孟子・告子上】に
惻隱之心,仁也;羞惡之心,義也。
 
とある。小篆では、仁は「人+二」 から成っている。つまり、「老人が荷を背負っている」ことを表す字である。この解釈は従来からあった考え方を言葉にしたものと考える。孟子は小篆の字体を基にして、上の事を述べた。「老人が荷を背負っている」ことに対して「忍びざるの心」を持つことが、惻隠の心、つまり仁の心である。孔子以前には、仁を愛とした人は無く、戦国時代を生きた孟子も孔子とは異なる解釈をしている。仁を愛と翻訳したのは孔子自身であった。
 
 

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