![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/56093921/rectangle_large_type_2_40a43172afc20f0c547321124d55a7ee.jpg?width=1200)
「じぶんがそれをいいと思っていると、相手にもそれを薦めたくなる」。その正体。自分中心の是非について?(朝活)
おはようございます、朝早すぎたのかもしれません。
たぶん二度寝すると思います。。。
今日は「自分中心であること」について書きたいとおもいます。
自分中心というと、小さいことから「良くない」ことだと教えられてきました。だいたいの大多数の人がそうなのではないでしょうか。私もその一人です。
さいきん、鍼灸に行く機会がありました。しっかり1時間やるのは初めてだったのですが、そのときにこのようなことを言われました。
じぶん中心であるというのは基本。その基本がある(満たされた)うえで、その次に人に何かをできる。じぶんを外にやったり、過小評価しすぎなくていい。
なんだか、そのようなことを言っていました。
「ふ~む」「なるほど」とおもいました。
考えとして、それは理にかなっているなと。
自分中心であることは当たり前のことで、まず自分を軸に置き、そこから周りへ何かじんわり広がっていくイメージなのかな、とおもいました。
親や学校で、そんなふうに教えてくれるところは、少ない気がしますが
ほんとうは大切なこと
「自分を軸にもつこと」「わたしをまずは温めること」
そういうことを考えていいんじゃないか。
よく言うのは、例えば水に溺れそうなとき、もし自分の赤ちゃんがいて助けたくても、まず自分が息を吸うこと。まず赤ちゃんに息を吸わせてあげても、結局自分が酸欠になってしまうと、どちらとも共倒れになってしまう。
そんなような比喩がありました。
飛行機などでもそうかもしれません。もし最悪そうなったら、まず何をするべきなのか。分かっていることであっても、実際するのは覚悟がいります。
でも、どちらも共倒れになるくらいなら、まずは自分を助けるべきだな。とわたしは思いました。
まぁ、考えてみたらそりゃそう!なんですけれど…😅
そういうことが、日常でも、ちいさく積み重なっていく。
家でご飯をたべるのはまず赤ちゃん。とか、夫とか。自分がおなかがすいているのに我慢してだれかにあげたりとか。寒いときに服を羽織るのはまず自分で、次に誰かにかけてあげるとか。ほんとうはやりたいことがあるのに、だれかを優先したりとか。悲しい思いをしているのに、我慢したりとか。逆に、怒っているのに、我慢したりとか。ほんとうは買いたいのに、我慢したりとか。逆に、ほんとうは買いたくないのに、我慢したりとか…
ちょっと、例えがよくわかんないですが、
そんな感じのことって、日常にもゴロゴロころがってるとおもうんです。
そういう時、なんかちょっと、自分をいたわってあげる。じぶんを癒してあげると、「つぎはだれかに何かしてあげよう」って気持ちに自然と向いていくような気がしています。
そんなことが「自分を中心にする」ということ
なのかもしれません。
よくある日本ならではの、なにか “皆が損をしているときは誰かに得をさせない” みたいな独特な文化(?)はこういうところにも潜在的に関わっていて、
マスク警察(?)とか自粛警察(?)とかそんな感じの言葉が、たしかありましたよね… みんな、じぶんが我慢しているのだから、相手にも我慢させなきゃいけないと思っているかのように、じぶんの我慢とあいての自由を比較していたのかもしれません。
じぶんが大切なら、きっと相手も大切なはず。きっとそう。
じぶんが(恋愛などで)束縛していたら、束縛されても苦ではないかもしれませんが、束縛されるのが嫌いだったら、相手にそれは強要しないはず…
じぶんがそれをいいと思っていると、相手にもそれを薦めたくなる。
いい意味でも、わるい意味でも、そういう風になる。
にんげんって、集団で生きているから、そういう生き物なのかもしれません。みんな共同体。
ちょっとだけ、アメーバみたい。
ちょっとだけ、アメーバみたいな集団生物。(笑)
おもしろいです。
何はともあれ、まずはわたしを大切にすることから、はじめよう。
それ以上でもそれ以下でもない、自分自身の人生なのだから。
いいなと思ったら応援しよう!
![花木れもん (微炭酸な🥂きみ)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/34672121/profile_ce321cb21b38b7e0e4040251d486b59d.jpg?width=600&crop=1:1,smart)