#エッセイ
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【歴史23】イラン史備忘録26(セルジューク朝実態・アタベク朝・詩・ゴルガーニー・アマーニ・オマルハイヤーム・ニザーミー・モスク・イーワーン・ジャーメモスク・アラベスク・ミニアチュール)
イラン史の学習内容を深めていきます。 ①セルジューク朝の中心地ではスルタン内紛が起こっていた。そのため中心部隊は十字軍と戦っていなかった。地方にセルジュークを名乗る小さな王朝が群立していた。 ②セルジューク朝の王族の男子はすぐ亡くなったため幼い王子だけが残される事があった。 王子を救済した有力者が後見人となった。王子の母親と結婚して義父となり権力者となったものをアタベクという。 ③セルジューク朝は3分割以降は中小のアタベクが各地で実権を持っていたのでアタベク朝とも云う
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【歴史23】イラン史備忘録25(セルジューク朝3分離・ベルクヤルク・ムハンマドタバル・サンジャル・十字軍結成・ルームセルジューク朝・イェルサレム王国・ザンギ朝・サラディン・ヒッティーンの戦い)
イラン史の学習内容を深めていきます。 ①1092年10月にニザームルムルクはバクダードに向かう途中に暗殺された。シーア派の暗殺教団による犯行と云われている。 マリクシャーは11月に亡くなりセルジューク朝で後継者争いが起こった。②後継者はマリクシャーの息子の12歳のベルクヤルクと4歳のマフムードであった。ベルクヤルクが後継者となった。1095年に叔父のトゥトゥシュと対立してトゥトゥシュは戦死した。1100年にベルクヤルクは異母弟のムハンマドタバルと5回戦った。 ③イラン中