(五十八)落語『狂歌家主』の狂歌を楽しむ

落語の『狂歌家主』に出てくる狂歌を楽しもう。この演題は色々な噺家が演じているが、三代目三遊亭金馬が得意としていた。
この落語には、隠居と八五郎の会話の中に、狂歌が多く出てきて、聞く者を楽しませてくれる。隠居が当意即妙の歌を提示するが、八五郎が、面白いダジャレを入れて返すのだ。
 
落語では、先ず、家主が狂歌家主と呼ばれるようになった訳を話している。婚礼の晩に飾ってあった島台の足が一本取れてしまった。これに周りの者は驚いたが、隠居は他の足も全部取って狂歌を紙に書き貼っておいた。その狂歌というのが、
 あしという事を残らず取り捨てて よき事ばかり残る島台
 
島台とは婚礼などの際に飾る島型の足付の台である。その「悪し(足)」を皆取りはずしたので、「良い事」ばかりが残ったという洒落である。この当を得た狂歌から「狂歌家主」と呼ばれるようになったのであった。
 
話は次に移る。道楽息子を勘当しようとした父親に対して、代わりに詫びを入れんとして家主が狂歌を作った。
 悪いとてただ一筋に思うなよ 渋柿を見よ甘干しとなる
 
この歌は教訓的な意味を含んだ短歌である道歌で、本歌は「悪しきとて只一筋に思うなよ 渋柿を見よ甘柿となる」となっている。渋柿をそのままにしておいては渋柿のままであるが、皮を剥いて吊るしておけば甘干しになるとの比喩である。これに対して、八五郎は、
 寒いとてただ一筋に思うなよ あんかを入れれば温かになる
 
また、家主が話題を変えて、先日搗米屋を頼んだがなかなか来ない。文句をいうのも何だから、歌で催促をしたとして、その歌を披露する。
二度三度人をやるのになぜ来ぬか 嘘を付きやで腹を立ちうす

詠んだら、すぐ来てくれたのだ。和歌の効果である。二斗三斗、小糠、搗屋、臼と搗米屋の縁語を上手にちりばめている。
次の話題は、酒屋の番頭にお酒を付けで買おうとしたら、番頭は「ます尽くし」で断わりを入れる。
 借りますと返しませんで困ります 現金ならば安く売ります
 
これに対して、八五郎も「ます尽くし」で応酬するのが面白い。
 借りますと貰ったように思います 現金ならば余所(よそ)で買います
 
さて、話題が急に変わり、貧乏を題材にして作ることになり、八五郎が披露する。
 貧乏の棒も次第に長くなり 振り回される歳の暮れかな
 貧乏をすれば口惜しき裾綿の 下から出ても人に踏まれる
 
この歌を聞き、家主が「それはいけない、風流の道に口惜しきとか、人に踏まれるとか愚痴を言ってはいけない、貧乏を苦にしないのが良い」と言う。そして、次の歌を披露する。
 貧乏をすれどこの家に風情有り 質の流れに借金の山
 
我が家を枯山水に譬えた歌である。すると、八五郎がすかさず応じる。
 貧乏をしても下谷の長者町 上野の鐘の唸るのを聞く
 
長者町は現在の上野三丁目辺りをいうらしい。上野の鐘は寛永寺の鐘であろう。勿論これらの歌は余所から借りて来た歌である。家主が「貧乏を苦にしない」といえば、八五郎は「だから、店賃も持って来ない」と上手く言い訳につなげる。
 
話は古暦を題材にすることに行く。附け合いで家主は上の句を詠む。
 右の手に巻き収めたる古暦
 
これに対して、八五郎が混ぜっ返す。
 おやおやそうかい南瓜の胡麻汁
 
面白いが、これでは上の句に繋がらないので、附け合いにはならない。これに対して、家主は下の句を自ら付ける。
 歳の関所の手形にぞせん
 
と上手く繋げる。歳末を関所に見立てて、古暦をその手形にして無事歳を越そうとする意味を込めている。
 

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