240501 隣の教室の先生と共に歩むとは…
地方の小さな学校の勤務が長く
単学級の経験が多く
わりと奔放な学級経営をしてきた気がする
そして歳を重ねて 若い同僚と組むとなると
ついついしゃしゃり出てしまいそうになるんだけど
今年は踏みとどまっている その時間が面白い
単学級なので運動会に向けては
隣の学年との合同体育になる
リレーの練習なども準備時間がなく
打ち合わせも廊下の立ち話だったけれど
隣の教室の先生「私が進行します」とキッパリ
賑やかな学級の担任としてひと月
先生なりに学級の一人ひとりと関わってきていたので
その言動に沿って一緒に居るようにした
(自分にとって)話を聞いてもらえない態度とか
(自分の感覚で)うるさいなと思ったりとか
たびたび青筋を立てて声を出しそうになるけれど
ここでボクが声を出したら「割り込み」だよな と
その先生がつくった関係
その先生の言動で進む授業の活動
(自分が思う)「より良い」授業なんかを
一方的に押し付けてはならないな…と
結果的に 指示が完璧に通ったワケではないけど
活動が始まったら それはそれで
学年を超えて楽しそうに活動するし
予定を下回るような停滞もなかったと思う
むしろ「割り込み」しなかったことで
穏やかに周りの様子を眺めることができ
方々で活動するあの人この人の
カッコいい動きや言葉をいくつも見つけられたし
本当に「割り込み」しなくてよかったとホッとする
打ち合わせ自体は短い立ち話なんだけど
実はそれ以外にも仕事の端々で
その先生の学級での立ち居振る舞いの考えを聞いてきた
だからこそ なのだろうか
そうした立ち居振る舞い それは
在り方や考え方を見聞きして受け止められれば
こうして隣の先生と歩めるのだろうか
そうした在り方や考え方を
具体的に受け止められるまで聞くには
どんな機会や場があればいいのだろう
偶然の積み重なりに
ちょっと心持ちが変化した自分に
けっこう驚いている
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