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読書感想文

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読んだ本の読書感想文を中心に公開しています。 あくまでも主観・雑感で、作者様の意図するところとかけ離れている場合もありますのでご了承ください。
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記事一覧

『かがみの孤城』にみる不登校者の世界の見え方・見られ方

2001年WHOにより採択されたICFモデル(国際生活機能分類)によると、前段のICIDHが病気や障害をマイナスのものとして捉え一方向的に見ていた(Aという障害があるからBの状態になりゆえにCという不利が生じる)のに対し、同モデルは人の生活は相互関係の中に在り、「生きることの全体像を捉える」というのが大枠の概念だそうだ。ざっくりと要約すると—— ①状態や現象は、環境と相互に関連し合う ②障害や健康状態は背景との相互関連によりプラスにもマイナスにも転換される ③人の生活(人生

夫のちんぽが入らないこと×足の小指をぶつけないこと

 私はしょっちゅう、何かの角に足の小指をぶつける。しょっちゅうとは言っても一年を通してのしょっちゅうではなくて、時期の限定された、限局的なしょっちゅうである。そしてそれがどの時期に集中して起こるのかは思い出せない。素足ですごし、うだる暑さに注意が散漫になる夏季かと思えばそのような気もするし、鈍く縮こまった身体がバランスを欠き、末梢神経が痛みを感じやすくなっている冬季ではないかと言われれば「きっとそうだ」とあっけなく得心してしまうことであろう。わが家には箪笥がないので、その多く

二十年間思い違いをしていたことについて(再考:ノルウェイの森)

 前回、J.D.サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』について思うところを書いた。  初読が同時期にあたる作品に、村上春樹氏の『ノルウェイの森』がある。  こちらの作品に関してはおよそ3〜5年に一度のペースで読んでおり、個人的には殿堂入りを果たした作品でもある。  当作品については読み返すたびに共感する人物が移ろい、自分自身の成長も伴い見えなかった一人一人の考えや思いが色を帯び、リアリティが増してくる。  奇しくも今年、冒頭のボーイング747の機内で『混乱』した主人公

アルベール・カミュ『ペスト』 感想文

施設勤めの冬は長い。特に入所やグループホームなど生活の場では、永遠に春は来ないんじゃないかと思うほどの緊迫感に、日々さらされる。 寒気が流れ出す時期になると、感染性疾患の書類が配られる。 「ワクチンを打ちなさい」 「うがい手洗い、アルコール消毒、次亜塩素酸水の準備を徹底しなさい」 「微熱があったら通所させないで」 「通所施設でインフルが流行ったらしばらく閉所し施設職員は休みます」 「グループホーム入所者はホームで安静にしていてください。いえ、隔離ではありません。隔離という

エミール・ゾラ『居酒屋』 感想文

すごい小説を知ってしまった。 19世紀の小説に、こんなにもドラマティックでリアリスティックでアルコールとすえた臭いのする世界があったのかと驚いた。  主人公のジェルヴェーズという女性は、とても真面目で、おそらく巡り合った人々の選択さえ誤らなければ、十分幸せになる器量を持った女性だったのだと思う。  少女時代から生活を共にした元夫のランチエの失踪から、共に移り住んだ街で新たに出会った、のちに夫となるクーポー。彼女は意気揚々と計画を立て、自らの店を構えるも、仕事中の怪我をきっ

チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』 感想文

 高齢者の運転による交通事故【の報道】が相次いでいる。  事故のニュースがTLに流れるたびに、待ってましたと言わんばかりに罵倒と免許証返納の言葉が飛び交う。  一昨年、祖母が更新時期を機に免許証を自主返納した。祖母は自動車免許取得が遅かった。65歳を過ぎてから猛勉強し、何度も乗り越し、試験に失敗しながら期限ギリギリに取得をすることができた。(念のため記すと最後まで無事故無違反の優良運転手)  目的は夫(亡祖父)の通院などの必要性を感じたためである。バスは数時間に一本、遠い

村上春樹『アンダーグラウンド』 感想文

本書を読むにあたり、いくつかの戸惑いがあった。 1)この分厚い本を果たして読了できるだろうか? 2)個人的な話ではあるが、私は物語にある種の追体験をしてしまう傾向にあるため、ここに記されたリアルに対して自分の心を保つことができるだろうか? 3)1)〜2)を踏まえた上で、そもそも読むこと(知ること)に意味はあるのだろうか? ということである。 1995年3月20日、私はテレビの中継で事件を知った。四半世紀近く前の記憶なので完全に一致しているとは断言できないが、「オウム」「地下

三島由紀夫『金閣寺』 感想文

高校生の頃、青い衝動に突き動かされ世に名作と呼ばれる文学作品をいくつか買い揃えた。それは『罪と罰』であり『人間失格』であり『仮面の告白』であった。 言うまでもないが、読書経験の浅い高校生にこれらを満足に読み進められるわけもなく、ページ数は少なく、文体もさほど難解でない『人間失格』を読了するのが関の山であった。  手元に『仮面の告白』を置く私を見るにつけ、父は母に「あの子は大丈夫だろうか?」と漏らしたと言う。 なにが「大丈夫」なのかは未だにわからないが、あの時、息子として

奥野紗世子『逃げ水は街の血潮』 感想文

 クドゥ・モニは周囲に毒吐いていないと自分の自尊心を保てない人物のように感じた。  始終自分だけは顔がいいことにこだわっているけど、(一人称文体なので作中には書かれていないが)おそらく事実は自分が周りの誰よりもブス(イケてないという意味ね)であり、それを理解しているが故の解毒行為なのではないだろうか。  そしてそれは美と醜≒年齢やファッションセンスで日替わりにランク付けされる世界に自分が存在している事実と裏表でもある。  これをSNS時代の話、地下アイドルをモチーフにした令

小川糸『ツバキ文具店』 感想文

 人に想いを伝えるという行為の中で、手紙ほどその工程が多く、人となりを表すものはないと思う。  それはー①道具を用意し、に始まり⑧投函する、に終わる。そして「想い」は認めた瞬間のまま時間が停止し、何年もそこに存在するのだ。 差出人の存在が消えた後もー。  先代である祖母の跡を継ぎ、鎌倉で「ツバキ文具店」を営むポッポ(雨宮鳩子)は文具店の店主をする傍、本来の仕事である代書屋をおこなっている。代書屋はその名の通り、代筆を生業とする職業である。代書屋の元にはなんらかの事情で自ら

三田誠広『いちご同盟』 感想文

 いい加減大人になりなさいと言われるかもしれないが、僕は小説にしろ映画にしろ結末で人が死ぬ物語が大嫌いだ。(ホラーやミステリーは除く)  特に病気や事故で死ぬことでストーリーが完成する話は、鳥肌が立つくらい嫌いである。憎み蔑んでいると言ってもいい。これは死に対する忌避の意識もあるのだろうけど、何よりも嫌なのは、死というものは人の心を動かすことを必然的に約束されたパイだからだ。可愛らしい動物をSNSで披露するようなものだ。そんなものを利用する作家は、とんでもなくあさましく想像力

ジャック・ケッチャム『隣の家の少女-THE GIRL NEXT DOOR-』 感想文

小説とノンフィクション・ドキュメンタリーの違いは、なんといっても主人公≒語り手への感情移入の有無にあると思う。どれほど陰惨なノンフィクションを扱った書物であろうと、ドキュメンタリータッチであれば読者は語り手の記述に対し「極めて俯瞰的に」受け止めることができる。 それに対し小説は、今まさに目の前にある体験を主人公である本人が語ることによって、視点は目の前の一点のみに限定されてしまうのだ。 1958年 夏-アメリカ 主人公である12歳のデイヴィッドは、近所の悪友とともに隣家のチ

谷崎潤一郎『春琴抄』 感想文

 「自分は、人生の中で子供を設けることはおそらくあるまい-」  十代の頃、漠然とした決定を下した。女性と付き合う時には早めに伝えていたし、それで相手を傷つけたこともあっただろう。それでもその決定は確信に近いものがあった。  年を経るごとに「子供」という明確な存在のみならず、そもそも結婚という生活様式に対しても思うところが出てきた。  村上春樹氏の著作『ねじまき鳥クロニクル』を読了した頃、その漠然とした思いが恐怖心に近いものであったことに思い至る。人を愛し共に生活をすると

『未完成の修士論文とロシアンマダム・アンナ・カレーニナの栄枯盛衰』

 先ごろ、修士論文作成中の知人と会話をした時のこと。  信仰心にも関連した福祉的支援についての話になり、話中のエピソードの中に一点、小さな疑問を持つ箇所があった。  それは「(主として)後期高齢者においては、支援者に対する感謝の意思とその表し方に特徴がある」ということだった。統計と呼ぶには母数が少ないため明確な根拠にはなりえなく、彼女の主観の一言で片付けられることも事実であるとは思うが、特定の世代以前と以降でその表現方法に違いがあることは自分自身のこれまでの経験においても思い