#259 「富国生命保険事件」鳥取地裁米子支部
2010年5月12日に配信した「会社にケンカを売った社員たち」第259号で取り上げた労働判例を紹介します。
■ 【富国生命保険(以下、F社)事件・鳥取地裁米子支部判決】(2009年10月21日)
▽ <主な争点>
上司らからのパワハラとストレス性うつ病の相当因果関係等
1.事件の概要は?
本件は、F社に勤務していたXが、上司ら(AおよびB)から、逆恨みによる嫌がらせを受けたため、損害を被ったとして、同社に対しては民法715条(使用者等の責任)、同法709条(不法行為による損害賠償)ないしは同法415条(債務不履行による損害賠償)、A・Bに対しては同法709条に基づき、各自5000万円の損害賠償を求めたもの。
2.前提事実および事件の経過は?
<F社、X、AおよびB等について>
★ F社は、個人・企業向けの保険商品の販売と保全サービス、財務貸付・有価証券投資を主たる目的とする生命保険会社であり、鳥取県においては、鳥取支社のもと、米子営業所を有している。
★ X(昭和29年生・女性)は、昭和60年1月、F社に入社し、鳥取支社米子営業所において、営業職として勤務してきた。
★ F社の米子営業所では、所長と所長代理(副所長)の下に数名ないし十数名の営業職員による班が構成され、各班は班長であるマネージャーの名前を付けて呼ばれていたところ、Xは昭和62年4月、マネージャーになった。
★ マネージャーは、自ら営業活動をするとともに、班員となる新入職員の募集、班員の指導、管理、育成に当たり、その給与は自らの営業成績や人数によって左右される。また、賞与も班の営業成績によって大きく左右される。なお、平成14年当時、米子営業所にはX班のほかに4ないし5の班があった。
★ Aは、平成13年4月から16年9月までの間、鳥取支社長であり、Bは、13年4月から16年3月までの間、米子営業所長であった。なお、A支社長は月に2ないし4回は米子営業所を訪れ、営業状況の確認や営業活動の協議等をしたり、各班を回ってマネージャーを叱咤激励したりしていた。
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<営業所におけるトラブルとXが退職するに至った経緯等について>
▼ 米子営業所において、顧客の保険契約をめぐって、次のようなトラブルがあった。F社のグループ保険に加入していたYが、勤務先を平成14年3月31日付で退職することになり、コンバージョン(注:職場のグループ保険に加入していた者が、退職後一定期間内に手続をすることになり、その時点の健康状態如何にかかわらず、従前の団体保険の保険金額の範囲内で、団体保険から個人保険に移行できること)を申し出たが、B所長が1ヵ月という期間内に手続をとらなかったため、コンバージョンによる個人保険への移行ができなくなった。
▼ 同年5月、上記手続懈怠が判明し、Xが担当者となって交渉に当たるなどした結果、Yとは同年7月、医療保険をセットにした生命保険契約を新規に締結することになった。
▼ しかし、Yは同年10月に死亡し、その妻から15年1月、正式に保険金請求があったが、F社では新規契約直後の死亡であったことから、告知義務違反の有無が問題になった。
▼ 同年2月、Yの妻からF社代表取締役宛に抗議の手紙が出されるなどしたが、最終的には医療保険部分を解除し、死亡保険金を同年3月に支払うことで解決された。
▼ 同年4月、X班からCら4名が分離され、Cをマネージャーとする新たな班が結成されることになった。なお、X班には同年3月までは、Xを含めて12名いた。
▼ 同年7月31日、Xは出社はしたが、動悸が激しくなったので、早退してS病院を受診したところ、ストレス性うつ病と診断された。そこで、Xは同年8月1日から会社を休み、同月4日から同年9月28日までの間と同年10月24日から12月25日までの間、同病院に入院するなどして治療を受けた。
▼ Xはその後も欠勤を続け、16年3月1日付で休職届を提出し、17年8月31日付で自動退職となった。なお、Xは16年4月から同年9月までの間、F社健康保険組合から、疾病手当として388万4900円の支払いを受けた。
3.元社員Xの言い分は?
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