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ADHD vol.4。

【更に彷徨い続ける】


日中は建築現場の日雇い派遣で働き、夜はネットカフェで泊まる生活を続けていました。_:(    _ ́ω`):_

所謂いわゆるネットカフェ難民でした。

当時はまだネットカフェ難民という言葉はありませんでしたね(。-_-。)

この時の日給は7000円弱。

時には真夜中の養生·清掃もありました。

派遣だとお金が貯まらないからジリ貧になると思い求人雑誌を購入。

面接を終えてその日の内に採用との連絡が来ました。

数日後に設備会社の見習いとして働く事にしました。

多忙の中、仕事の合間を見て心療内科を受診していました。

薬は何種類か変わりました。

当時のお薬手帳は紛失しましたが記憶が確かならば、ドグマチール·セパゾン·トリプタノールだったと思います。

頓服薬としてホリゾンでした。

しかし当時は病気に対する知識は乏しく副作用で大変だったと記憶してます。

当時の自分が1番失敗だったと思うのは病気の原因探しと思います。


【初めての転院】

最初に心療内科に通院し始めてから間もなく1年が過ぎようとしていました。

体調は相変わらず。

そして『何時になったら治るんですか?いっその事入院させてくれませんか?』

医師からの返事は
『貴方は入院する程ではないよ。それにここら辺では1番儲かっているクリニックだよ。』

今思えば患者さんが多く来るので信頼できるという意味合いだったのかもしれませんが、当時の自分は正常な判断が出来なくなっていたのだと思います。

その一言で何かもうこの医師を信頼する事が出来なくなり『他の病院へ行くので紹介状を書いて貰えませんか?』

医師は少し考えた様に思いましたが『依頼されたなら書くけどもそんなに変わらないと思いますよ』

『今までありがとうございました』と一礼してネットカフェで心療内科·精神科を探していました。

今の主治医に繋がるまで転院を繰り返す事になるとはこの時は知る由もありませんでした。


【次々と変わる病名】

途中色々な経緯がありましたが、我ながらあまりにも悲惨な内容で書けないので割愛させて頂きます。(´・Д・)」

そしてこの後はクリニック·病院(心療内科·精神科)を変わる度に病名が変わりました。

自律神経失調症⇒統合失調症⇒双極性障害⇒うつ·パニック障害⇒気分変調症


【転院8回目】

そして今のクリニックに辿り着いてから成人期発達障害せいじんきはったつしょうがい、ADHDと混合性不安抑うつ障害こんごうせいふあんよくうつしょうがいと診断されました。

辿り着くまでの転院回数は実に8回。
閉鎖病棟の入院2回。
目が覚めたらICUのベッドの上だった事1回。
デイケア2回。
自分自身を傷付けた事は数知れず。


【自分に合う医師と服薬】

今までのPCとにらめっこしている医師と違って

①きちんとこちらの話を最後まで聞いてくれる。
②薬を出し過ぎない。合わない薬はすぐに変更して貰える。
③診察毎に目標や注意する事を説明してくれる。
④治療において何故ダメなのか?という事に対して理由をきちんと答えてくれる。
⑤自分が努力して出来た事に対して褒めてくれる。

ただし人には相性があるので自分に合っていても他の人に合うかどうかは分かりません。

以前、知人の紹介でその知人が薦めてくれた別のクリニックに通院した事がありましたが、自分は正直その医師とは合いませんでした。

そして勿論、自分に合う服薬が違う人に合うかどうかは分かりません。

その逆も然り。

自分と相性の良いクリニック·病院に繋がる事でようやく精神面は安定してきました。

そして薬にも相性があると身をもって体験しました。

今振り返ってもとても苦しかった時期でした。

振り返れる様になってきたのは精神が安定してきた証拠なのかなと思います。


今回はこの辺りで失礼します( ´ ꒳ ˋ )ノ
最後まで読んで頂きありがとうございます。



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