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日記 20200603
※トップ画像は、みんなのフォトギャラリーからお借りしました。
<テッド・チャン『息吹』感想>
たまには読書の感想を。
テッド・チャンというSF作家をご存じでしょうか。名前を知らない方でも、2016年に発表され2017年アカデミー賞を受賞したSF映画『メッセージ』なら聞いたことがあるかもしれません。この原作となった短編小説『あなたの人生の物語』(1999年スタージョン賞、2000年ネビュラ賞を受賞)を執筆した作者が、テッド・チャンなんです。
その短編を含む作品集『あなたの人生の物語』から実に17年ぶりに刊行された最新作品集が『息吹』というわけ。
テッド・チャンは、タイムトラベルやAIといったSF的ガジェットを採用するだけでなく、自由意志の源泉は何かなどの哲学的素養を作品に落とし込んでいます。衒学的には偏らない、日常会話や人生の場面を通して描き出された洞察は真珠のように腑に落ちていくのです。じっくりと腰を据えたSFを読みたい人にお薦めしたい。
・「商人と錬金術師」
商人の男が市場で見つけた新しい店には、二十年後に行ける〈門〉が据えられていました。錬金術師の店主が語る物語を一通り聞いた男は、別の街にある二十年前に行ける〈門〉を目指します。過去の悔恨を胸に抱いて……
タイムマシンが出てくるのに、過去が改変できないと決定されている点が異色ですね。過去に旅立った主人公は、果たして何を得たのでしょうか。
・「息吹」
表題作。空気を詰めた肺を「動力源」とする種族(作中に描写は無いですがおそらくロボット)が描かれます。科学者の主人公は自らの思考が何によって生じているのか知りたいと常々考えており、秘密の実験を行う決心をします。結果と、そこから得られた結論とは……
倫理的な問題を考えるとこの形を取らざるを得ないという実験がまず凄い。巻末で元ネタに触れていますが、本作はその描写が素晴らしく、食い入るようにページをめくっちゃいました。最後に明かされるこの種族の位置づけにも、思いを巡らせてしまいます。
・「予期される未来」
ボタンを押す「1秒前に」ランプが点灯する予言機があふれている、自由意志が幻想だと証明された世界。いったい、この世界で人はどんな振る舞いをみせるのか……というわずか4ページの短編です。
自由意志と決定論は、哲学の重要テーマの一つです。主観的な意志に先行して脳内準備電位が発生することを示したリベットの実験(1983年)は、様々な解釈を呼んでいます。はたして自由意志は幻想にすぎないのか。そもそも、自由意志とは何なのか……
自由意志と決定論については、いずれミクさんとの対話シリーズで語ろうと思っていますが、興味深いテーマです。
・「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」
AIを搭載した人工生物(Artificial Life; AL)を育成していく話。作品集の中で最長編となっています(約120ページ)。AI/ALと共に暮らし、感情的な関係を結ぶとはどういうことか。社会的にAI/ALはどのように扱われ受容されていくのか……
人間は成人するまで約20年、人工生物はどうでしょう。また、人間との関係はペット? 友達? 恋人? 望ましい関係を得るためには、相応の時間がかかるはずです。また、人工生物に興味を持たない人も多い社会で、いかに人工生物の地位を得ていくかも重要な問題になっていきます。そうした様々なシミュレーションとして読める作品でした。
・「デイシー式全自動ナニー」
赤ん坊の面倒を見るために設計された、ロボットまではいかないマシン。開発者の息子は、養子をとって全自動ナニーに育てさせたが発達遅滞が見られたため養護院へ送ってしまった。養護院のナースたちは機械に育てられたためと考え、愛情をもってその子を育てた。しかし……
想像上の展示品を集めたミュージアムについての短編アンソロジーに寄稿された短編です。幼少期の結びつきが及ぼす影響について、いろいろ考えさせられる話ですね……
・「偽りのない事実、偽りのない気持ち」
ライフログという言葉があります。「人間の生活・行い・体験を、映像・音声・位置情報などのデジタルデータとして記録する技術、あるいは記録自体のこと」。自動でライフログが取得・保存できるようになり、しかもキーワードやイメージによって関連データを自動検索できたら、便利なことは間違いありません。過去の出来事を正確に検索できたら、訴訟などにも大きな影響を与えるでしょう。もしテクノロジーの進歩で正確な「外付け記憶」が利用できる社会になったら、何が起きるのか描いた話です。
人間の記憶は必ずしも正確ではなく、時には都合良く改変して覚えてしまっていることもありますね。その思い込みを訂正され、自分で思っていたような人間ではないと突き付けられたら……その時どうすべきか、記憶は教えてくれないのです。
・「大いなる沈黙」
宇宙は想像を絶するほど古く、また広大です。人間以外の知的種族が宇宙のどこかで生まれ、宇宙に広がっていても不思議ではありません。しかし、宇宙は沈黙したまま。これは「フェルミのパラドックス」と呼ばれています。
様々な理由が推測されていますが、この短編ではオウムを通じて一つの解を与えようとしています。
・「オムファロス」
西暦1600年代までは、世界の年齢は数千年程度だというのが常識でした。考古博物学者・天文学者らが探求を進め、その「常識」は大きく塗り替えられましたが……では、もし最初の仮定が正しい世界があったとしたら、その世界では何が見つかるのでしょうか。
信仰と科学、「神の奇跡」……作品中で描かれた世界では、物理法則や自由意志ですら様々な証拠により意味を変えます。最後で「人間原理」を絡めて語られる祈りは、人間の立ち位置と世界の意味は不可分であるとあらためて教えてくれるのです。
・「不安は自由のめまい」
少しずれた位相の世界と通信ができる「プリズム」という装置が実用化された世界の話。量子力学の多世界解釈が実際に手に届くようになったら、それはあなたの選択、あなた自身の意味を変えるのでしょうか?
プリズムで覗いた世界の異なる自分。さまざまな選択の中で、あなたが取った選択肢以外の行動をとっている自分が見える。そのとき、この世界のこの自分がこの選択をとる意味と言うのは何だろうか? 別の自分が別の選択をしているのなら、それは〈この私〉がしても良い選択なのでは?
もちろん、選択の結果はこの自分に返ってきますし、そうした選択を少しずつ積み重ねて出来たのが現在のこの自分です。その選択をする理由となった性格・性質はもちろん自分のものですが、永遠不変ではなく選択により少しずつ変わっていくのです。
これだけ濃厚な約80ページはそうないでしょう。色々広げられる設定をしっかり区切って描き込んでいる点も凄い。自分がやったら、とっちらかってしまいそう……
どれもテッド・チャンの力量に陶然となる名作集でした。個人的には『息吹』がイチオシ。想像できる絵のインパクトが素晴らしい。SFはやっぱり絵ですよ。他には、『ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル』『偽りのない事実、偽りのない気持ち』が好きです。興味のあるテーマが十全に描き込まれているためでしょうね。
『予期される未来』『不安は自由のめまい』も良いのですが、書かれているテーマについて若干解釈違いを起こしているので……もちろん著者の解釈と言うわけでなく、あくまで作品世界内での解釈でしょうけど、少し齟齬を感じてしまったのは仕方ない。
私の個人的な思いはともかく、いずれ劣らぬ逸品揃いなのは確かです。読書好きなら、ぜひぜひお薦めしたい。