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「じぶんがそれをいいと思っていると、相手にもそれを薦めたくなる」。その正体。自分中心の是非について?(朝活)

おはようございます、朝早すぎたのかもしれません。

たぶん二度寝すると思います。。。

今日は「自分中心であること」について書きたいとおもいます。

自分中心というと、小さいことから「良くない」ことだと教えられてきました。だいたいの大多数の人がそうなのではないでしょうか。私もその一人です。

さいきん、鍼灸に行く機会がありました。しっかり1時間やるのは初めてだったのですが、そのときにこのようなことを言われました。

じぶん中心であるというのは基本。その基本がある(満たされた)うえで、その次に人に何かをできる。じぶんを外にやったり、過小評価しすぎなくていい。

なんだか、そのようなことを言っていました。

「ふ~む」「なるほど」とおもいました。

考えとして、それは理にかなっているなと。

自分中心であることは当たり前のことで、まず自分を軸に置き、そこから周りへ何かじんわり広がっていくイメージなのかな、とおもいました。

親や学校で、そんなふうに教えてくれるところは、少ない気がしますが

ほんとうは大切なこと

「自分を軸にもつこと」「わたしをまずは温めること」

そういうことを考えていいんじゃないか。

よく言うのは、例えば水に溺れそうなとき、もし自分の赤ちゃんがいて助けたくても、まず自分が息を吸うこと。まず赤ちゃんに息を吸わせてあげても、結局自分が酸欠になってしまうと、どちらとも共倒れになってしまう。

そんなような比喩がありました。

飛行機などでもそうかもしれません。もし最悪そうなったら、まず何をするべきなのか。分かっていることであっても、実際するのは覚悟がいります。

でも、どちらも共倒れになるくらいなら、まずは自分を助けるべきだな。とわたしは思いました。

まぁ、考えてみたらそりゃそう!なんですけれど…😅


そういうことが、日常でも、ちいさく積み重なっていく。

家でご飯をたべるのはまず赤ちゃん。とか、夫とか。自分がおなかがすいているのに我慢してだれかにあげたりとか。寒いときに服を羽織るのはまず自分で、次に誰かにかけてあげるとか。ほんとうはやりたいことがあるのに、だれかを優先したりとか。悲しい思いをしているのに、我慢したりとか。逆に、怒っているのに、我慢したりとか。ほんとうは買いたいのに、我慢したりとか。逆に、ほんとうは買いたくないのに、我慢したりとか…

ちょっと、例えがよくわかんないですが、

そんな感じのことって、日常にもゴロゴロころがってるとおもうんです。

そういう時、なんかちょっと、自分をいたわってあげる。じぶんを癒してあげると、「つぎはだれかに何かしてあげよう」って気持ちに自然と向いていくような気がしています。

そんなことが「自分を中心にする」ということ

なのかもしれません。


よくある日本ならではの、なにか “皆が損をしているときは誰かに得をさせない” みたいな独特な文化(?)はこういうところにも潜在的に関わっていて、

マスク警察(?)とか自粛警察(?)とかそんな感じの言葉が、たしかありましたよね… みんな、じぶんが我慢しているのだから、相手にも我慢させなきゃいけないと思っているかのように、じぶんの我慢とあいての自由を比較していたのかもしれません。

じぶんが大切なら、きっと相手も大切なはず。きっとそう。

じぶんが(恋愛などで)束縛していたら、束縛されても苦ではないかもしれませんが、束縛されるのが嫌いだったら、相手にそれは強要しないはず…

じぶんがそれをいいと思っていると、相手にもそれを薦めたくなる。

いい意味でも、わるい意味でも、そういう風になる。

にんげんって、集団で生きているから、そういう生き物なのかもしれません。みんな共同体。

ちょっとだけ、アメーバみたい。

ちょっとだけ、アメーバみたいな集団生物。(笑)

おもしろいです。

何はともあれ、まずはわたしを大切にすることから、はじめよう。

それ以上でもそれ以下でもない、自分自身の人生なのだから。


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花木れもん (微炭酸な🥂きみ)
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