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舞台「おつかれ山さん」感想

劇場と配信で観劇。
震えた、というのが劇場を出ての感想。
劇場では最前列、ほぼセンターで観劇。ラスト、それまでの全てを持って行ってしまう圧倒的パワー。

この作品は、今の時代に書かれたものではない。生み出された時がいつかは分からない。それでも、今の時代だからこそ、必要なのかもしれない。
色々な要素が入った作品。

主人公の山さんこと山口先生と大山先生の対比が面白い。
2人とも共通しているのは真面目ということ。そして2人とも忙しそうにしている。
ただ本質は違う。

山さんは気が弱いわけではない。ただ責任感が強い。他にいない、そして任されると引き受けてしまう。他人から見たら、貧乏くじひいているなあという印象に映る。
でもこの手のタイプは、そのことに気が付かない。気が付くまでに時間がかかる。
なぜなら、ふと気が付くには、時間のゆとりが必要だから。でも、それに気が付くだけの時間がない。そして悪循環に陥る。

大山先生はエリート、完璧主義者。潔癖症で完璧主義者かなと思わせる綿手袋。
それまで失敗もなく進んできて、社会人になって責任ある仕事を任され、その責務を果たすべく、一生懸命。挫折なく進んできたが故の脆さが伺える。

この2人の決定的な違いは、「できないこと」の基準が違う事。山さんは失敗ではなく、誰かのためにという意識が強い。演劇部と柔道部の顧問を兼任していて、それぞれを大切にしている人たちがいる。そしてその人たちのために何とか自分ができることをしたい。そんな想いが感じられた。
大山先生は、失敗などするわけないという自信もある中で、反して仕事が自分の意志だけではうまくいかない難しさに直面して、どこかで失敗することを恐れている。
社会に出て責任ある仕事を任されるということは、人を動かすことでもある。逆に自分に能力がなくても、人を動かす能力があれば何とかなる。
学生時代とは大きく違うこの点に、ちょうど気が付いた頃、そして自分の思い通りに動いてくれない人たちに苛立ちを覚え、ストレスとなり、苦しんでいく。

どちらも社会の縮図。
ただ、山さんの場合は深刻。教師という立場ではあるが社畜と同じなのだから。

山さんは演劇が何よりも好き。だからプライベートで劇団を立ち上げて公演まで行なう。だからこそ、演劇部が大事だった。
でも、柔道部を任されて、まだ日が浅いこともあるかもしれないが、柔道部へかける時間が多くなる。体罰が騒がれ始めた時代というのは描写されていて分かった。教師という立場が弱くなり始めた時期ではないだろうか。
教師が訴えられるようになった時代。その始まり。怪我をするトレーニングの時はついていないといけない。そんな事も描かれていてた。そうなると、当然、柔道部にいないといけなくなる。

普通に考えて、自分が力を注いできた演劇部を大切にしたい。柔道部なんて適当にやればいいじゃん。名前だけ置いているような顧問でもいいじゃん。そう思う。だけど、そうできないのが山さん。演劇部にはある程度の信頼もあったし、生徒との信頼関係もある、そんな甘えもあったかもしれない。一言、「柔道部が落ち着くまで」と言っても良いのに、それも言わない。とにかくどっちも両立。それを周りは「大変だねえ」くらいにしか思わない。

企業でも同じ。
中途半端にできる人間だと、色々と任されてそこから脱却できない。人がいないから仕方がない、いつか人が増えたら改善される、自分が断れば誰かが困る、自分が断ることで波風を立てたくない・・。そんな想いが交錯して、気が付けば見ないようにして、そして自分が限界を迎えていないように思い込み、ひたすら仕事をこなす。立ち止まる余裕もないから、自分の置かれた状況がおかしいことにすら気が付けない。
「できません。任されても、仕事に支障がでます。どれもうまくいきません。少し負担を減らしてください」
会社や、この場合は生徒たちの事を考えたら、そう言わないといけない。だけど、そのことに気が付かない。

この問題を、この作品は丁寧に描いている。これを観ていて、山さんに同情してしまう人、バカだなと思う人、分かるけど、そうじゃなんよと思う人。感じ方で自分の今の状況が分かるくらい。それくらいはっきりと出る。

そこまで苦しくて、それでもプライべートでの劇団をやめなかったのは、ただの真面目だけではなかった。そこが心の拠り所でもあったから。そこが最後の防波堤だった。そこが決壊したら、自分はおかしくなる。それも分かっていた。だから、劇中では決壊する前に休止ということにした。壊れるよりマシだと思って。

配信で再度観て、感じたのは、これは家族のための行動だったのかという点。
一見、家族のためという風にも見える。家族と劇団を天秤にかけて家族を選んだ。でも実際は逆だった。家族に少し時間をかけて、ある程度の”姿勢”を見せて、演劇にまた力を入れられるように。そう感じての行動に感じた。

そしてラストに向けて、一つ一つ壊れていく。
不倫を告白され、支えてきた柔道部、信頼していた演劇部、劇団、全てがドミノのように倒れていく。
それが精神の崩壊を表現しているように感じる。でも観劇しているときは、ここまで客観的には観ていられない。そしてラスト、直接的な崩壊が表現されて震える。

今回拝見したのは「葉チーム」だった。山さんの妻、知子を演じていた篠田美沙子さんの表現に違った意味で震えた。

前半、楽しそうに山さんとじゃれ合う姿は可愛らしく、山さんと重なった瞬間の笑顔は、劇中で一番の笑顔じゃないかと思わせるものだった。演劇には興味がないと、趣味については距離を取っているという中でも、献身的なように見える。その仲の良さは、この作品の中で数少ない笑いの起きるシーン。
でもそれは裏返せば、本来は明るく優しい性格。だからこそ、真面目な山さんと惹かれあった。そんな事を思わせる。ポロリン、ブラリンといった下らないと思える会話の中に、「演劇で家族の愛とかやらないの」と聞いたり、劇団員を大根と表現し、母子家庭といった表現で、家族のほつれが見え隠れしている。
この笑いの起きるシーンで見せる数少ない本音の表現が、後半、不倫を告白するシーンに大きく左右している。ポロリン、ブラリンのシーンが笑いを誘えば誘うほど、後半が観ていて苦しくなる。そうなる様に計算された演技だったと感じた。後半、来客がたくさん来て蚊帳の外になった瞬間、表情が一変したのも印象的だった。
知子のやったことは確かに良くない。でも、サインは出ていた。
そして時系列がはっきりしないが、劇団を休止した山さんは、一体、どうだったのだろう。家族を優先したはずなのに、それでもその想いは、知子に伝わらなかったことになる。
それはどこか腑抜けた姿になってしまったのではないか。そう感じる。忙しくても、心が充実している時の山さんと、支えを失った山さん、それは知子だからこそ感じたのではないか。そしてその経緯が、演劇を休止したからだとしたら、家族を選んでそうなったのだとしたら、家族としてはこれ以上に哀しいことはない。
劇中ではそこまで表現されていないけど、そうとも考えられる状況でもあり、そう受け取る人もいると考えたら、その部分も表現しないといけない。そして、それを感じ取れた、篠田美沙子さんの演技でした。

最後に一つだけ。
当初、親からのクレームとして城之内は名前だけだった。よくある教育熱心、子供を溺愛する親、モンスターペアレントの先駆けのようなイメージを持っていた。ところが、出てきたのは、それこそこの作品が書かれた頃のレディース上がりをイメージさせるような姿。
そして学校や教師に対して、良いイメージを持っていない、息子だけが停学というのは理不尽ということに怒っている、そういう感じだった。一方で、筋が通っていれば納得するタイプのようにも取れた。
事実、山さんのきちんとした説明、目を見て話すその姿、子供のためを思ってのことだという話に納得し、また山さんの男気に納得して、山さんのことを教師として、男気も買ったのだと思った。そしてそういうタイプは、一度気に入ると、その強い思いも揺るがない。
そんな筋の通った姿に見えたからこそ、最後、山さんの家に乗り込んでまで来るということに少し違和感を感じた。ここに至るまでに、隠れた何かがあったのではないか。そう考えたら、その何かを知りたくなった。実に興味深い。

そしてそのラスト、最後に「おつかれ、山さん」と山さんがいう。
あれはタイトルコールなのか、それとも本当に山さんが呟いたのか。いわゆる、「お疲れさま、自分」という意味合いなのか、判断がつかなかった。
なぜなら、劇中で「山さん」と呼んでいるのは劇団員の人だけ。呼ばれなれているのは「山口先生」「山口さん」だろう。
それが「山さん」という表現になったのは、やはり一番の自分の居場所は、劇団だったから。そういわれることが嬉しかったから。特別な場所で特別な存在だったから、思わず出た。そうだとしたら、納得がいく。
なぜなら、資金も全部出していた。劇団を守るため、なにより必死だった。
劇中、いじめの話で、「お金がからむといじめじゃなくなる」という表現があった。そして劇団員もお金を出してもらうことに引け目を感じていた。一緒に創り上げていこうと、劇団員として団結している一方、自分の居場所を守るためにお金を出していた山さん。でもそれが対等な関係を崩してしまっていることに気が付かなかった。お金じゃなかったら、また違っていたのかもしれない。仲間として、泣き言を言っても良かったのだと思う。強すぎる責任感も手伝い、自分がなんとかしないといけないという想いはわかるけど、結果、崩壊を招いてしまった。

自分は山さんに近かった。できないことでも求められたら勉強して、それなりに結果を出していたから、どんどん荷物が増えていった。だけど、観劇に行くようになり、色々なものを吸収するようになり、色々なものを感じ、山さんのようにはならなかった。その前に立ち止まって、周りを見渡すことができた。それこそ、今は無理だけど、以前、終演後の面会で篠田美沙子さんと話をした時などは、自分の心が充実した。SNSでコミュニケーションをとれるようになって日々、仕事から、日常から切り離される時間ができた。
この作品は、まだSNSもない時代。もしSNSがあった時代なら、山さんもどこかで止まることができたかもしれない。
そんな風に感じると、自分は幸せなんだと実感し、大切な時間を貰っていると感じた。

今、自分の会社には山さん状態の人がいる。何とか救ってあげたいけれど、山さん同様、自分が危ういことに気が付いていない。立ち止まって真理に気が付くのも怖いのだと思う。
もしこの作品が再演されることがあって、その時まだ苦しんでいたら、是非、この作品を紹介したいと思った。
そして他の会社にも似たような人は多いはず。この作品を観て、山さんのことを救ってあげたいと思う人がいたら、同じように勧めてほしい。そんな作品だと感じた。


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