子どものためになったかどうかなんて、その子の人生追わないとわからない
どうもレモンタイム🍋です。
教育業界で働く人は、基本的にどの人もこう思ってると思う。
子どものためになることは何か。
だから、自分の考えなどを表明する場面で、よく耳にするこの言葉。
「より子どものためになるのは〜」という感じで。
ただ、よく考えると、子どものためになったかどうかなんて、その子の人生追わないとわからないですよね?
だからこの言葉って、
「より子どものためになる(と、私が信じているの)は〜」
の省略形じゃないかなぁ。
そしてもっと言うと、
「より(この)子どものためになる(と、私が信じているの)は〜」
だと思います。
子ども全般にとってのためになることがわかったら、教育は一般的な正答がない、に反しちゃいますものね。
文科省の指針はありますが、それは政策。文科省だって正答を持っているわけではありません。
そして、それは学者の先生方も平等に同じこと。確からしい、という思いを高めてくれるお仕事は大変だし、凄いことだと思います。確からしい、から安心して信じられますからね。ただ、それでもどこまでいっても正答ではないということ。
教育は信じることにどうしてもつながっていきます。
「より(この)子どものためになる(と、私が信じているの)は〜」
を洗練させていくために必要なことってなんだろうな〜、と考え始めたら迷い道。わっかんねー真っ最中です🍋
ではでは。
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