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消えた記憶と残った習慣

さぁ干そう、と洗濯機を開け洋服などを取り出した途端察した。

オムツを一緒に洗っている

と。

まぁ、それはいい。
よくはないけど、より問題なのはオムツを一緒に洗うことはこれで3度目なのに前回どんな風にこれらの処理をしたか全く記憶にないことだ。
圧倒的吸収ポリマーを前にすると人は思考が停止するのかもしれない。
私の頭の中のポリマーが記憶を吸っている。
とにかく2回目の洗濯が後に控えていたので処理を急がなければならない。

「オムツ 洗濯」

で検索である。

『まずは衣類に付いたポリマーを振り落とします』

という一文で記憶を少々取り戻すことができた。
そうそう脱衣所でバッサバッサとポリマーを落として、またその落としたポリマーの処理に追われた、ような。まぁいい、やろうか。

その後も検索した記事の指示通り、フィルターを掃除したり衣類を水のみで洗い直したりなどし日に当て干したらポリマーは消えた、ように思う。

子どもを産む前、いや産んでからも
「オムツを洗濯した」
という話を聞く度にポリマー落とし問題よりも洗濯物がおしっこの付いたやつにまみれている、ということの方が嫌だなと思っていた。
なのに実際、その事態に遭遇するとおしっこなどどうでも良くなる。
これは「我が子かわいさ」からなのか。
とにかく、見えないおしっこより見えてるポリマーなのだ。

子どもがいるともっと清潔に気を使うのかとも思っていたが、なんならどんどんズボラいろんなことが許せるようになってきている。
オムツin洗濯機しかり、出ている鼻水をティッシュではなくハンカチで拭くことも、帰ってきた足を洗わずベタベタ歩かれることも。
小さい我が子2人とお風呂に入ることが多いので、入浴後に結露取りワイパーで浴室の水分を取ったりすることもやめてしまった。
夫はまだ続けているようなので、応援はしている。

もう、残っているきれいの習慣は手洗いくらいな気がする。
最低限、最後の砦。

一時期持ったジェル消毒もリュックにぶら下げただけでそのうち容器の角が薄汚れてきたのを機に使い切れないまま退場させてしまった。


もともとズボラの才能があったのだろう、それがいま子育てとともに花開いた。

家に帰ったら

食材を触る前に

トイレに行ったら

手を洗う。


小さい頃に父母や祖父母に言われ続けてきたことが結局残った。
子ども達にもこれくらいは言って聞かせよう。


とはいえもうポリマー落としは、やりたくないので要因と思われる
『洗濯機の横にゴミ箱』
という配置を変えてみた。
これで「ごみ箱へホイ」のつもりが「洗濯機へホイ」という悲しき事件は防げるだろう。

とやってみたところで

「この配置換え前回のオムツ洗いの後もやったな」
と記憶がよみがえってきた。数日経ってやっぱり動線が不便だ、と戻したのだった。
どうやらここまでがわたしのオムツ洗い後の一連の行動らしい。
記憶を失っていてもやることは変わらないのね、と恋愛映画なら盛り上がりそうな動きを見せたが誰にも感動はない。

記憶が全て戻ったところで喜びも感動もないがせめて4度目はないといいなと思っている。


不便なのでゴミ箱は洗濯機横に戻した。
映画なら悲しきフラグがたったところ、かもしれない。



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