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駄々文#14

祝PC復活記念文章。
4日間の眠りからPCが目覚めました。
キーボードを打ちたくて打ちたくてしょうがないので久しぶりに投稿いたします。
この頃長文を書かなくなったのは、その分のエネルギーを作詞に回しているからです。
他にも、文字だけの説明ややりとりというものに危険を感じておりまして、今はやたらと気持ちを文字にするものでもないな、ましてや文筆家でもない人間がという思いが少し出てきたというのがあります。
とはいえ長文の良さは、その危険な感情の省略を伴わずに一方的に塊をぶん投げられるところにありまして、私はやっぱり好きです。
ただ以前よりも伝われ!と思っては書かない。
言葉はあくまで遊ぶもの、本当に言いたいことは行動で示していく。

 さて、春ですね。
急に暖かくなったのもあって桜が一気に開花し、茶色が緑になり、風も冷たくなく、川はキラキラと乱反射し、なんと生命の息吹に満ちていることか。
この頃は感覚を大事に、なるべく頭をすっからかんにして生きているので、この息吹は強烈でした。
感動のあまり涙したと思いましたが花粉のせいでした。
最近沢山のことに気が付きます。
よく言っていることですが、30を超えてもこんなに新鮮な気持ちでいられるものなのだな、人生は面白いなと思い始めています。
物忘れもとてもひどいです。
先日のステージで、スター錦野旦がゲストで登場するというご縁があったのですが、私は事前にそのことを聞いていたにも関わらず、当日ゲストって誰なんだろうな〜とワクワクしておりました。
認知症患者もこんな気持ちなのだろうか、だとしたら思っているよりかは悪い気分じゃない。
よってこの新鮮さは忘れたことをもう一度繰り返しているだけなのかもしれません。
少し前になぜ人間の寿命は100年ほどなのか考えたことがあります。
その時思ったのは、もし200年生きられても最初の50年くらいのことはもう覚えてないだろうなということです。
もう記憶の容量がなくなって、多くの情報がペラペラに圧縮されて、生きた分だけ昔のことは消えていく状態を生きるくらいなら身体を捨てる。
それが寿命の設定と関係あったら面白いなと思うのです。
身の周りの、常に充実している雰囲気があって動き回って広い交友関係を持っている人ほど、昔のことを覚えていない傾向にあります。
彼らもまたそうやって動き回るために今現在に不要な情報を忘れていき身を軽くしているのだと思います。

 私もなるべく頭を空っぽにしていると先ほど言いました。
その中で成果が2つあります。
ひとつ、なにも考えずに音楽を聴いたり練習をしたりした方が身体にスッと入ってくる感じがある。
特に酒に酔っている時などは顕著で、私の場合耳がとても良くなります。
ふたつ、それに関連づいてなのですが、先日の演奏の際、私はおそらく人生で初めて”本番当日に一切の練習も確認作業もしない”ということをやりました。
寝起きの状態でなんとなく弾いたものが曲に採用されることが多かったり、リハーサル最初の一発目が一番スムーズにいくことが多いという自己の経験から試した英断です。
結果的に、思ったよりも上手くいきました。
このやり方に慣れていきたいものですね。

つまりここまでの流れをまとめると、PCにはあまり復活してほしくなかったなそのほうが頭もすっきりしているし悲惨で面白いから。
皆が大事だと思っているものを自分も踏襲していくことと、反対に捨てていくことは同じくらい価値があると思います。
今日中野と何度も財布を失くしてしまう友達の話をしました。
あぽろさんのことではありません。
失くし方もとても斬新で、”みんなで財布を球代わりにバレーボールしてたところまでは覚えてる”というのが直近のエピソードでした。
財布を懲りずに何度も失くすってもうそれだけでめちゃめちゃ面白いじゃないですか。
彼の功績を讃えて、”誰が一番面白い財布の失くし方ができるか選手権”を近日開催したい、参加者が現れれば。

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